アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

1.現在webデザイン系のサイト開発・運営してるのですが、サイト内ジャンルに「人間関係」を入れるorサブドメインを作って「人間関係」専用の特化サイトにするor新たにドメインを取得して「人間関係」専用の特化サイトにするかで迷ってますが、どれがいいと思いますか?

内容は、私が小中高虐められた経験や内向型で生きづらさを抱えていたこと、学校に行きたくなく自殺未遂をしてしまったことなどを元に、過去の自分と同じ目に遭ってる現代の中高生向けにアドバイスを発信するものです。

2.ポートフォリオに過去の実績と共に掲載して新卒就活する予定なのですが、「人間関係」のサイトorジャンルをポートフォリオに乗せ、人間性に問題があると人事に判断されて落とされることってありますか?

元々この世界に入ったきっかけは「自分と同じ目に遭って苦しんでる人を1人でも多く救いたい…!」といった思いからです。なので本来はこの「人間関係」についてを書きたかったのですが、上記のことを警戒&webデザインの勉強をしてアウトプットする場が欲しいなっということで本サイトが開発・運営することになりました。つまり、ゆくゆくは「人間関係」のサイトを同じサイトに掲載するも別々のサイトに掲載するも、作ると決めているということです。

3.サブドメインで運営する場合、サイトは別扱いにされますか?また、そのサブドメインの「人間関係」のサイトのみポートフォリオに載せない場合、人事の方にバレる可能性はありますか?その行為によって、自分の悪い部分を隠したなと悪い印象を抱かれてしまいますか?

なるべくドメイン代・更新料を節約したいので、本サイト内にするorサブドメインをつくるにしようかと考えてるのですが、上記のことが心配です。

何卒回答お願いしますm(_ _)m

A 回答 (1件)

質問の内容がつかめません。

まずはご自身の不安がどこにある
のか頭を整理してください。人事が気にするとしたら、そうい
う部分ですよ。他の人も同じ印象になるでしょうから、慌てな
いことです。

私もいじめを経験しています。運よく幼稚園くらいが初体験で
した。悩んだ末に反撃をして勝つことが出来ました。運がよい
と思ったのは年配になってからです。園児の脳では自殺を思い
ついたり出来ませんから。闘うしかないという結論を導きやす
かったんでしょう。そこから社会に出るまで計6回ほど苛めを
受けたんですが、すべて解決(自分の勝利)しています。最後
の方は勝ち慣れていたと思いますよ。

そこで考えてほしいのは私の様な人間は珍しいのか?です。
結構な数いると思います。それも昔からです。今でこそ苛め問
題が大きく取り上げれていますが、それ以前にも被害者は多数
いたと言う事も考えてください。その方々を含めて救う事はで
きません。その方々からの意見も含めて「現代との状況の違い」
を世代を超えて情報交換できるものであるなら、親御さんやそ
の上の方々(例えば政治家も含む)にとっても面白いでしょう。

被害にあったものを救う、加害者を罰する、という誰でも思い
つくものは興味を引きません。もう少し多角的にコンテンツを
作り誰が読んでも面白いという風にターゲットを分散しましょ
う。専門家のコラムや記事、行政の条例や相談機関、民間の相
談サイトなど「公的な支援」と言うモノを前面に出して偏った
情報にならないように配慮しましょう。その中で「自分個人が
行う支援・相談窓口」と言うのがあっても不思議では無いでし
ょう。

「相手の視点で相手の欲するものを先に満たし、自分の欲しい
 ものをわずかに匂わせる」

この様なバランスを意識すると善良である、信頼できる、と言
う印象をあたえると思います。

ご自身の質問を再度読んでみましょう。見ず知らずの人に対し
て(いきなり)自分の言いたいこと(だけ)を書きなぐってい
ませんでしょうか?

「~というものが流行っていますが、私の近況でも・・・とい
 うことがあり、・・・と言う理由から私が担当することにな
 りました。そこで少し悩んでいることがあります」

の様に多くの人が知っている事から落としていきましょう。
自分の所属している組織の事情、自分のミッション、自分の悩
み、その悩みが生じている理由として自分の思い、自分の思い
が生じた自分の過去の経験。

この様に幾つもの段階があります。
あわてずに、一つ一つ簡単で良いので文章を書いていけば、必
ずあなたの思いが伝わります。

「大切な思いを伝えたいのに、言葉は物臭するのか?
 なんだかチグハグじゃないかい?
 何でもするという意気込みを伝えつつ、
 言っている傍から面倒臭がってるだろ?
 それが伝わってしまうんだよ。ここは注意しようぜ」

ですね。

心が熱くなり過ぎないように。少し覚ましつつ、伝えたい方を
イメージする。この時に苛められて苦しんでいる子供も、取り
組みを相談する相手も、道ですれ違う見ず知らずの人に対して
も、同じくらい心を割くべきです。誰かを贔屓して誰かに手抜
きをする。その理由として自分の経験を語るようになってはい
けませんよ。

貴方が悩んでいるのは上の話(自分に公平な感覚があるのか心
配になっている)ではないでしょうか?

