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皆さんのお祖父さんお祖母さんが語ってくれた戦前、戦時中、戦後まもない頃のお話を教えていただきたいのです。
私の祖父母は皆他界していまして、生前もお話しする機会は残念ながらほとんどありませんでした。なので、直接戦争の事を聞いた事もありません。ただ一度、沖縄に行ったとき、戦時中の事を語り継いでくださるご年配のお話を聞いた事があります。
お恥ずかしながら、不勉強ゆえに、戦時の事も、はだしのゲンやちいちゃんのかげおくりなどの本を子供のころに読んだ程度で、義務教育で教わる戦争のことも鵜呑みにしてきまして、第二次世界大戦は日本側の失敗だと思っていました。戦時中の日本では、疎開で親子が離れ離れになり、政府に否定的な意見を口にすれば非国民としてひどい扱いを受け、玉音放送の後は失望から多くの人が自害を選択したと、そんな日本を、現代の日本とは切り離して見ていました。
当時の事をより深く理解したいと思い、どんなエピソードでも構いませんので、生の声を共有していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (9件)

Re: 回答No.5



> 戦争を生きた人の想い…敵国の冷酷さ…

太平洋戦争では、敵は(ある意味で)内部にもいました。

男たちは体力(健康)にもとづいて、甲・乙・丙・丁・戊にランク分けされるのですが、甲と乙は強制的に徴兵されて戦地に送り込まれます。そこでボロ負けに負けて殲滅させられても、国営放送では全戦全勝と高らかに謳い、国民を騙して鼓舞させ、全国民を戦争一色にさせたんです。いまのロシアの国内向け放送とそっくりです。

兵員たちは泳げなくてはなりません。父は泳げなかったので、水泳の訓練に連れ出されるのですが、海に出ると、父は突然にも船から海へ突き落とされたのでした。溺れる父を誰も助けようとはせず、見ているだけです。必死でもがけば、やがて自分で泳ぎを覚えるであろうと…(それで父は泳ぎを覚えました)。

戦争に突入すると輸入は途絶えるので、燃料(石油)にも物資(鉄など)にも困窮するようになり、金属類回収令が国から出ます。そのために憲兵が各家に金属の回収(無理やり拠出させる)に回るのですが、それに乗じて宝石・貴金属まで奪っていくようになりました。抵抗できません。母方の実家(祖父のことです)は大工の棟梁をしていて裕福でしたが、金目のものはすっかり無くしたんです。

不便を強いられる戦地では、兵員たちは苛立つ上官の意次第になります。兵員は上官に無理やり従わされているだけなので敬意などないわけ。食事は兵員が用意し上官のところに持っていくのですが、日ごろのうっ憤を晴らすために、髪の毛から出る大量のフケを上官のご飯の上にバラまいて差し出した、と父は言っていました。

父から聞いた話は、これ以外にもたくさんあります。ですが不思議なことに米英畜生の残忍さ、冷酷さの話はほとんど聞いていません。国内の理不尽なことばかりです。戦地では逃げ回っていたようなので、敵のことよりも内部の醜さばかりが記憶に残ったのかも知れませんが。
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あなたを尊敬します。



『知らぬが仏…』


過去の忌まわしい事を知り、今後は悲劇を繰り返さない判断をしてくださいね♪

今でも、過去に囚われてあるまじき事を行なっている人もいます。

“弱肉強食”

慈しみの心を誠意を注いで生きてくださいね^_^
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祖父や祖母に聞いた話。



