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1. まづ 世界と人生の中に生老病死の四苦を捉えこれが無明によって生じると説いたゴータマ・ブッダのオシへは 脇に措いておきます。

1-1. 無明なる悪から明知なる善へとさとりをひらくと言ったとしても 悪が悪という起源そのものだと見ている世界の部分領域がある(悪という根源がつねにのこされている)・・・ことになる。

1-2. なら 勝手にしやがれ となるはずだ。われわれは これを人間ないし人間の思想だとはみとめないという意味だ。のぞみの無駄・無理を説いているのだから。

1-3. 世界は永遠に―― 一部分にブッダのさとりを得た者が出たとしても――総じて無明なる煩悩のもとに悪なる状態にありつづけると説いたことになるからだ。



2. 十界論を取り上げる。

3. 早く言えば 地獄界なる悪も菩薩界ないし仏界なる善も ともに縁(環境や間接的な原因)によって現われ出ると言っている。

4. 人界ないし菩薩界なる善という生命状態も そこから縁によって 餓鬼界や畜生界に落ちてゆくのだし 地獄界なる悪にくるしんでいる生命状態も やはり縁によって声聞・縁覚や菩薩界の善なる状態に移り行くことがあるのだと。(十界互具というらしい)。

5. だとすると 悪の起源は どうなるか?


6. こうであろうか?

人の――あるいはさらに含めるに 五蘊世間・衆生世間ないし国土世間といった広く三世間におけるところの――生命状態には 地獄界なる悪もあれば 菩薩界なる善もある。もともと(起源そのものとしてのごとく) 善も悪もともに潜在している。

善は善なる起源から 悪は悪なる起源から それぞれそのまま《縁に触れ縁に依って》 あらわれ出る。

ただし 地獄界なる悪の縁に出遭っても 菩薩界なる善を保ち続ける場合もあるということらしい。



7. どうなるか?

前項の但し書きによれば――そして 地獄界なる悪から 仏界という縁に出会えば その善なる生命状態へと移ることができるといった事態を加味するならば―― 悪なる縁は悪へと誘い出すことができるが 善なる縁は 悪なる縁に影響を受けるけれど 時に悪の生命状態へと連れ去られることがなくて済むことがある。

8. ならば 《縁》なる事態は 善を悪へとみちびくハタラキよりも 悪を善へと押し上げるハタラキのほうが 本職である。のではないか。

9. また 縁のハタラキと言っても 悪を善へと連れ戻すのは 環境でありつつ十界のうちの仏界ないし仏性といったチカラである。縁というより 人間の存在のほうでもある。


10. ならば 悪は 善が或る日或る時ふと迷い込んで落ち入った状態であると言えたとしても 善は 悪が時々遊び心でたわむれ現われ出るようになった状態だなどとは 言えまい。

10-1. 悪から善へ移るというのは 悪に落ち入った善がもともとのみづからの状態へと立ち戻るときのことを言っているはずだ。

11. 世界は 善が 悪を引っ張り上げるか それとも 善が非力で悪へとさそわれるか いづれかである。

12. 悪の起源は 前項の後者の場合であって もともと善とならんで同等のチカラとして独自の起源になっていたという説は 考えられない。のではないか?


13. ゴータマ・ブッダは 目覚めた(ブッダとなった)とは言ったが ついぞ ブッダター(仏性・仏界)を説くことはなかった。

質問者からの補足コメント

  • №1 つづき

    ☆☆ >13. ゴータマ・ブッダは 目覚めた(ブッダとなった)とは言ったが ついぞ ブッダター(仏性・仏界)を説くことはなかった。

    ★ (仏性・仏界)という言葉こそを使ってはいないが、『仏』という言葉を使って(仏性・仏界)を表わしている。
    ☆ これは おもな論点ではないですが 要するに《アン‐アートマン(無‐霊我 / 無我・非我》――つまり 《〈無い神〉という神》――と言ったのです。

    《無‐仏界》という神性・仏性・霊性・生命性なんです。好意的に解釈すればですが。

    《無‐アートマン》なる――絶対無なる絶対性としての――さとりに目覚めた(ブッダ)と言ったのです。

    後世にこれを《有‐アートマン》に戻したのです。さすが 言葉は替えました。ブッダターないしブッダ・カーヤと。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/01/15 23:23

A 回答 (6件)

オチイルという漢字は


「落ち入る」と当てるのではなく、
「陥る」という字ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

語源にこだわるクセがあります。それゆえなのですが。



おかしいですか?




