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A 回答 (10件)

良い結果を招くのが善で、悪い結果を招くのが悪でしょう。


人の行為に対しての結果論です。
真実は、善悪という言葉に潜む「業」にあります。
「業」に対する視点によって善悪の基準や判断が変わってしまいます。
人が人の業をどう見るかによって善悪が判断されているのでしょう。
善のレベルは良心に任された曖昧なものであっても、悪のレベルは法律という厳しさをもって判断されています。
そうでないと人間社会が保てないからでしょう。

他者を活かすのが善で、他者を損なうのが悪でしょう。
他者を活かす行為(業)が善で、他者を損なう行為(業)が悪でしょう。
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この回答へのお礼

と云う事はこの世には法に引っ掛からない悪が沢山在りますね。

お礼日時:2011/05/25 10:24

幸福の理由が善,災禍の理由が悪だと思う。

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この回答へのお礼

と云う事はこの世には法に引っ掛からない悪が沢山在りますね。

お礼日時:2011/05/25 10:24

静物としての人間にとって、生きる事は根源的意志=任意の選択であり、「善悪」は、二次的選択としての社会性(=分業、組織化)において派生するものである。


つまり、本質的に「善悪」以前に、「意志の充足」という絶対的価値がある。
宗教やモラルいおいて、「善悪」の概念を先入的価値として絶対化せねばならないのは、そうした本質的な把握をせず、現象的なものに“仮想的第一原因”を求めるがゆえである。

深まる認識が、現象をより原理的に把握したり、また、組織化に於ける個体間相互作用を経験的に編成したりして、体系化(>世界観)する上で、経験の基底(移入)であると同時に意志として認識上に展開される衝動も、不可分に体系性(>価値観)を帯びてくる。
その中で、未だ認識化されない原理に基づく現象の経験的先入化による、あるいは組織化の分業に於ける相対的な環境の違いに基づく認識の違和の他律的原理化による、体系への編入(常識)は、そこに於ける衝動及びその原動力たる進化の展開が認識されぬ以上、自我(衝動充足)以外の先験的価値領域を形成する。

そこに於て、進化(反エントロピー=生~充足)方向現象に於ける自己中心的認識の補完を善と呼べば、それに反する被淘汰(正エントロピー=死~非充足)方向のそれを悪と呼びうる。

その、短絡的利己の社会システム的(認識外)矯正としての、善-悪寄生体系は、より深まる認識に於て、内なる物理=自己の認識システムの存在原理(自我仮説と時空仮説の相補分化)としての把握と、外なる物理=社会システムの自己の生命の延長としての把握による、全衝動の自己の生(反エントロピー)への集束によって、認識体系に吸収され、即ち全環境(宇宙)の自己としての理解と、全行動の(生産)の利己としての把握に到達する事により、その「意志による生=生存自体による充足」は、最高認識に基づく最大生存に於ける完全充足、即ち最大充足を実現する。

それこそ、現象の如何を問わず、一切の認識=全ての宇宙の、究極の理想であり、善悪の概念は、飽くまで妥協的修正(低認識(自己チュー)なままの他律的社会性)であって、善は過程として善(生産)であっても、本質として悪(非認識=充足減)に属する。
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この回答へのお礼

御回答難し過ぎてさっぱりワカリマセン。

お礼日時:2011/05/25 10:25

 ANo.4です。

もし質問者様自身に「善と悪」のイメージがあるのでしたら、それで問題は解決しています。
がしかし、それでは「必要悪」の言葉をどう解釈することになるのでしょうか?。
 質問者様は既に答をお持ちであろうと存じます。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/25 10:29

善悪については、種々の説があります。



同情説、功利説、克己説、秩序維持説・・などです。

同情説てのは、「己れの欲せざる所、人に施すこと勿れ」
て奴ですが、これだと人が犯罪をたくらんでいるときの
説明がつきません。

功利説は、最大多数の最大幸福に繋がる考え方ですが、
これは、結果しかみない、という欠点があります。
無過失で人を殺した場合と、娯楽で殺した場合とを
同じレベルで評価することになってしまいます。

克己説は欲望を抑えるのが善とする立場ですが、
理性が常に正しいとは限らないのは経験からみて
明らかです。

秩序維持説は、文字通り、秩序を維持するのが善だと
するものですが、これだと暴力団員が目覚め、裏切って警察に
ちくるのも悪とすることになってしまいます。

このように、善悪を定義するというのは、困難なので
運用から定義しよう、という立場もあります。
犯罪をやっていた奴が、やらなくなれば、それは善だろう。
それ以上難しく考えるな、て立場です。

私は次のように考えています。
善悪は人間が造った概念です。
何でそんな概念を造ったか、といえば、秩序を維持
するためでしょう。
だから、秩序維持説が妥当だと思います。
暴力団の問題については、より広く、日本という
立場からみれば秩序維持に役立つので、善だ、と
いう解釈です。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/25 10:29

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや



って言葉で善と悪が語り尽くされているのではないですか。
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この回答へのお礼

と云う事はこの世には法に引っ掛からない悪が沢山在りますね。

お礼日時:2011/05/25 10:28

 ドフトエフスキーの「罪と罰」とゲーテの「ファウスト」を読んだら?。

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この回答へのお礼

時間と機会と気乗りが重なった時読みます。

お礼日時:2011/05/25 10:28

善→誠実



悪→不誠実
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この回答へのお礼

と云う事はこの世には法に引っ掛からない悪が沢山在りますね。

お礼日時:2011/05/25 10:27

 んー・・・人間のいる世界において、


自分の命を守りつつも他者の生存を脅かす事の無い
選択を重ねてゆく事、

それを志向する他者との共存を目指すのが・・・
善い道とか(酔汗)・・・て事は、それを阻害する恐れのあるものが
悪になってしまいますね。
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この回答へのお礼

と云う事はこの世には法に引っ掛からない悪が沢山在りますね。

お礼日時:2011/05/25 10:27

善にあらずは悪、悪にあらずは善

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この回答へのお礼

わかりませんでした。

お礼日時:2011/05/25 10:26

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