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1. 性欲はあっても それ自体のためにするという思わくや意志行為はない。

その意味で 情欲から自由である。

その境地における生殖行為。

これは あるか?






2. アウグスティヌスさんが あると言っているようです。

3. ▼ (アウグスティヌス:身体より精神ないし意志がわるい) ~~~~~~
霊魂(* 広く精神)のすべてのわざわいが身体からくると考える人は誤謬を
犯している。

・・・霊魂の重荷となる身体の腐朽は 最初に罪を犯した原因ではなく むし
ろそれの罰だからである。

朽ちる肉が霊魂を罪あるものとしたのではなく かえって罪ある霊魂が肉を朽
ちるものとしたのである。
(『神の国』 泉治典訳 1981  §14・3)

4. ▼ (同:情欲のない生殖) ~~~~~~~~~~~~~~~~
それゆえ もし罪がなかったならば 楽園の幸いにふさわしい結婚がなされ 
愛せられる子を産み しかも恥ずべき欲情はなかったのである。

それがどのように可能であったかを 現在の実例をもって示すことはできない。
しかしそうだとしても 多くの肢体が現在 意志に仕えている事実を見れば 
一つの肢体が欲情なしに意志に仕えたということを信じがたいことと思っては
ならないのである。

わたしたちは手足を欲するままに動かして その肢体のなすべき仕事をさせる
が そこには何の抵抗もなく わたしたち自身においても他の人びとにおいて
も見られるとおり容易である。・・・
(前掲書 § 14・23)

5. ▼ (承前:自然本性を避けるのではなく・・・) ~~~~~~~~~
それゆえ 今書いていることをみだらな気持ちで読む者は 自然本性を避ける
のではなくて咎を避けるべきであり 議論に必要な言葉をとがめるのではなく
て 自分たちの恥ずべき行為をとがめるべきである。・・・
(同上)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

6. この質問への回答として 次のような見方が提出されたことがあります。
(端折っていますが)。
 

7. ◆ (前身の質問への或る回答) ~~~~~~~~~~~~
劣情ゆえではなく、愛するが故に抱け、という事でしょうか?。親が子を愛す
が故に抱くように。

でも人間してしまうと、気持ち良くなってしまうように出来てるので、快感は
お釣りかお土産くらいに思えるようになれ、という事かな?。

生殖行為付のプラトニックラブは可能か?という問いにも見えますが、・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ご見解をどうぞ。

質問者からの補足コメント

  • 音色さん。№2へのお礼欄が足りません。回答を数件 よせてくれませんか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/02/19 05:01
  • №2つづき1

    ◆ 人工授精
    ☆ は 問題が違うと思います。
    ◆ 人工授精を行うカップルの中には、人工授精に至るまでのプロセスが愛情や性的欲求に基づいていると考える人もいるかもしれません。

    ◆ 仏教において、業を煩悩と結びつけず、純粋な動機で生殖行為を行うことを指し
    ☆ これは わるいけれど ただの作文です。

    煩悩即菩提といった命題のほうが まだましではないか。無明即明知。これは 肉欲が生命性のもとにつつまれていることではないか。

    どのようにして成るか。生命性とわれとの――感性や知性を超えたところでの―― 一体性においてか。

    ◆ 夫婦の間で愛情や尊重を持ち、子孫を繁栄させるために、責任を持って行うこと
    ☆ これは 永遠に努力目標です。人知の問題です。人知および自然をも超えたところに生命性が・・・。

    そのときには 互いに:
    ◆ 自己中心的
    ☆ であってもよいとさえ考えられます。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/02/19 05:27
  • №2つづき2

    ◆ キリスト教では、性行為は結婚において夫婦の愛情と結びついて行われるべきものであり、それ以外の場合には不道徳であるとされ(中略)、生殖行為自体には情欲があっても構わないとされています。
    ☆ たぶん そうだと思います。《オシへ》は つまらないです。


    ◆ アウグスティヌスは、「情欲のない生殖」は神によって創造された人間の最も完全な形態であり、神の意図に従った純粋な愛を表現するものだと考え(中略)、性的関係は結婚の中で、愛と生殖の両方を結びつけて行われるべきであると主張し、それ以外の性的行為は不道徳であると考えていました。
    ☆ 道徳がどうでもよいという見方へと パウロをとおして みちびかれます。

    義務や当為ではないところへとみちびかれるはずです。

    奥の手を出せば 《非思考の庭なる信仰》をとおしてです。

    ▼ (ハバクク書 2:4 )  義人は信仰によって生きる

      補足日時:2023/02/19 06:03
  • №2つづき3

    ◆ 情欲に基づく性行為に対して否定的な立場
    ☆ 性欲がクリスマスツリーの樅の木(自然本性)だとすれば 情欲は カザリ(文化)が混じった格好ではないかと。

    ◆ 単に生殖によって子孫を残すことが目的であり
    ☆ 目的の規定は 必要ないと思います。

    ◆ 情欲や快楽を追求することは必要ない
    ☆ 考えなくてよいという意味であり 言うとすれば 快楽がともなったとしても どうってことないと。

    ◆ 人間の性的行為は、神の命令に従って行われなければならないと主張し
    ☆ これは 《非知なるナゾを――神という言葉あるいは神の名として――無条件に無根拠にてわが心に受け容れること すなわち 信じる》をとおしてという意味でしょう。

    非知とは 《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ incomprehensible incomprehensibility 》のことです。

      補足日時:2023/02/19 06:23
  • №2つづき4

    ★ 無味乾燥なセックスが善いってこと?