○ 空襲で焼け野原。
 焼死体がごろごろ。 
 死体を避けて歩いていたが、面倒に
 なり踏みつけて歩いた。
 バリバリ音がした。
 
 夕方になったら、細かく白い塵に
 なっていた。

○ 空襲で焼け野原。
 真っ黒になった遺体をトラックに積む
 作業をしていた。
 お昼になったので、死体に囲まれて
 弁当を食べた。

○ 遺体収容作業をしていたら、空襲警報。
 戦闘機が突っ込んで来た。
 ニヤリ、と笑ったパイロットと目が合った。
 チクショウ、と思った。

○ 米軍機が墜落したら、女の子は皆、キャーキャーと
 歓声を上げていた。
 接近してきたら、防空壕に避難して
 神様神様と唱えていた。

○ 帰宅したら空襲で家が壊滅。
 中から母が出てきた。
 それ以来、母は宗教にのめり込むように
 なった。

○ 徴兵検査で落ちた男と
 見合いされそうになった。
 腹が立った。
 
○ 焼夷弾で、街中火の海
 お腹に赤ちゃんがいたので泳げず
 川に飛び込み、杭に捕まって耐えた。
 泳げる連中は、向こう岸まで泳ぎ
 皆死んだ。
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この回答へのお礼

貴重なお話を聞かせてくださり、大変ありがとうございます。
忘れないように、繰り返し読ませていただきます。
とても簡潔に書いてくださっているからか、情景がスッと浮かびます。
戦争映画では戦場にはドラマがあり、美談として描かれるものが多いですが、戦争は、理性の限界の先に人間を突き落とすようなものだという事をとても感じました。
ありがとうございました。

お礼日時:2022/04/02 06:09

下記の施設に足を運ぶとよいです。


遊就館以外は国の施設、入場無料。
いずれも戦争賛美施設などではありません。

■平和祈念展示資料館 
(兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の労苦を語り継ぐ)
https://www.heiwakinen.go.jp/
東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル33階

■昭和館
(昭和10年頃から昭和30年頃までの国民生活上の労苦を語り継ぐ)
https://www.showakan.go.jp/
東京都千代田区九段南1-6-1

■しょうけい館
(戦傷病者や家族等が体験した戦中・戦後の労苦を語り継ぐ)
https://www.shokeikan.go.jp/
東京都千代田区九段南1-5-13 ツカキスクエア九段下

■靖国神社 遊就館
(明治以降の兵士の遺品や靖國神社宝物の展示)
https://www.yasukuni.or.jp/yusyukan/
東京都千代田区九段北3-1-1 靖国神社内苑
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この回答へのお礼

機会を設けて必ず足を運びたいと思います。
その前に、受け止められるよう成長したいと思います。
どうもありがとうございます。

お礼日時:2022/04/02 05:59

私の父は明治生まれで、第二次世界大戦では徴兵されて通信兵として現地に赴きました。


なので当時の話はいろいろ聞かされていますが、戦争の話は言い出すとキリも際限もありません。
なので、もっとピンポイント的に尋ねないと。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
漠然とした質問になってしまい申し訳ありません。。
お尋ねしたいのは、教科書には載らない、何百万、何千万の、戦争を生きた人の想いなのですが、想いとは具体的に何かといえば、やはりそこは漠然としてしまうところがありまして、例えば私が沖縄で出会ったおばあさんが、強く私たちに訴えかけてくださっていたのは、戦争で亡くなられた仲間の無念、敵国の冷酷さ、そして絶対に戦争を繰り返さないでほしいという願いでした。回答者様のお父様が回答者様に渡されたバトンを、私も受け取りたいという思いがありつつ、私なんかに受け取る器量があるのか疑わしいところではあります。。

お礼日時:2022/04/02 05:57

50代女性です



今は亡き祖父から聞いた話です
祖父は幸いにも生きて帰還できましたが、戦死した方の中には、戦闘そのもので亡くなるのではなく、熱病や下痢など過酷な状況が理由で移動についていけず亡くなる人が非常に多かった、と言っていました。
詳しいことは、あまり話したがらなかったですね

また、私の祖母は子供時代、事情があり米国領に暮らしていた事がありましたが、米国の進んだ生活レベルを目の当たりにして育った為、アメリカと戦争が始まった際(その頃には日本に帰国していた)
あんなに優れた生活文化を持つ国に勝てるわけがないと思ったそうです。
でもそれを口にすると非国民と言われるので言えなかった。
と言ってました。

他にも満州から幼子(私の伯母や母)を連れて船で帰国する際、救命胴衣を着用してくださいと言われたにもかかわらず、こんな幼子を2人も連れて撃沈されたら救命胴衣なんてつけてても生き残れるはずがないと思って着けなかったと言ってました。
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この回答へのお礼

貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございます。
実際に戦争を体験したお祖父さまの心中、察するに余りあります。
私が沖縄で出会ったおばあさんは、魂から語っておられました。「私が伝えていかなければいけない」と、私は何かバトンを渡されたような気がしました。
回答を読ませていただいて、想像以上のバトンの重みを感じています。
忘れないように、何度も繰り返し読ませていただきます。
ありがとうございます。

お礼日時:2022/04/02 05:37

NO.2です。



戦死者数、全世界の数を記載したかも?
済みません、訂正します。

310万人戦死(軍人)
80万人戦死(市民)

失礼致しました。
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東京近辺は、当然、子供らは疎開して居たようですね。



兎に角、食べ物が無くて困っていたようです。
さつま芋ぐらいしか、無かったとか。

簡素な穴の防空壕が、結構、至る所にあったようです。

東京空襲は、都心部で勿論、ありましたし。
東京郊外でも、日本近海にまで来た、アメリカ空母艦隊からの航空機による攻撃があり。

東京、埼玉の軍航空基地に、爆弾を落とした後、空母に帰還する時に、
逃げる一般市民に、機関銃で撃ち殺しながら、帰還して居たようです。

※硫黄島、沖縄、ペリリュー島(パラオ諸島)などを、ネット検索すると、壮絶な日本軍玉砕戦の記録が見れますね。

個人的な見解では、

1.インド方面、インパール作戦
2.ペリリュー島(パラオ)防衛線
3.ニューギニア方面の作戦
4.硫黄島防衛線
5.沖縄米軍上陸作戦

太平洋戦争(大日本帝国死傷者数)
軍人400万人以上が戦死
民間人2600万人以上が犠牲

ここら辺は、地獄の様な感じですね。

※日本は真珠湾を奇襲攻撃しましたが。
反省しないといけない戦争なのは、事実ですが。

決して、望んで戦争を開始した訳ではない事を、どうか、ネット検索などで調べて頂けたら、幸いですね。(戦後生まれですが)

中国大陸における利権争い、アメリカとの対立摩擦、3国同盟などによる思惑が外れ、外交の失敗と、無理やり、アメリカに戦争になる様に仕向けられたという事かも知れないです。(私は戦後生まれの日本人ですが、それでも日本は反省しないといけないと思います)
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この回答へのお礼

一言一句繰り返し、大切に読ませていただきました。
繰り返し読んで、情景を思い浮かべて、忘れないようにしたいと思います。
とても苦しい作業ですが、私たちが忘れてしまってはいけないように感じています。
望んで開戦していないということを、日本が厳しい経済制裁を耐え抜いた末の決断だったと知り、今まで目を背けていた自分がとても恥ずかしいです。
インパール作戦や、ペリリュー島防衛線、ニューギニア方面の作戦、中国大陸における利権争い、3国同盟などによる思惑など、必ず調べて、理解を深めたいと思います。
390万の命。本当に、悲しみしかありません。
ありがとうございました。

お礼日時:2022/04/02 05:13

NHKアーカイブに戦争経験者の話や実録ドキュメンタリーを観ましょう。



話や映像でも作り手の主観が入っていますので事実だけを認識するのが大切です。

『聞け、わだつみの声』など特攻隊の兵士の日記や手紙を集めた本もあるので調べて読んでみると良いでしょう。

私の父母や叔父叔母などは出征したり青春時代を満洲で過ごした人達の話を直接聞いて育ちました…
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この回答へのお礼

実録ドキュメンタリーなど、探して観てみます。ありがとうございます。
どうしても人は感情に流されたり、確証バイアスに陥ってしまいがちですが、ご助言いただいたように、事実だけを認識することは、事実を知ろうとすることよりも大切ですね。確証バイアスの沼にはまるくらいなら、何も知ろうとせずに無関心でいるほうがいいのではないかと感じることがあります。
実際にその時を生きた方たちのお話は、何にも代えがたい宝だと、心から思います。

お礼日時:2022/04/02 04:55

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