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タイトルの通りの質問です。なにかをやらかしたときには潔く腹を切って死ぬべきだ、あるいは恥を忍んで生きるくらいなら潔く死んだほうが良い、と考えていた武士が多かった(と思われる)のに対し、公家のような貴族についてはそのような話は聞きません。この「潔さ」の違いは根本的にはどこにあるのでしょうか?

A 回答 (5件)

鎌倉時代に書かれた『平家物語』と『吾妻鏡』が起源


安徳天皇は、傀儡としての利用価値と、残党への人質としての価値があり、絶対に捕えたかったのに、自殺されてしまった。
活躍した源義経は、討伐されて自害。
なぜ自害したかといえば、戦後、家族の女・子供がひどい目に合う、ならば家族を殺して自分も死のうという考えから。
家族を殺して降伏すれば磔死刑。
この考えは、昭和まで続き、太平洋戦争では沖縄の多くの女性が自殺しました。
満洲や北方領土では、実際に降伏後、女性が凌辱されました。

知盛は建礼門院や二位尼らの乗る女船に乗り移ると「見苦しいものを取り清め給え」とみずから掃除をしてまわる。口々に形勢を聞く女官達には「これから珍しい東男をごろうじられますぞ」と笑った(つまり彼女たちはこれから源氏の兵に凌辱されるから、その前に自害せよと婉曲に示唆した)。これを聞いた二位尼は死を決意して、幼い安徳天皇を抱き寄せ、宝剣を腰にさし、神璽を抱えた。安徳天皇が「どこへ連れてゆくの」と仰ぎ見れば、二位尼は「弥陀の浄土へ参りましょう。波の下にも都がございますよ」と答えて、ともに海に身を投じた。『吾妻鏡』によると、二位尼が宝剣と神璽を持って入水、按察の局が安徳天皇を抱いて入水したとある。続いて建礼門院ら平氏一門の女たちも次々と海に身を投げる

戦国、江戸時代になると、責任者さえ腹を切れば、一族を助けるしきたりが生まれる。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50429

公家は近親相姦もヘッチャラで、貞操観念が違うから、拷問の恐怖がなければ自害しない。
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まず、潔くないと、いざという時未練を断ち切って死地に赴くことができない。



次に、戦国時代の武士は意外としぶとい。
さっさと腹を切るよりみっともなくても生き延びて捲土重来を期す方を選ぶ。
腹を切るのは「もう絶対ダメ」とか「家臣の命と引き換え」とか「負け戦の責任を取って」という時くらい。

江戸時代になると武士は絶対的な支配者になった。
それとともに潔さが強調されるようになった。
「万民の長である。その責務は命よりも重い」
というわけである。

現代でも、社長は社員の不始末を受けて引責辞任する。
それが武士では切腹だった。
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この「潔さ」の違いは根本的には


どこにあるのでしょうか?
 ↑
武士、というのは文字通り、戦闘の
プロです。
それが、命を惜しんでいては仕事に
なりません。

名誉の方が生命より大切だ。

命は鴻毛の軽きと心得よ、という
のは当然でしょう。



公家てのは天皇の部下であり、天皇
は神道の親分です。

神道てのは血の汚れを嫌います。

だから、潔く死ぬ、なんてのは
禁忌になります。

公家にはこの禁忌があったので、
侍、という身分の者に、軍事を担当
させました。

それで、侍のことを武士、と呼ぶように
なったのです。
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> 潔いことをよしとする風潮が武士の間にあったことは確か



具体例は? あなた武士に夢を見すぎなんじゃないの?
そもそも武士と一言で書いているが、いつの時代の武士だ?

応仁の乱の頃に出た足軽は、戦の後には戦利品として乱妨取りしていた。それは戦国時代にも受け継がれる。
https://bunshun.jp/articles/-/50050

では鎌倉時代の武士は? 元寇に対して恥も外聞も捨てて勝ちに行った。
https://dar-rekishi.com/%E7%A5%9E%E9%A2%A8%E3%82 …
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支配者と被支配者の違いですよ。



武士だって、大将や大名クラスで、やらかしたアホはたくさんいるが、そいつらが恥を忍んで自害した奴ばかりとは限らない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
まあ、そういう例はあるかもしれませんが、実際に行動を起こすかどうかとは別に、潔いことをよしとする風潮が武士の間にあったことは確かだと思います。その考え方の根本にあるものは何なのか、というのが疑問です。

お礼日時:2021/11/29 12:28

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