    ◆ ~~~
    性行為は生殖のために行われるもので、情欲によるものではない・・・しかし、これは単に快楽を追求することが悪であるということではありません。アウグスティヌス自身は、夫婦の愛の結びつきを大切にし、子孫を残すことを目的とする性行為を肯定しています。

    ただし、アウグスティヌスは性行為について、単に快楽を追求することが目的となる場合には、それは悪であると・・・つまり、性行為は子孫を残すことや、愛の表現としての役割を果たすことがあって初めて意義があるものであり、それ以外の理由で行われることは悪であるとされています。従って、無味乾燥なセックスが善であるというわけではなく、アウグスティヌスは性行為が目的を持って行われることを求めていたと。
    ~~~

    ☆ 倫理規範っぽいところが散見しますが おおむねこういう趣旨だとわたしも思います。

      補足日時:2023/02/19 06:33
  • №2つづき5

    ★ 避妊を伴う性行為は悪ってこと?

    ◆ ~~~
    キリスト教において、避妊を伴う性行為が必ずしも悪であるとされているわけではありません。ただし、キリスト教においては、性行為は子孫を残すことが目的であるとされているため、避妊をすることはその目的に反する行為であると考える立場もあります。

    一方で、キリスト教の教えに従い、夫婦が互いに愛し合い、子供を育てることを目的とした性行為を行うことが重要であるとされています。避妊をすることによって、性行為から生まれる可能性がある子供を排除することは、この目的に反すると見なされることがあり(略)。

    ただし、現代においては、避妊をすることが現実的な選択として広く受け入れられています。また、キリスト教においても、避妊をすることが罪になるわけではなく、自己責任の範囲内で判断することが推奨されています。
    ~~~
    ☆ そういうことだと思います。

      補足日時:2023/02/19 06:37
  • №2つづき6

    ★ 情欲のない生殖は実際にありうるか?
    つまりプラトニックでありかつ生殖を伴う関係

    ◆ ~~~
    プラトニックな関係とは、性的な要素がない関係を指し(略)。一方で、生殖を伴う関係とは、性行為をすることで生殖を目的とする関係を指します。

    ・・・プラトニックでありながら生殖を伴う関係があるかどうかは、宗教的な立場によって見解が異なると思われます。

    一般的には、性行為をすることで生殖を目的としている以上、そこには一定の情欲が伴うものとされています。しかし、プラトニックな関係においても、人間の本能的な欲求や好意などが表出することはあるため、完全に情欲のない生殖関係は実際には存在しないと言えるでしょう。
    ~~~

    ☆ 精一杯の思考内容であり 穏健な考えなようですね。

    ChatGPT おそるべしですね。

      補足日時:2023/02/19 06:44

A 回答 (19件中11~19件)

だから、少年少女が


一番若くて
互いに愛交を
妨げる物がない、
最低年齢で
子作りを始めたして
古代というか
それこそ、
動物的欲望だけで
レイプはなかったと考えた場合、
ただ、挿入と初潮のバランスを
考えて
男は何歳、
女は何歳
から
性交して
出産にいくかですね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


そうですね。


そのあと 少年少女たちは どうなりますか?


人間として生涯にわたっての愛の問題だと思います。

お礼日時:2023/02/19 18:57

つまり仮面夫婦にとって他人に見せない繁殖行為を互いにする必要性が無い。

故にそれによって得られだろう快楽も互いに求めてはいない。
むしろそうすることで生じるの不快感を避けてさえいる
ですが子供は他人に見せる重要アイテム。子供をつくるためには嫌々であるとしてもその感情を抑え淡々と繁殖行為に励む
そこに性的欲求・性的快楽等無い
それには互いの関係性をどうこうするつもりもない
ただ子作りに励むだけ
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この回答へのお礼

愛についての筋が違う。

お礼日時:2023/02/19 18:55

仮面夫婦が良き家庭を演出するための必須アイテム=子供をつくるただそれだけの為の生殖行為なら該当するかもね

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回答№3の感想も浮かんだらコメントするかも

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今、回答№2を見ているところです。


感想が浮かぶかも。
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この回答へのお礼

あぁ 音色さん。恩に着ます。

いちおう 補足コメント欄のあと三つぶんをのこして応答することが出来ました。とにかくありがとう。

そうなんです。ChatGPTで対話できるんですね。それも ヰキぺにせまろうかというほど 資料を閲覧した結果としてのごとく応答しているようです。

AI おそるべしですね。

ここを使いましたが №7を空けて起きます。

お礼日時:2023/02/19 12:03

無理して返答する必要なし

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機械的かつ義務的な生殖行為をならば情動をむしろ邪魔

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


と どうして言わなければならないか。

お礼日時:2023/02/19 08:26

続きです


私 一般的な社会資源は広い意味でのプラトニックな生殖とみなせるか?