このサイトでも良くある質問として「苛めは悪い事ですか?
苛められる側にも問題があるという人がいます、本当ですか」
と言う質問があります。

私の心情としては「ふざけんな。苛める側が悪いに決まってる
だろ? おまえ体験してみろ。どんなだか分かるから」という
強い思いが湧きます。エアプは黙ってろですね。

しかし、発想を転換してみれば、

「苛められる側にも問題があると言えるのは、酷い苛めにあっ
 て、その中から状況を打開した自分だけではないか?
 同じ境遇にあったものだけが語れる論理でもあるよな」

です。受け入れがたい話ですが、ある意味、そういう資格を得
たのだとも考えられるんです。ただでは転びません。

苛めを擁護したり、苛められた子供の問題を指摘するのはどう
しても許せません。しかし、客観的な話、経緯、苛められ易い
状況、苛めを回避する方法、闘う方法などは語っても良いはず。

その上で大人たちが想像で語っている部分と今の子供たちが晒
されている現状の乖離を見つけて、

「ここが先輩方が思っている時代と違っています」

と話すことがとても大事でしょう。

では先ほど述べた公平性とはどういうものか?

自分と(想像上で出会う未来の被害者)だけを主役にするので
はなく、それらを知らない人々、苛めをしている子供、苛めら
れている子供、それを憂いて活動している人々。そういう方々
すべてをリスペクトする事です。取り上げずに無視をすれば、
それは偏った(贔屓)ものとなります。

ネットで検索すると色んな記事が出てきますよね?
あなたのサイトの読者も同じことをすると思いませんか?

「検索したら・・・こんな記事が上の方に出て来た。
 だけど、こいつガン無視だよなあ・・・
 言いたいこと言ってら・・・」

気軽に検索をする。その人たちが思う事。
全く知らない人が感じる事。

その人になったつもりで自分の方が先に共感をしないといけな
いと思いますよ。

「人間だったら初めに(何気なく)これをするだろうなあ」

と言う感覚で入り、その時に感じるだろうことを経験者として
語り、補足することで価値を生み出すと思います。

「そうか・・・検索一覧の上位から私がケアすべき対象という
 わけか。カテゴリを分けてそれぞれの記事やその人たちの立
 場や考え方、取り組みを漏らしてはいけないな。
 なんだ、検索一覧がそのままやる事リスト?」

こんな対応をした中で最後の方に自分の番組をいれても、誰も
可笑しいと思わないはずです。

「情報を網羅しているのは分かった。で、君は何をしたいんだ
 い? 君ならではの部分が無ければ・・・あ、最後にあるの
 ね失礼しました。・・・何というか立派だね」

苛めの問題にかかわらず、製品や商品、サービスや娯楽。どう
いうものであっても、入り方や説明の仕方は同じにしましょう。

このサイトへの質問も同じです。
段階を端折らずに落としていき(昨今の流行りや事件の話、自
分が所属する組織の事情、自分のミッション、自分の悩み、自
分の思い、その理由となった自分の過去の経験や体験)ましょ
う。そして、それらを実現する場合は、当事者だけではなくテ
ーマに対して取り組む全ての人を公平にリスペクトし、最後に
自分の取り組みを入れる。

逃げたり隠したりせずに真正面から闘うことです。

正攻法と言うのは、

「関連するすべての人の思いを尊重し手を抜かない。敵と味方
 という二元論にしない。より深く理解を誘い、その上で自分
 の考えに共感を呼ぶことである」

ですね。自分の主張を通したいがために色んな論理を構築した
り、敵の論理を駆逐したいために反論をするのは不毛です。

何故かというと、

「本当の勝利は、経験したことが無く、興味の度合いが低い人
 を数多く味方につけることである」

からです。

苛めに対しても同じようにして闘うんですけど。初回と二回目
くらいはクラス中が敵に見えてしまうでしょう。そのままです
と自滅しそうになりますよ(そうなるんですよね)

「他の人は興味が無いだけ。敵じゃない。敵じゃない。まずい、
 悔しくて悔しくて敵に見える。知らないだけ。知らないだけ。
 こちらから喧嘩を撃って本当に敵にして仕舞うのだけはだめ
 だ。それこそ苛める側の思い通り。単なる間抜けだ」

まずはあなたが人事の方?や他の方を敵として警戒しているよ
うに思えます。そうであるなら、まだ貴方は救われておらず、
他人を救うほど回復していないと言う事です。何某かの偏見を
作り込んでしまい、知らずに敵を増やすかもしれません。

君子危うきに近寄らず。です。

思いは想いとして、まずは自分を癒す事でしょう。
思いつめている自分を子供たちに見せるのか?
幸せそうに笑う自分を子供たちに見せるのか?

「あなただって私みたいになれますよ?」

と語るわけです。その自分が幸せにそうに見えていなければだ
めでしょう?

社会は温かく。大地に寝転がって居眠りできる。
そんな風に感じられた時、貴方もトラウマから解放されたとみ
るべきです。そこまでは自分を信用せずに、立ち直る(元気に
なる)と信じて、見捨てないで付き合いましょう。

Webの構成をどうすべきかは後半書いた通りです。
公平性(関連するすべての人の取り組みをリスペクトして網羅
する)を担保すれば不可思議なサイトには見えないと思います。

以上、雑駁としましたがご参考になれば。
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