1. 《空(シューニャター)》を 神と見立てればよいものを あくまで人間の境地だと言い張った。
2. 《目覚めた(ブッダ)》状態としてであり 《神として》ではなく 《神の場に行き来できるような存在》として にんげんなる《われ》にその境地があるのだと言い張った。
3. ブッダ状態としての《さとり》とは ここで あくまで《確率》として存在するというものである。その存在についても状態についても ついぞ人が確定して認識しえず言葉によって表現することすら成しえない場なのだと。
4. ブッダよ あんたのさとりを示せという疑いや要求に対しては あくまでシラを切る。《表現しえず》と。
5. さとったのなら 人びとに分かるように説明せよと言われても 沈黙をまもる。
6. 人びとが それはこれこれの状態を言うのではないか? と尋ねた場合には いやいや さとりとは そんな生ぬるい境地などではないと答える。
7. では どうなのか? という問い返しには だんまりを決め込む。
8. ゴータマ・ブッダのさとりは 表現の問題におさまるかと考えられる。
9. 人びとに分かるように説明しえないならば そのさとりは インチキではないか? という問いに対しては いやいや われははるか昔からはるかこの先までブッダである。と言って聞かない。
10. 説明が出来ていないではないか? という問いに対して いやいや われは その現場を取り押さえられても姦淫はしていないとどこまでも言い張るごとく ブッダなりと答える。ブッダはブッダなんだよおーんと。
11. 《表現およびやり取りの問題》にすべてをおさめようというおそろしく決意の固い宗教家なのではないか?
12. 一方で 人びとの求道の心を引き出し ただし他方では そのさとりの過程にあることでいいんだと――あたかも おれはさとりを得たと言ったもん勝ちだと言わんばかりに あるいは証明にかんしては ブッダになってみなければ・ブッダどうしでなければ分からんのぢゃわいとどこまでも逃げ しかも――ブッダ論をぶちつづける。
13. 元祖カルト教祖。
☆ まちがいを正してください。
No.15
- 回答日時:
貴殿がイエス・キリストを信じて、又、神の志を継いだ、アウグスティヌスやパウロのようなキリスト者を尊敬なさると仰るならば。
貴殿は、信仰することと、非認識の庭 に至る過程に、思考があるのではないのか、と私の推測では、貴殿は悩まれていらっしゃるようですが。
貴殿がアウグスティヌスなら、マニ教が土着の宗教となっていた氏が回心して、キリスト者になるという、覚悟。
又、パウロなら、キリストの聲を聞くことに依って、盲目となり、神の奇蹟に依って、再び、視力が快復したこと。
これらを非思考で信じなければならないのだと思われます。
飽くまで、私の視点なので、間違っているのかもしれませんけれど。
★ 信仰することと、非認識の庭 に至る過程に、思考があるのではないのか
☆ いやいや。ごちゃまぜです。
《非思考の庭》というのは 信仰の成る場です。感性や理性を超えているので 《非思考》とよびます。
つまり 非思考の庭が成ったということは 信仰することです。
そうですね。
★(☆ 編集しました) 思考が介在しているのではないか?
☆ という疑問にお答えしますが:
或る日或る時 わが心の窓をたたく音がする。
これを受け留め ひょっとすると神のノックする音ではないかと思ったとき これをわが心に受け容れた・・・ということです。
★ これらを非思考で信じなければならないのだと思われます。
☆ 《心に受け容れる》というのは 人間の意志行為です。思考を伴なわないとは言えないでしょう。特に思考している必要もないですが。
あとは けっきょく神という言葉 もしくは オホモノヌシならそれとしての名前 これを――これらシルシを――無条件で無根拠にてなお心に受け容れているということです。
シルシを受け容れるというのは ほとんど何も実体はないです。
☆ マニケーイズムからの解放は そのオシへを否定すればよいだけです。
☆ サウロが ダマスコへの道でイエスのまぼろしに出会って 目が見えなくなったというのは そのときの信仰の成立に一定の時間がかかったということです。
ちゃんと ダマスコへ着いたら誰々に会いなさいと示されていたのですから 失明が起こり回復したというようなヤマヒの問題ではないはずです。
☆ 疑問点や批判点 どしどしお寄せください。
No.11
- 回答日時:
故・畑田重夫 (2022/11/22 (火) 白寿で他界) を知らないようでは、大学を卒業した者としては恥晒しなのでしょうが、実は私は氏を死去するまで存じ上げていませんでした。
姓は窺った経緯はあったかもしれませんが、お顔を拝見したのは、氏が死去してからのことです。
なまえをどこかで聞いたような 空耳のような。
いづれにせよ 思想を読んだことがないので――付け焼刃もしたくないし―― いまどうにもなりません。
日共については その研究心や社会問題の追及をめぐって よくやっていると思うことがあります。
