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大杉栄事件など共産主義アレルギーが吹き荒れた時代に、なんで企画院がソ連方式の経済体制を難なく打ち立てられたんですか?さっぱり分かりません、

質問者からの補足コメント

  • 傾斜生産方式も満州で実験済だったんですよね?このときの経験が、戦後の経済政策に生きてるんですよね?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/12/07 14:20

A 回答 (3件)

大正から昭和初期は世界的に大恐慌の時代。

にも拘わらず10%以上の経済成長を遂げていたのがソ連。日本はロシアの頃からソ連を敵視していたが、ソ連に勝つためには経済発展が必要、そのためにはソ連の真似をすればよい、というのがそもそもの発想。
官僚も軍人も計画経済には熱心(ほかの思想がなかったのかも?)、つまり共産主義だった。違うのは天皇の扱い。二二六事件の反乱将校や北一輝の言っていることは共産主義とよく似ている。農地解放も目指していたが「それではアカと間違えられる」として事件後の裁判では主張しなかった。
計画経済を実験したのが岸信介などの新官僚と言われる人たち。満洲国でやってみて成功したものだから昭和14年頃の日本経済は絶好調となり戦争の背景にもなった。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2022/12/09 00:00

経済はシロウトなもので傾斜生産方式が何なのかわかりません。

ともかく岸らの満州での成功が国内に持ち込まれ好景気に。やがて戦争をしても経済的には大丈夫との論になる。
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戦時下の日本は実質的に共産主義国家と同じ政策をとっていたからです。

あらゆるモノとインフラが国有化され、軍部の独裁で言論の自由がありませんでしたから
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