たぶん それでも自分流を押し通すのは 文章を読むときにいちいちわざわざ振り返ってみて欲しいという勝手な意図があります。

ゴツゴツしていて読みづらいと感じるほどに 立ち止まって再読・再再読してほしいというコンタンです。

お礼日時:2023/01/24 03:32



勝手にしやがれ 

という歌があったね。
ご存知でしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


☆☆ ~~~
10. ならば 悪は 善が或る日或る時ふと迷い込んで落ち入った状態であると言えたとしても 善は 悪が時々遊び心でたわむれ現われ出るようになった状態だなどとは 言えまい。

10-1. 悪から善へ移るというのは 悪に落ち入った善がもともとのみづからの状態へと立ち戻るときのことを言っているはずだ。
~~~
☆ これが 問い求める命題です。

お礼日時:2023/01/23 19:15

No.2です。



>★★ 何らかの縁を受け、、、善は善なる起源から 悪は悪なる起源からあらわれ出る。
☆☆ つまり 《互いに独立したふたつの生命状態である》という説だと思われます。

☆ つまり 《善は善なる起源から 悪は悪なる起源からあらわれ出る》なら ふたつの相異なる起源がある。

見解を変更していますか?

★下記参照。





No.3です。

>★ この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。

>☆ けれども:
★★ 何らかの縁を受け、、、善は善なる起源から 悪は悪なる起源からあらわれ出る。
☆ のでしょう?

★下記参照。 





>十種の生命状態をそなえた人間。その中で四悪趣は 悪なる起源から現われ出るのであり ひろく人・天をふくめた二乗・菩薩・仏の善は 善なる起源から現われ出るというのでしょう?

★四悪趣は 悪なる起源から現われ出るのであり⇒
地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界を総称して四悪趣と呼んでいます。悪なる起源から現れるのではなくて、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界が悪なのです。

★ひろく人・天をふくめた二乗・菩薩・仏の善は 善なる起源から現われ出るというのでしょう?⇒
善なる起源から現れるのではなくて、仏、菩薩が善なのです。





>善と悪と互いに相異なる起源はあるが 総じて同じ十界具足なるひとりの人間としては 根底の起源がひとつだということでしょうか?

★根底の起源は、、、10種類、、、だという事です。
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この回答へのお礼

( a )★ 根底の起源は、、、10種類、、、だという事です。

( b )★★ 何らかの縁を受け、、、善は善なる起源から 悪は悪なる起源からあらわれ出る。

( c )★ 地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界を総称して四悪趣と呼んでいます。悪なる起源から現れるのではなくて、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界が悪なのです。

( d )☆☆ ひろく人・天をふくめた二乗・菩薩・仏の善は 善なる起源から現われ出るというのでしょう? ⇒ ★ 善なる起源から現れるのではなくて、仏、菩薩が善なのです。

お礼日時:2023/01/17 02:12

No.2です。



質問者様には、不必要だとは思いましたが、議論がかみ合わないため再度掲載しておきます。



【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。


■作成したのがかなり以前なので、私自身ももう少し詳しく的確に説明できるよう、これを機に研究し新たにまとめてみたいと思います。
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この回答へのお礼

★ この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。

☆ けれども:
★★ 何らかの縁を受け、、、善は善なる起源から 悪は悪なる起源からあらわれ出る。
☆ のでしょう? 

十種の生命状態をそなえた人間。その中で四悪趣は 悪なる起源から現われ出るのであり ひろく人・天をふくめた二乗・菩薩・仏の善は 善なる起源から現われ出るというのでしょう?

善と悪と互いに相異なる起源はあるが 総じて同じ十界具足なるひとりの人間としては 根底の起源がひとつだということでしょうか?

お礼日時:2023/01/16 21:00

No.1です。



>☆☆ >6. 〔悪の起源は〕こうであろうか?

