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私が思うに人権とは人としての権利であり、権利とはみんなが認めたものが権利となります。そしてほとんどの人はたった一度の人生を有意義で幸せな人生でありたいと願います。そうであればそれを正しいとして人の権利であると認めたものが人権なのです。ですから人権とは「みんなの安心・幸せの為」でありそれは憲法に言うところの公共の福祉と同じなのです。ですから公共の福祉は人権と同じであり憲法は間違っていると思います。自由権は自由権であり人権ではないのです。皆さんどう思われますか?

A 回答 (14件中1~10件)

まず、人権は生まれたときに持っているもの、ではないです。



だって、生まれたときに持っているなら、ミサイルの飛んでくる戦時下に生まれて、オギャという間もなく死んでしまうなんてありえないからです。

人間社会は詭弁でできているようなものですから、どんな方便だってありえます。論理性はそれを見抜くために必要であり、人間社会が詭弁だらけだからこそ前提条件が必要になるわけです。

ということで「人権」とは「すべての人間が生まれたときから持っている、はず」というのが正しい前提であり、前提にすぎない、わけです。これを「生まれたときから持っているんだ!」と認識すると言葉の誤謬に嵌ってしまいます。

とはいえ、人間社会は理想的な状態を求めるもの、でもあります。また社会を一定の方向に維持するためには前提を土台にして法を組み立てる必要があります。これを「統治」というわけです。

現代の民主社会において「個人の生存権」は前提であり、それに基づいた「個人主権=人権」が社会の土台になっています。
 もちろんこの土台ではない社会もあって、たとえば中国なんかは「個人主権」よりも「国家権力」を優先するので、コロナで町全体を封鎖するなんてことができるわけです。封鎖したあと、人々が死んでも構わないわけです。

さて、人権と公共の福祉の関係性ですが、私個人としてはイコールではないと思っています。同じものというより「人権」を成り立たせるために社会に必要なシステムが「公共の福祉」だと考えます。

最初に書いたように、人は別に人権を持って生まれるわけではありません。

だから生まれてくる社会が「人権を成り立たせる」社会でないと、人権が個人に付与されないわけで、たとえば生まれてすぐに病気になった赤ちゃんが「人権=生存権」を得るには、医療制度という公共の福祉の恩恵が必要になる、ということです。

逆に中国や北朝鮮のような国だと、人権を持って生まれたとしても、それを成立させる社会がないので意味がありません。
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この回答へのお礼

素晴らしい解説ありがとうございます。

権利とはそれを求め、それが正しいと認めたものが権利になります。それでは国民みんなが求めているものとは何かといえば「たった一度の人生をできれば有意義に、そして幸せな人生でありたい」と言う事でしょう。そうであればそれを正しいとみんなで認めてそれをみんなの約束、権利とする、それが人権だと思うのです。また国民が人権「安心・幸せに生きる権利」を得るならば、その義務も果たさなければなりません。私たち国民には公共の福祉「みんなの安心・幸せ」に反しないように生きていかなければならない義務が課せられているです。

人権とは自由権と言うものだけではなく、私の思う本当の人権とは「みんなが安心して平穏に、そして幸せに生きる権利」であり、公共の福祉とは「みんなが安心して平穏に、そして幸せに暮らせる事」です。ですから国民には公共の福祉(国民の安心・幸せ)に反しないように生きる義務が課されていると考えます。つまりみんなに迷惑をかけない、悪さをしないで生きる義務が課されているのです。悪さをしない義務を果たしていれば国民には人権が保障されるのです。このように私は考えます。

お礼日時:2022/02/25 19:24

no12



全員のためと言うのであれば、何が全員の為となるかは全員で決めるべきです。あなたが勝手に決めることではない。
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この回答へのお礼

そりゃそうだ、しかしね、問題を自分一人で考えてもそれが道理的な答えであれば一人で考えても正しいと言える。道理とはみんなが「当たり前だ、当然に正しいと思うもの」だからね。

そして私はね、正しい事はみんなで「一番みんなの為になる答えは何か?」と考えることだ、と言っているのよ。自分の考えが正しいと考えてはならないとね。常に「みんなの為」になる、合致する答こそが正しい答えなのだ、とね。

お礼日時:2022/02/25 20:12

ここは自己主張の場ではない。


自分がわからないことを教えてもらう場所、
自分から他者の意見を募集しておいてどうしていちいち相手の意見を否定するんですかね。
サイトの使い方間違えてるよ。

あなたがどう考えるのも自由だが相手がどう考えるの自由だ。ここは実利を綱引きする場所じゃないからね。

自分の意見を主張して相手に認めさせたいのであれば自分のブログでやるべきだと思うよ。
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この回答へのお礼

いくら質問に答えてくれてもそれはおかしな答えであれば反論しなければそれを認めたとなりみんなの為にはなりません。あなたはこれはひどい答えだなと言うものに反論したくはなりませんか。

お礼日時:2022/02/24 20:10

私が思うに人権とは人としての権利であり、


権利とはみんなが認めたものが権利となります。
 ↑
不正確です。
みんなが認めただけでは人権には
なりません。
法的効力があって、始めて人権と
言えます。
逆に言えば、皆が認めなくても
法で認めてしまえば、人権になります。
皆が認めても、法が認めなければ
人権とは言いません。



ですから人権とは「みんなの安心・幸せの為」でありそれは
憲法に言うところの公共の福祉と同じなのです。
  ↑
その通りです。
公共の福祉てのは、皆の人権なのです。



ですから公共の福祉は人権と同じであり
憲法は間違っていると思います。
 ↑
間違っていはいません。
人は社会に住んでいます。
ある人の
権利を認めると、他の皆の権利が侵害
される場合があります。
それを調整するのが憲法です。



