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タイトルの通りです。
(ちなみに会計について、私はずぶの素人です)。

減価償却での会計処理は、会計実態と差異があるのでしょうか? 

会計の歴史を追ってきて、減価償却の必要性があることが分かりました。
イギリスの鉄道会社が、初期投資分の費用がかさんだ時は赤字経営だが、事業が軌道に乗ってきたら収益が出るから、その時に株主に資本収益が分配できる、でもそれだと初期に赤字だった頃には分配できないので、初期に株を買った人間が損じゃないか、と言う理由から、「そうか、ならば期ごとに費用を分散させればいいんだ」と言う発想になったのまでは分かるのです。

しかしそうした会計処理をした場合でも、鉄道会社を発足させた時には実際に鉄道敷設のインフラ工事のための資金や、駅舎建設、蒸気機関車の製造など、初期投資のための費用がかかっていますよね? 

これは実態はこうであっても、会計における数字をみなし操作をして期ごとに初期コストを配分する(支払い実態と帳簿の数字が乖離している)と言うのが減価償却の本質なのでしょうか? 
それとも、あるいは銀行などから借り入れを行ったり、実態のインフラ工事業者や駅舎工事業者、機関車製造業者にローン支払いを段階的にする形にしたり、それをもって段階的な支払いコストとして計上し、それで実態の支払額の数値と併せて減価償却とする(支払い実態と帳簿の数字が一致している)のでしょうか。
どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。

また、もし上記の内の前者である場合、私は現金主義会計から発想が抜けきれておらず、発生主義会計と言うものが理解できない(と言うよりみなしの数字を帳簿に書いて良いとする発想に納得できない)でおります。この辺りについても整理したいので、こちらも併せて教えて頂けると幸いです。

質問者からの補足コメント

  • ここで一旦の中締めとさせて頂ければと思います。
    これはなんだろう? と好奇心を以て思って人に聞いてみたら、自分の知識レベルが極度に低いためであったかどうなのかは分かりませんが、人に罵倒を浴びせられながら知識を獲得していく。勉強と言うのはこういうものであるのですか? 知識を獲得するのは苦痛を伴うのが普通なんでしょうか? 

    私は以前も、QAサイトでこういう衝突を経験したことがありました。

    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8952302.html

    結果として、回答される側の方との誤解も解けたのではないかなと、私個人は勝手に思っています。

      補足日時:2022/05/06 22:36
  • ただ、整理をすると、こちらが不快さを感じながらも、あるいはpuyo3155さんが私の質問のどこかに憤りを感じながらも、結局愛想がすごく悪いながらも面倒見の良い親父的に丁寧に説明して頂いたのは事実ですし、この点についてはとても感謝をしております。
    私の個人的希望ではありますが、このような私の知見の低さを追求するような文章をやめて頂けると幸いです。私は単に、会計の本質を知りたいだけなのです。
    puyo3155さんの知見はおおいに力となりますが、一方で人の心を破壊する効果も併存しています。
    もしpuyo3155さんがこのような意見を言う私を気に入らなければ、本QA、あるいは今後に質問を見かけても、回答して頂かなくとも結構です。

      補足日時:2022/05/06 22:36
  • こんにちは。時間切れとなりました。
    何が正しいのかについては、今後このページを読んで頂く人に判定して頂きたいと思います。
    自由について、私から補足したいと思います。
    近代以降における「自由」とはJ.S.ミルが「自由論」の中で愚行権として定義したことによって形成されたと私は認識しています。
    愚行権とは、どのような愚かな行為も人に迷惑をかけなければ何をしても良い、と言うものなのですが、裏を返すと、社会の中で関わり合う人が迷惑がかけられるのであれば、それは自由として担保されず、制限がかけられるということです。
    しかし(ここからは一般論ではなく私個人の意見ですが)、これに制限がかけられることがよくあります。それは職能集団の組織内における職責がかかる場合です。医者が手術中なのに定時だからあがります、と言うのはできません。

      補足日時:2022/05/13 23:07
  • こうした時に、職責のピラミッドの中において、それを完遂する義務が生じ、そこに私の言う自由の制限、 puyo3155さんの言う自由があるのだと思います。こうした厳しい様態は、医師国家試験の禁忌肢問題(いわゆるどぼん)などにも現れます。
    一方、それでは患者はそうしたどぼん問題に関して前提知識を身に着けなければいけないかというとそうではなく、リスボン宣言で患者は病状について理解できるように聞く権利が、医師は患者にわかるように説明する義務が規定されています。
    この所作と義務は、場所と範囲によって変化します。
    会計においてはこうした厳格な定義はなされていないでしょう。
    しかし内部においてこうした職務上の規範はあるのではないか、と言うのが私の想像です。

      補足日時:2022/05/13 23:08
  • 仕事に時間が空いたので書いておきます。
    私とpuyo3155さんの認識にはまだ齟齬があると思います。

    まず、もし何かの勉学のために、どこかに入門する時、その時には頭を下げて謙虚な姿勢で学んでいく、と言うのは私も同意です。
    もし私が会計の道に入って本格的に学ぶのであれば、そうした姿勢を保持し、そして自分が至らぬ点については自分を責めるでしょう。
    しかし私はここのカテゴリーで質問したことと同時にその道に入った、と言う認識はありません。puyo3155さんから見れば「謙虚に学ぶべき組織に迷いこんだ」のでしょう。なのでこのカテゴリーからは出ていきます。
    私は、会計の中で行われている「減価償却で不思議なことがある、これって一体なんだろう」と素朴な疑問を持って、質問した一般人です。それは質問文の2行目に記載しました。
    なので、その道に入ってきたと認識したpuyo3155さんは叱咤して当然であり、

