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私の学校の校長先生は、いつも「いける」を「いかれる」と言います。

例えば、「これから皆さんで頑張っていけるといいなと思います。」を「これから皆さんで頑張って''いかれる''といいなと思います。」という言い回しをするんです。

私はこの言い回しにずっと違和感を感じていて、友達になんか変じゃない?と聞いても分かってもらえません…

私も国語が得意ではないのでこの言い方が間違ってるのかどうかよく分からないのですが、文法的にどうなんでしょうか?   つまらない質問ですが、なんかモヤモヤするので教えてください!

質問者からの補足コメント

  • 皆さん沢山の回答をありがとうございます。 私は「いける」の尊敬語と言うよりは、頑張って「いく」ことができるという意味だと捉えていたのですが、別の捉え方もできるので間違っているのかどうか一概には言えないのですね。頂いた回答を見て、納得できました。
    一人一人にお礼が出来なくて申し訳ないのですが、補足コメントをお礼に変えさせていただきます

      補足日時:2022/01/09 11:22

A 回答 (8件)

可能の表現を、「いかれる」と表現するのは、下記らかに間違い?。


いわれるところの「ら」抜き表現の類です、最近は部分的に市民権も得ているようですが。
>「これから皆さんで頑張って''いかれる''といいなと思います。」
この例に限定すれば、この表現は可能の表現ではありません、敬語、丁寧語?表現になります。
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助動詞の「れる・られる」の詳しい説明が知りたければ下記あたりがよいでしょう。


https://www.kokugobunpou.com/%E5%8A%A9%E5%8B%95% …
 
「行く」は5段動詞なので、「行かれる」で、
①受身②可能③自発④尊敬

 の働きがあります。
 質問の例文の場合は尊敬の意味に取れなくはありません。
 ただ、「校長先生はどこいかれたんですか」などはオススメできません。「頭がいかれた」のような失礼な響きにとられかねません。
「校長先生はどこ(に)いらっしゃったのですか」などが一般的な表現です。
 ただ「これから皆さんで頑張っていけるといいなと思います。」を敬語表現にするのはちょっとむずかしい問題になります。本題は「敬語」の話ではなさそうなので、パスしておきます。

「行く」の可能表現を「行かれる」とするのは、「間違い」ではなく、元々あった由緒正しい表現です。辞書にも「行かれる」「登られる」「とられない」などの用例がのっています(↓参照)。
 でも最近はほとんど使われません。いわゆる可能動詞を使って「行ける」にするのが、一般的です。質問者の感覚が正常でしょう。
 校長先生ぐらいの歳でも「行ける」がフツーだと思いますが、何か理由があって、わざわざ「行かれる」と言っているのでしょう。マネしないほうが無難です。かなり年寄り臭い響きがありますから。
 詳しくは下記をご参照ください。
【五段活用動詞の可能態(行かれるなど)】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12068656946.html
 以下は一部の抜粋(重言)。

「行かれる」以外にも、現代でも五段活用動詞で「ar」をつけた形で使われる動詞はあるようです。

 たとえば『大辞林』を見ます。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%82%8C%E3%82 …(リンク切れ)
======================引用開始
[2]可能の意を表す。
(ア)動作・作用が主体の能力によって実現可能なことを表す。
  駅までなら一〇分で行かれるだろう
  子供でも登られる山だ
(イ)動作・作用の遂行が許容されていることを表す。
  忙しくてじゅうぶん休養もとられない
  勝手な遅刻や早退は許されません
======================引用終了
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「れる」という助動詞をご存知ですか。


「自発・受け身・可能・尊敬」などを表わしますが、
五段活用動詞の未然形,およびサ行変格活用動詞の未然形の「さ」に付きます。
https://sakura-paris.org/dict/%E5%A4%A7%E8%BE%9E …
「いく」は五段動詞なので、これを尊敬表現にしたい場合は、その未然形「いか」に「れる」をつけて「いかれる」と表現する。
校長先生の使い方は正しいですね。

一方、可能動詞と呼ばれるものがあります。
これは、五段(四段)活用の動詞が下一段活用に転じて可能の意味を表すようになったものです。
例えば,「読む」「書く」に対する「読める」「書ける」などの類。命令形をもたない。
https://sakura-paris.org/dict/%E5%A4%A7%E8%BE%9E …
「いく」という五段動詞を下一段活用に転じて「いける」と表現すれば「いく」の可能動詞になる。

つまり、「いける」と「いかれる」どちらも正しい可能表現です。
「いける」は一般的に通用している表現で、「いかれる」は若干改まった表現というのが個人的な感覚です。

・この道はまっすぐ行けますか?

でもいいですが、

・この道はまっすぐ行かれますか?

と表現すると恰好良く聞こえる可能性もアリ。
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どう考えても校長先生の表現の方が素直だし正しいでしょう。

もし「いける」をどうしても使いたいなら「これから皆さんと一緒に私ども先生達も頑張っていけるといいなぁと思っています。」となる。
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校長先生が「頑張っていかれる」というのを、「皆さん」に対して丁寧な表現をするために尊敬の「れる」を使っているのか(「行ける」とは置き換えられない表現)、それともあなたが言うように可能の意味で使っているのか、例文だけではちょっとわからないですね。


五段動詞「行く」に対する「行ける」というのは可能動詞です。古くは、「行く」の可能の形は「れる」を付けて「行かれる」になるのですが、現代では可能の「行かれる」という表現は使わなくなってきています。ただし、年配の人や、方言によっては、可能の「行かれる」も使います。少し古い表現ではありますが、間違った表現ではありません。
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「いける」 …「いく」ことができる


「いかれる」 …「いく」の尊敬語

> 皆さんで頑張って''いかれる''といいなと思います。
自ら進んで''いかれる''、と言う意味を含んでいます。
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自分が「する」なら「いける」ですが、自分では無い「皆さん」が「する」ので「いかれる」と表現しているのでしょう。

「「いける」と「いかれる」の違い」の回答画像2
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それは質問者さんが校長の言ういけるを「可能」ととらえているからでしょう。


校長が頑張っていけるというのを頑張ることができるという意味で言っているなら、いかれるはおかしいですが、
校長は丁寧語でいかれると言っていたとしたら、頑張られる、頑張っていらっしゃるという意味だとしたらむしろいけるはおかしいことになります。
それに最近、れる、られるをちゃんと言えず、例えば見ることができるを見られると言わず見れると言ったり、食べられるを食べれるという人が増えています。
質問者さんが食べれるが普通で食べられるに違和感を覚えたとしたら、質問者さんの感覚にも気を付ける点があることになります。
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