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弱いことは悪で、強いことは正義なのでしょうか?

A 回答 (8件)

正義とはとても相対的な概念です。

ある特定の国家、社会、宗教、集団だけにとって正しく正当性がある行いや事柄です。絶対的な正義というものはありせん。例えば、JASRACにとって著作権を保護する新法案は正義とされているがANONIMOUSという集団からしてみればネットでの情報流通の自由を阻害するという観点から新法案は非正義です。

善悪といった倫理的な価値観も正義同様に社会にとって絶対的善悪というものはありません。ある社会にとって善とされる事であっても、別の社会では悪とされる事はよくあります。


ある集団において弱いこと(弱い能力)が悪である例

駅伝チームAにとっての足の遅い走者

全員の走者の総合的な走力が競技の順位を決定するので足の遅い走者は駅伝チームAにとって悪だといえます。(前提として、この駅伝チームAの正義は、より良い順位を得ることにある場合とします)

しかし、駅伝チームBの正義が走力の弱い補欠の4年生を最後の花道として駅伝大会に出場させることにあるとしたら、走力が弱いこと自体は悪とはなりません。逆に、より良い順位を得るために、走力の弱い補欠の4年生を欠場させ、走力の強い1年生を競技に出場させることは駅伝チームBの正義からすると、悪となります。

走力の強い1年生は個人的な感情としては納得出来ないかもしれません。実力主義であれば当然自分が競技に参加出来ていたはずですから。その集団に帰属している人の倫理観とその集団が要請する倫理観にはこういったずれは頻繁に起こる事だと思います。

「弱いことは悪で、強いことは正義」ということが成立するのは「弱いことが悪で、強いことが正義」という前提ルールが適用されている社会、集団内においてです。したがって実力主義、利益至上主義が基本ルールである社会においては「弱いことは悪で、強いことは正義」 成立しやすいはずです。

また、「弱いことが悪で、強いことが正義」以外の価値が優先される集団においては「弱いことが悪で、強いことが正義」の倫理観は最優先されないはずです。
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正解です。



生物学的見地が絶対値ですから。

生き残って子孫を残せる命が正義です。

ただし、「戦闘力の高さ」ではありません。
気の弱い奴は警戒を怠らないので、生き残るチャンスも増えます。
さらに、健常ではない姿で生まれたものも、他の使える能力を健常者以上に発達させます。

生き残る為にコロニーを形成し、社会や国家を構築します。
生物学的価値観に立ち返れば、社会の価値観の絶対値が理解できますよ。
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そうだよ

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その通りです。



どんなに悪辣な手段を使っても、勝てば正義になれるのです。
それが人間の歴史です。
日本は、大東亜戦争で負けたので悪者にされました。
侵略を先に始めた英米は勝ったので正義の使者です。

悪とか正義、なんてのは人間が勝手に造った概念です。
太陽や月がそこに存在するのとは意味が異なるのです。
それを混同しているから、奇妙に感じるだけです。

負けた徳川幕府は無能腐敗の塊であり、勝った薩長は
勤王の志士です。
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>弱いことは悪で、強いことは正義なのでしょうか?



○その時代の正義とは何かについては大多数の人にはわからないものです。目先のことであれば弱いことは悪で、強いことは正義のように見えるでしょうね。でも10年、50年、100年あとに正義と評価されるかどうかですね、
例えば、明治維新前夜、おおくの倒幕派の浪人が暗殺されました。当時はテロリストであった彼らが今ではどうでしょう。坂本龍馬は英雄ですね。強い新撰組は正義であったはずですが、敗軍として露と消えてしまいましたね。
正義とは強いとか弱いということではないということですね。
巷では、消費税法案に反対した議員が90人ほどいましたが、彼らは弱者ですね。でも歴史がどういう答えを出すかは別の話ですね。歴史的に予言すれば反対した議員に正義があったということになると思いますよ。
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【正義】=【当人の趣味の正当化】



【弱い】か【強い】かは@無関係
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人類は社会的生命であり、いかなる個の能力も、その絶対評価は、


社会全体への寄与において測られる。
つまり、個体として如何に“強く”ても、悪=社会性が乏しければ、
その参画において社会全体は弱化する、即ち真の意味(生物的
生存競争)において弱い(というよりマイナス)であるのに対し、
如何に“弱く”ても社会性があれば、その参画において社会は
多少なりとも着実に強化される。

つまり「弱い事が悪」と考えがちなのは、人類が社会性の発達に
おいて、個々の意識の社会生命的自覚を育てずに、お金や出世
といった“馬車馬の目の前のニンジン”によって、他律的に社会性
のコースを走らせるようになった結果、働く=分業とは本質的に
助け合っている事でありながら、それが“お金をもらうために嫌々
働かされる”ものとなる事で、個人の意識としては「お金を奪い合
う弱肉強食の疑似ジャングル」と化してしまっている事に由来する。
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だれが、そんなこと言ったんだ!弱さが真実で、強さは幻だ。

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