自由権は自由権であり人権ではないのです。
皆さんどう思われますか?
 ↑
自由権は人権です。
しかし、自由権を無制限に認めたのでは
他者の人権を害します。
つまり、公共の福祉を害することになります。

自分の人権と他者の人権をどう調和
したらよいのか、
自分の人権をどこまで認めるか
という問題です。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

ですから「法的効力」がみんなが認めたことです。

>それを調整するのが憲法です。

権利と権利の調整をして出てくるのは新しい権利でしょう。権利は公共の福祉に反すれば尊重されないものですよ。公共の福祉より下位の概念が人権(自由権)なのですよ。
本当の人権は公共の福祉を言うのです。自由権より上位の概念なのです。憲法は論理的に間違っているのです。

お礼日時:2022/02/24 07:10

やはりそう来ましたか。

どこが詭弁かは明確に書きましたよ。詭弁を使っておいて詭弁ではないと開き直るのも詭弁ですからね。もういいです。

ただあなたの言動を見ている限り、自分の主張が受け入れられたいという欲求を感じ取れるので、その手助けになればと思って私は助言しているだけですから。ちなみにあなたのずっとしてきている主張は一般的には「最大多数の幸福」という言葉で表される当たり前のことですからね。全く新味ゼロの話を、さも私が発見しましたとばかりに振りかざすから総スカンを食らうのですよ。

あ、あなたの人格は否定していませんから。苦言を呈した対象はあなたの言動でありあなたの人格ではありません。

ついでに、ここからはひとつあなたの主張の核心「みんなのため」についても強い疑問を呈したい。

結論から言うと、あなたは「みんなのため」と言葉では言っているが、実際には「みんなのため」を考えていないのではないか、実践してはいないのではないか。ということです。

私はただ感じたことを正直に喋っただけですが、もしあなたに不利益を与えたのであれば、私はどうすればいいのでしょうか。

今日はここまで。たぶん。やはり非生産的かも。
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(前レス読まずにこれを書いてます)



ともかく、詭弁を使って相手をやりこめようとする態度が良くないんじゃないの? と常々思ってるわけです。

ただいずれにしても、あなたのスタンスは「私が正しい」から一歩も動かないと思われるので、何かあなたと対話をしようとは思いません。

もう一つ正直な感想を付け加えると、いちいち「私は論理的に話しています」とか言わなくていいから。それは当たり前の事だから。そしてここからが面白いのだが、わざわざ「論理的です」と言ってるあなたの話には、エビデンスに疑わしい部分が多々あるのですよ。そしてそこを指摘すると詭弁で返してくる。

もうわざわざ指摘しませんけどね。また詭弁で返してくるから。生産的な対話にならないから。

あともう一つ。

論理的な話し云々とおっしゃるのなら、上から目線のマウンティング口調の文体をまず止めなさい。主張の内容が正しいのならば文体に関係なく正しいですから。論理は文体に関係ありませんからね。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

あなた達こそがただの決め付けで私は間違っている非難してくるからそれを指摘するのです。あなた達は常に論理的ではなく感情論ばかりだ。詭弁だと言うならどこが詭弁か示してごらんなさい。そんなところはありませんよ。なのにあなたは初めから詭弁だと罵倒してくる。強い口調で反論したくなるのは当たり前です。どこが間違っているのか指摘してください。

お礼日時:2022/02/23 22:21

私が今まで見た限りではあなたが自分の間違いを認めたことは一度たりともない。

だから今回もこれからも同様だろう。なので返信はいらないです。生産的な対話にはならないので。

ただ詭弁の指摘だけはやはりしておいた方がいいでしょう。

>間違いであれば矛盾を指摘してください。

相手はあなたが間違いだとも言ってないし、もしあなたに間違いがあるとしてもそれが矛盾であるとは限らない。だからこの反論には藁人形論法と論点先取の詭弁が含まれています。

あなたの話す内容にはこの手の話のすり替えが頻繁に仕込まれているんですよ。

自覚してやってるのなら話は分かりますが、無自覚に使っているとすると非常に問題ですよ。詭弁を使う人とはまともな会話ができませんから。自覚が持てなかったら直しようがないし。

あともう一つが主張の内容と主張する人の課題の分離です。あなたの主張する内容が否定されたとしてもあなたという人間が否定されたわけではありません。このあたりが常にごっちゃになってるとお見受けします。

あなたの言動に関するモヤモヤ感はこれらの部分に集約されると思いました。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

貴方の指摘は私には当たらない。私は常に論理的であり自分の考えを言う事はない。ただ論理的に考えればこうなると言うことだけだ。
私たちはみんなたった一度の人生を有意義で幸せな人生であってほしいと願っている。そうであればそれをみんなが正しいとしてみんなの権利とする。それこそが人の権利、つまり人権なのです。ですから人権は公共の福祉と同じでありみんなの安心幸せの事なのです。そして自由権は人権のひとつの権利にすぎないのですよ。憲法は論理的に間違っているのです。どこの矛盾がありますか。白人の与えた憲法が、思想が正しいとは限りませんよ。

お礼日時:2022/02/23 21:57

ちょっと余計なこと書いた。

無視してください。
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この回答へのお礼

OK!

お礼日時:2022/02/23 21:04

詭弁に関して、あなたがもし嘘をついていないのであれば、それは大きな問題です。

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まずあなたが詭弁をやめないと話は始まりませんよ?

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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

私の言う事は詭弁ではなく論理的に説明しているつもりですがね。どこに矛盾がありますか。物事は論理的に発言しなければなりません。あなたも感情論では議論など出来ませんよ。

お礼日時:2022/02/23 20:01

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