      補足日時:2022/05/19 21:26
  • その道に入ったつもりのない私はそんなことを言われる筋合いがない、と言う主張になったのだと思います。
    私はこのQAサイトをフランクに、しかし深く聞ける場所だと思って利用してきたのですが、それが誤りと言うことなのですね。

    私は過去17年間で、276の質問、1333の回答を様々なカテゴリーでしてきましたが、質問をした際、「質問するには前提知識が無ければいけない」と指摘されたのはこれで2例目でした。
    その前の一つは物理の質問でしたが、その詰問調で回答した物理の先生らしき人には、私の質問の意図するところと表層的表現の齟齬を理解して頂けたと思っています。

    つまり上記の物理の質問を含めて数えたとしても、このQAサイトでの私の経験上の統計の数字は0.7%であり、残り99.3%は17年間に渡ってフランクに質問をしても問題が無かったのが実情ですし、このような経緯もあって、会計カテ以外は今後の利用も

      補足日時:2022/05/19 21:28
  • そのように続けていくと思います。
    こうした私の経験から見ると、やはり「質問するには前提知識が無ければいけない」と言うのは、私から見ればpuyo3155さんのおっしゃる独自のマイルールにしか見えないのです。puyo3155さんは私以上にQAサイトのご経験がおありなのですか? 
    QAサイトは「質問するには前提知識が無ければいけない」と言う利用をしたいというpuyo3155さんの主張は尊重されるべきものですが、それを全体に適用することはできないと私は感じます。
    少なくとも、私個人が17年間で使用してきてやりとりしてきた人の中では、そう主張される方は人口比て気にマイノリティーの方に属します。
    あるいは、「QAサイトは〜」と一般化して提示された条件に従うと、私がこれまで利用してきた別カテゴリーでの行動(フランクに質問する)を制限されるような心理的状況になるので、それに対して反発しているのですね。

      補足日時:2022/05/19 21:29
  • ここまでご指摘頂いたので会計カテではもう質問しませんが、他のカテゴリーでは自由に出入りしたいと思います。

    無知の知について補足です。
    自分が知らぬことがあるならば、それを認識した上で、謙虚な姿勢で学ぶ必要があるというのは同意です。
    一般的なこの「無知の知」についての語義の中身は、ギリシャ哲学における元来の「無知の知」として使用され、「自分は十全にものごとを知っていたと思っていたけれども、自分に知識がない範囲があるので、それを知り、それを求めよ」と言う知識獲得における自己内で完結する哲理的な心構えなのであって、「だから謙虚な姿勢で他者に失礼のない態度で学べ」と言う勉学の姿勢はこの意味の範疇に含まれていません(勉学の姿勢や、他者の存在は関与しない)。ご確認頂ければと思います。
    puyo3155さんは、言うなれば、自分なりに消化した人生訓の勉強であるべき謙虚な姿勢を「無知の知」として

      補足日時:2022/05/19 21:30
  • 表現したと思うのですが、この点で一般的な語義の利用をしていません。
    もう少し直接的な書き方をすれば、元の意味を知らずに誤読されていた、と一般には認識されるかと思います。

    私の主張する歴史(初期鉄道における会計での減価償却)はないとおっしゃられていましたが、私が追加で調査するところによると、どこのサイトでもこの事例を扱っていました。ご確認下さい。
    これも好意的にフォローすれば、「(初期の運用ではそういうことがあったかもしれないが、)現在においてはその目的で使用されることはない」と言う内容だったのでしょう。

    着物警察と言うものをご存知でしょうか。検索すると私が言わんとしていることが分かると思います。
    あるいはプーチンのような人なのでしょう。周囲に「あなたのそれは間違いですよ」と諫言できる人間がいなくなったという。

      補足日時:2022/05/19 21:31

A 回答 (11件中11~11件)

会計における数字をみなし操作をして期ごとに初期コストを配分すると言うのが減価償却の本質。


「私は現金主義会計から発想が抜けきれておらず、発生主義会計と言うものが理解できない」無関係ですね。
費用収益応答原則の話であり発生主義か現金主義かとの区分とは別物です。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。

> 会計における数字をみなし操作をして期ごとに初期コストを配分すると言うのが減価償却の本質。
なるほど。

>「私は現金主義会計から発想が抜けきれておらず、発生主義会計と言うものが理解できない」無関係ですね。
> 費用収益応答原則の話であり発生主義か現金主義かとの区分とは別物です。
なるほど、こちらですが、私が用語定義からして誤認したままになっていたようですね。ご指摘ありがとうございます。

とすると、実態の事業開始コストが1億で、それを10年かけて償却する時(1年につき1000万ずつ計上)、初年度に支払っている実態の数字は1億だけれども、会計上はコスト支出としてー1000万になる訳ですよね? これって実際のお金のやり取りと帳簿上の数字があってない訳なのですが、この辺りってどういう風に帳尻を合わせているんでしょうか? 
私の誤認もあると思うので、そこを含めて整理したいです。

お礼日時:2022/05/01 21:54

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