>人の・・・生命状態には 地獄界なる悪もあれば 菩薩界なる善もある。もともと(起源そのものとしてのごとく) 善も悪もともに潜在している。

★ その通り。
>☆ なるほど。ここからが 問題になると思います。善と悪とは 互いに独立した状態か? です。

ks5512さんの説を確認しますと:
★ 何らかの縁を受け、、、善は善なる起源から 悪は悪なる起源からあらわれ出る。
>☆ つまり 《互いに独立したふたつの生命状態である》という説だと思われます。

★これは以前、あなたと『十界論』を議論した時に話した事かも知れないが、、、

>ふたつの生命状態である

ではなくて、1つの生命に10種の境涯が内在されている事を、『十界具足』というのだとお話ししたはずです。要するに、1つの生命の中に、10種の境涯があり、縁に触れてそれらの境涯が瞬間瞬間に変化するのが人間の生命である、、、という事です。





>☆ >ただし 地獄界なる悪の縁に出遭っても 菩薩界なる善を保ち続ける場合もあるということらしい。

>★ 善を保ち続けられれば、悪に出遭う事は無い。
要は、どの生命状態(境涯)が一番強く出るかである。
>☆ これは 納得しがたいですね。ゴータマ・ブッダも 要するに悪魔と対話しこれを退けている。出遭いはあるのでは?

★これ、、、想定が違います。一つの生命の中での話です。
善が強ければ善が表に現れて、悪が強ければ悪が表に現れます。






>☆☆ >8. ならば 《縁》なる事態は 善を悪へとみちびくハタラキよりも 悪を善へと押し上げるハタラキのほうが 本職である。のではないか。
>★ 『縁』の捉え方が間違い。
>☆ その心は?

★縁が、、、善を悪へとみちびく、悪を善へと押し上げる、、、という事ではないのです。
縁に触れて、生命の中に内在する十種類の境涯が変化するのです。
この『縁』というのは、いくつかの違った意味を持ちます。
過去世からの縁もありますし、現世における縁もあります。
相対する他人との意思疎通も、この縁の一つに過ぎないでしょう。
そしてそうしたところからもたらされる縁によって生命状態が変化するのです。



☆☆ >9. また 縁のハタラキと言っても 悪を善へと連れ戻すのは 環境でありつつ十界のうちの仏界ないし仏性といったチカラである。縁というより 人間の存在のほうでもある。

★ だから、そういう縁じゃないんだってば、、、。
そこで、『人間の存在』なんて言葉を出しちゃダメでしょ。
そういう事をするから、滅茶苦茶だっていうのですよ。
☆ 一切衆生悉有仏性なら 人間存在の仏界でしょう。

そういう事を言っているのではないのです。
十界論をベースに、生命状態の『善』、『悪』の話をしているのですから、『一切衆生悉有仏性』なんて事は、大前提にあるのですよ。それでなければ、十界にはならないでしょう。
要は、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界(辟支仏)、菩薩界、仏界の発生の仕方の話をしているのですよ。
それらは、縁によって起こり、瞬間瞬間変化していくものだという事です。
それによって、心も変わり、意識や言葉、表情も連動し、そうした事によって行動が起きる、、、と言っています。

そして、その言葉や行動の結果として、『善』、『悪』は起きると言っています。





>批判はわかりましたが その中身が分かりません。次には わが見解[10~12]が引いてあるのですが?

★これは、十界と縁の関係が正しく理解できれば、内容が変わると思います。
先ずは、『十界』という生命状態と、それを引き出す『縁』という事を良く理解してください。それについては、もう十分に分かりやすく説明をしてきています。
これを理解できなければ、続けて話しをしても無意味です。
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この回答へのお礼

☆☆ ks5512さんの説を確認しますと:
★★ 何らかの縁を受け、、、善は善なる起源から 悪は悪なる起源からあらわれ出る。
☆☆ つまり 《互いに独立したふたつの生命状態である》という説だと思われます。

☆ つまり 《善は善なる起源から 悪は悪なる起源からあらわれ出る》なら ふたつの相異なる起源がある。



見解を変更していますか?

お礼日時:2023/01/16 20:52

>5. だとすると 悪の起源は どうなるか?


>6. こうであろうか?

>人の――あるいはさらに含めるに 五蘊世間・衆生世間ないし国土世間といった広く三世間におけるところの――生命状態には 地獄界なる悪もあれば 菩薩界なる善もある。もともと(起源そのものとしてのごとく) 善も悪もともに潜在している。

★その通り。


>善は善なる起源から 悪は悪なる起源から それぞれそのまま《縁に触れ縁に依って》 あらわれ出る。

★何らかの縁を受け、、、善は善なる起源から 悪は悪なる起源からあらわれ出る。


>ただし 地獄界なる悪の縁に出遭っても 菩薩界なる善を保ち続ける場合もあるということらしい。