ただし 共産主義という系譜の問題としては 裏切り――途端に暴力行使へと 方針がくつがえる――がおそれられます。
No.9
- 回答日時:
きょうの潮流 2022年11月24日(木)
最後にお会いしたのは去年の暮れでしたね。待ち合わせの駅に笑顔で現れたあなたは、夢中になって語っていました。ご自身のこと、政治のこと、そして大好きな野球のこと
▼今年は自分が白寿、日本共産党が百寿を迎えることをなによりも喜んでいました。99年の人生と重なる党の歴史。青春時代に軍隊生活を経験し、仲間たちは輸送船とともに海に沈みました。生き残ったひとりとして反戦平和のために1日でも1時間でも長く元気に生きると決意しました
▼戦後学者となったあなたは「ひと」を残しました。手弁当で講師をひきうけ、若者や働く人びとに学ぶ喜びをひろめました。それぞれの興味や関心、要求から出発し、より深く物事を理解できるように心を込めて
▼あなたは、つねに日本国憲法を生活の中に置いて行動していました。条文を初めて読んだときに覚えた感動を忘れず、とくに戦争放棄と戦力を持つことを禁じた9条を絶対に守りぬく。それを生涯の使命と課して、改憲の動きに目を光らせてきました
▼あなたは、たたかうものをいつも励ましました。本紙「読者の広場」への投稿は生きる希望に満ち、苦労のなかで活動する人たちの背を押しました。3カ月前の最後の投稿でも新たな学びを得た喜びと平和への思いがつづられていました
▼息が絶えるまで民主主義と社会の進歩に貢献したいと話していました。あなたが種をまき育ててきた草の根は、いまも全国で歴史を一歩一歩前に動かす力に。さようなら、畑田重夫さん。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%91%E7%94%B0 …
No.6
- 回答日時:
私は、仏陀は今で云う心療内科医みたいなもので、精神的苦痛に対処する方法を教えていたのだと思っています。
つまり、仏陀は宗教家ではない。経験的に人を苦から解放する方法を発見し、その知見で悩み多き人々を救済していた人だ。ある意味非常に合理的な人物だったはずだ。
だから具体的な答えがない抽象的な宗教問答や、当時の人知で不明なことには「笑って答えず」の態度で通した。
宗教家ではないのだから、奇跡だとか、突拍子もない非科学的ことを言って人を惑わす必要もない。
宗教家ではないのだから、元祖カルト教祖と決めつけるのは筋違いかと考えます。
ご回答をありがとうございます。
★ 私は、仏陀は今で云う心療内科医みたいなもので、精神的苦痛に対処する方法を教えていたのだと思っています。
☆ ということは お布施が 診療代金ですか。
★ つまり、仏陀は宗教家ではない。
☆ うまい仕組みを考え出すのが 《シューキョ―》です。
★ 経験的に人を苦から解放する方法を発見し
☆ ぢゃあ その後二千有余年 ずいぶんたくさんの人たちが 苦から解放されましたね。いまでは 解放されていない人をさがすのが 一苦労ものですよね?
★ その知見で悩み多き人々を救済していた人だ。ある意味非常に合理的な人物だったはずだ。
☆ ペテンの仕組みとしては ですね。
★ だから具体的な答えがない抽象的な宗教問答や、当時の人知で不明なことには「笑って答えず」の態度で通した。
☆ いいえ。法華経でシャーリプトラははっきりと《さとり》とは何か 説明してほしいと懇願したのです。大衆が混乱するから 答えないという返事でした。
★ 宗教家ではないのだから、奇跡だとか、突拍子もない非科学的ことを言って人を惑わす必要もない。
▲ (スッタニパータ)
1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
☆ 《この世とかの世とをともに捨て去る》――なるほど。《科学的合理的》ですよね!?
★ 宗教家ではないのだから、元祖カルト教祖と決めつけるのは筋違いかと考えます。
☆ わるいけれど 完全にゴータマ・マジックにイカレポンチだと診断します。
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回答№25が 出て来ない。
№25お礼コメント
ご回答をありがとうございます。
★ こんなくだらない質問をする前に自分自身があまりにもくだらない人間だということに気づきましょう。
★ あなたの言っていることが間違いかどうかあなた自身が人生の中で見出してください。
☆ 以上二点は ご自身のことをしゃべっておられる。
★ 何か気に入らないことがあったんですか?
★ お釈迦様がどこであろうがあなたには関係ないと思いますよ。
☆ 日本社会が 甚大な被害をこうむっています。ゴータマ・ブッダのエピゴーネンが出て来ていますから。
それだけではなく ふつうのかしこい人たちでさえゴータマ・マジックにイカレポンチな状態です。
ゴータマは さとりの中身について明らかにしないゆえにこそ 《深遠な哲理》を浮かび上がらせているのだといったふうに言う人があとを断ちません。