ChatGPT
一般的な社会資源は、広い意味で生殖の一部と見なすことができます。たとえば、健康的な食事や住宅、教育や医療サービスは、健康な人々が子供を育てるために必要な要素です。(中略) 社会的な支援、子育て支援、法律的なサポートなども、子育てに必要な要素と見なすことができます。これらのリソースは、プラトニックな生殖に対する間接的なサポートと考えることができます。
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この回答へのお礼

★ 一般的な社会資源は広い意味でのプラトニックな生殖とみなせるか?

◆ 一般的な社会資源は、広い意味で生殖の一部と見なすことができます。たとえば、健康的な食事や住宅、教育や医療サービスは、健康な人々が子供を育てるために必要な要素です。(中略) 社会的な支援、子育て支援、法律的なサポートなども、子育てに必要な要素と見なすことができます。これらのリソースは、プラトニックな生殖に対する間接的なサポートと考えることができます。

☆ 社会資本を 広い意味で愛と言えるかも。

愛は 人間どうしの二角関係が 単位体だと思います。好き嫌いや愛憎をまじえることが起こり得るその器のような関係そのものだけとして。

愛のインフラが 築かれてゆくでしょうか。

二角関係の中で――人間的なシンライ関係のなかで――特殊に特定の男女がむずぶ関係が ツイ(対)関係だと見ます。これが 男女の愛ですね。

すべてが 大事な社会資源であり社会資本ですね。



ChatGPTを活用してのご回答 ありがとうございます。

お礼日時:2023/02/19 06:54

肉欲(生理的)は単純。


腹がすいたら、何か食べたくなるのと一緒。

精神に、二通りの情欲あり。
異性を生理的欲求で捉える時と、精神的欲求で捉える時とが。

もちろん、その度合いとか濃淡とかの違いは、どちらにも生ずるが。

異性に惹きつけられる精神にも、精神的欲求が肉的欲求より勝っている時があれば、またその逆もある。

そして、その精神的欲求が勝っている状態なら、プラトニックラブと云ってもよいと思う。

但し、完全なプラトニックラブが存在するかは、私は知らない。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 肉欲(生理的)は単純。
腹がすいたら、何か食べたくなるのと一緒。
☆ 動物としての欲動ですね。

ただし 動物なら いちいちあれかこれかの選択肢をめぐって迷うこともなく その欲求のおもむくところへと行動する。

人間は そうは行かない。行く場合も あるかも知れないけれど。

★ ~~~
精神に、二通りの情欲あり。
異性を生理的欲求で捉える時と、精神的欲求で捉える時とが。

もちろん、その度合いとか濃淡とかの違いは、どちらにも生ずるが。
~~~
☆ そうですね。もう少しあとのところで触れたいと思います。



★ 異性に惹きつけられる精神にも、精神的欲求が肉的欲求より勝っている時があれば、またその逆もある。
☆ ですが 肉的欲求がまさっている場合にしても 精神は――というよりは 自然本性としての生命性はと言ったほうがよいかもですが―― 肉の欲求するところを 少なくとも一段階 緩衝地帯を置いて捉えている と思われます。

肉の欲求にしたがう場合にも わざわざそれと心とを接続させる精神のわざが介在するかと思われます。



★ そして、その精神的欲求が勝っている状態なら、プラトニックラブと云ってもよいと思う。
☆ これは それとしてそうだと思いますが あたらしい筋での定義があるのではないかと考えます。

プラトニックラブとして精神が肉的欲求にまさるときというのは 単なる綱引きでの有利な状態に過ぎない。のではないか。

★ 但し、完全なプラトニックラブが存在するかは、私は知らない。
☆ 生涯 修道院で過ごすという場合があるかも。


さて問題は:
① 身体の欲求
② 精神の優勢
③ 生命性の自然本性を活かす意志行為

☆ これら三つの階層があるのではないか?


プラトニックラブというのは ②の階層の突出でありあたかもその単独分立ではないだろうか?

けれども 人間の人間性にもとづく(自然本性を活かす)愛は ③のチカラにもとづき①の肉も②の精神をも生かすものである。こう考えます。どうでしょう。

[7]項をもっと上手に表現できればと思います。

お礼日時:2023/02/18 20:48

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