★善を保ち続けられれば、悪に出遭う事は無い。
要は、どの生命状態(境涯)が一番強く出るかである。


>7. どうなるか?
>前項の但し書きによれば――そして 地獄界なる悪から 仏界という縁に出会えば その善なる生命状態へと移ることができるといった事態を加味するならば―― 悪なる縁は悪へと誘い出すことができるが 善なる縁は 悪なる縁に影響を受けるけれど 時に悪の生命状態へと連れ去られることがなくて済むことがある。

>8. ならば 《縁》なる事態は 善を悪へとみちびくハタラキよりも 悪を善へと押し上げるハタラキのほうが 本職である。のではないか。

★『縁』の捉え方が間違い。


>9. また 縁のハタラキと言っても 悪を善へと連れ戻すのは 環境でありつつ十界のうちの仏界ないし仏性といったチカラである。縁というより 人間の存在のほうでもある。

★だから、そういう縁じゃないんだってば、、、。
そこで、『人間の存在』なんて言葉を出しちゃダメでしょ。
そういう事をするから、滅茶苦茶だっていうのですよ。


*********************************************
>10. ならば 悪は 善が或る日或る時ふと迷い込んで落ち入った状態であると言えたとしても 善は 悪が時々遊び心でたわむれ現われ出るようになった状態だなどとは 言えまい。

>10-1. 悪から善へ移るというのは 悪に落ち入った善がもともとのみづからの状態へと立ち戻るときのことを言っているはずだ。

>11. 世界は 善が 悪を引っ張り上げるか それとも 善が非力で悪へとさそわれるか いづれかである。

>12. 悪の起源は 前項の後者の場合であって もともと善とならんで同等のチカラとして独自の起源になっていたという説は 考えられない。のではないか?
*********************************************


>13. ゴータマ・ブッダは 目覚めた(ブッダとなった)とは言ったが ついぞ ブッダター(仏性・仏界)を説くことはなかった。

★(仏性・仏界)という言葉こそを使ってはいないが、『仏』という言葉を使って(仏性・仏界)を表わしている。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


☆☆ >6. 〔悪の起源は〕こうであろうか?

>人の・・・生命状態には 地獄界なる悪もあれば 菩薩界なる善もある。もともと(起源そのものとしてのごとく) 善も悪もともに潜在している。

★ その通り。
☆ なるほど。ここからが 問題になると思います。善と悪とは 互いに独立した状態か? です。

ks5512さんの説を確認しますと:
★ 何らかの縁を受け、、、善は善なる起源から 悪は悪なる起源からあらわれ出る。
☆ つまり 《互いに独立したふたつの生命状態である》という説だと思われます。



☆ >ただし 地獄界なる悪の縁に出遭っても 菩薩界なる善を保ち続ける場合もあるということらしい。

★ 善を保ち続けられれば、悪に出遭う事は無い。
要は、どの生命状態(境涯)が一番強く出るかである。
☆ これは 納得しがたいですね。ゴータマ・ブッダも 要するに悪魔と対話しこれを退けている。出遭いはあるのでは?


☆☆ >7. どうなるか?
・・・
☆☆ >8. ならば 《縁》なる事態は 善を悪へとみちびくハタラキよりも 悪を善へと押し上げるハタラキのほうが 本職である。のではないか。

★ 『縁』の捉え方が間違い。
☆ その心は?


☆☆ >9. また 縁のハタラキと言っても 悪を善へと連れ戻すのは 環境でありつつ十界のうちの仏界ないし仏性といったチカラである。縁というより 人間の存在のほうでもある。

★ だから、そういう縁じゃないんだってば、、、。
そこで、『人間の存在』なんて言葉を出しちゃダメでしょ。
そういう事をするから、滅茶苦茶だっていうのですよ。
☆ 一切衆生悉有仏性なら 人間存在の仏界でしょう。

批判はわかりましたが その中身が分かりません。次には わが見解[10~12]が引いてあるのですが?


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・・・

>11. 世界は 善が 悪を引っ張り上げるか それとも 善が非力で悪へとさそわれるか いづれかである。

>12. 悪の起源は 前項の後者の場合であって もともと善とならんで同等のチカラとして独自の起源になっていたという説は 考えられない。のではないか?
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☆ 悪は元からあったのではなく 善が 善みづからによって傷つけられて落ち入った状態を 悪と言う。と言っているんですが?

つづく

お礼日時:2023/01/15 23:17

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