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宮本武蔵といえば、巌流島の決闘に遅刻して、佐々木小次郎が冷静さを欠いたところで……という話をよく聞きます。

私の中では「決闘」というと、
「互いにあらかじめ約束をして、正々堂々真剣勝負!」
というイメージです。
遅刻はルール違反で正々堂々ではないと思います。

でも「すばらしい戦術だ」と評価が高いですよね?
多対多の国や地域をかけた戦い、或いは自分の主君を守るための戦いならば、戦術としてはありだと思うのですが、一対一の武士の決闘に戦術を用いるのは卑怯にはならないんでしょうか?
それとも、決闘の定義を私が勘違いしているのでしょうか?

宮本武蔵の一生には詳しくないので、このシーンだけ取り上げて「卑怯なんじゃ?」と言うのはおかしいかもしれませんが、昔から気になっていることなので、誰か教えてください!

A 回答 (9件)

宮本武蔵は「兵法家」であって「剣士」ではないというのがポイントです(有名な「五輪書」も剣ではなく兵法について書かれている)。

剣士ならあくまで剣の優劣にこだわりますが、兵法家ならば刀だけでなく、あらゆる武器、あらゆる作戦を使って勝利することにこだわらなくてはいけません。

戦場においてはおびただしい剣の達人が、剣技も知らない足軽に倒されています。1対1なんて奇麗事は通用せず、相手が「強い」と見れば、数人で取り囲んで、槍で刀の範囲外から襲いかかり、鉄砲だってなんだって使います。

腕が立つということはすなわち、平時でも戦場でも狙われやすく、死にやすいということであり、それを、智謀を尽くして避けるのが「兵法家」の腕なわけです。

加えて、「兵法家」と称する以上は敗北=自分の兵法が間違っている、ということになりますから、たった一度の敗北で、名を上げたり、どこかに仕官することも難しくなります。ですから、いかなる手段を使っても勝って、生き残らなくてはいけなかったわけです。

つまり生涯不敗と言われた武蔵は、普通なら負けて当たり前、もしくは勝敗が不明の状況をひっくり返す、という技術にきわめて優れていたわけです。

そう考えれば、巌流島の決闘は、「剣士」小次郎 対「兵法家」武蔵の対決だったわけで、剣の技量では劣るもしくは互角(と考えられていた)佐々木小次郎に対して、心理戦を挑み勝利した宮本武蔵のことを褒めるのは妥当と考えられます。

ただし、その賞賛はあくまで「兵法家」の武蔵に対して向けられたものであり、「剣士」の武蔵に対するものではなかったということです(剣士として評価されたのは吉川英治の影響が大きいと思います)。

ただ、こうしたことを抜きにしても武蔵が超一流の剣士であったことは間違いなく、それに加えてあらゆる状況で生き残るサバイバル技術を持っていたからこそ後世に名が残ったのでしょう。
剣だけでなく、心理戦も超一流となればこれはむしろ褒めるのが当然ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
剣の勝負というとストレートなイメージがありました。あくまでも全力で真っ向勝負!という…。
だから心理戦=卑怯という図式になってしまいます。
兵法家として見れば、確かに武蔵はすごいと思います。
これまでの皆さんの解答を見て、武士の決闘にも兵法が認められていたのはわかりましたが、個人的には武士と兵法は無縁であったほしかったなぁなんて、ちょっと残念に思ってしまいます。

お礼日時:2005/04/19 12:07

宮本武蔵ですが、8番の方が指摘されるように脚色の部分も多く、ライバルの佐々木小次郎の年齢も宮本伊織が決闘の45年後に建てた武蔵の顕彰碑から17歳と読みとれ、これでは小次郎の師匠の富田勢源の活躍した年代に合わず、27歳の間違い・・・70歳の老剣士・・・実在しない人物という説まである状況です。


いずれにせよ武蔵に限らずこの時代の剣士は大道芸のようなもので、派手な衣装や異様な風体で人の関心をひき、決闘により名前を売り、あわよくば高禄で召抱えられたいと全国を歩き回っていました。
建前は剣の研鑚ですが、本音は名前を売ることで、勝つ見込みのある決闘しかせず、遅刻やすっぽかしもあったと思います。
武蔵も決闘の前に事前調査をやり、勝てる見込みがあり、人の注目を浴びる決闘を選んだようです。
同じことは「空手ばか一代」という梶原一騎原作の漫画でも力道山が空手の大山に
「我々プロのレスラーはお金が入る試合か世間が注目する試合しかやらない。僕(力道山)とやりたければお金を出すかTV局をスポンサーにして欲しい」と言い放つ場面がありますが、江戸時代の力道山が武蔵と考えてよいと思います。
プロレスは筋書きのある決闘と言われますから、あれを想像してください。
もし私が小次郎なら
「武蔵は試合を恐れて逃げた。不戦勝である。」とさっさと勝ち名乗りを上げて立ち去ります。
武蔵もそうさせないために弟子たちを配置したり準備はしたと予想されるので、単なる剣の試合と読んだ小次郎と勝つための準備をして挑んだ武蔵の戦いであり、その勝者が武蔵、卑怯と言われる筋合いではありません。
小次郎も武蔵が時刻に遅れる常習者との認識はあったのですから定刻を過ぎた時点で「勝ち逃げ」という選択もあったわけですから、敗戦は自己責任。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
大道芸人のようなものですか……武士のイメージがだんだん落ちていきます(あくまでも、私の中でイメージされた武士像が、です。ちょっと夢見すぎだったので)。
私の感覚でいくと、もし小次郎が勝ち逃げ方式をとった場合、卑怯だと思ったことでしょう。
要するに、私の考える武士像は現実とかけ離れていたのだなということが、わかりました。ショックです。

お礼日時:2005/04/19 12:21

>宮本武蔵といえば、巌流島の決闘に遅刻して、佐々木小次郎が冷静さを欠いたところで……という話をよく聞きます。



吉川英治の小説ではそうなっておりますね。

宮本武蔵は、没後間もなくして伝記(二天記。但し創作性が高い)や歌舞伎・講釈の題材として好んで採りあげられました。したがって、江戸、明治を通じて庶民のスーパーヒーローだったのであり、だからこそ、直木らによる武蔵VS上泉の最強論争が巻き起こり、その結果として、吉川英治が「求道者」宮本武蔵を書くに至ったのです。

しかし、吉川英治の「宮本武蔵」は、創作部分が多く存在し、武蔵遅刻説もその一つではないかと愚考します。なぜならば、五輪書にも、小倉碑文にも、逆に武蔵ファンにとっては都合の悪い資料である「沼田家記」にもそのようなことは書かれていないからです。

巌流佐々木小次郎との戦いは、小倉碑文(武蔵の養子・宮本伊織が建てたもの)に詳しいのですが、その部分を紹介しましょう。

「爰に兵術の達人有り、名は岩流。彼と雌雄を決すを求む。岩流云く、眞劔を以て雌雄を決すを請ふと。武蔵對へて云く、汝は白刃を揮ひて其の妙を尽くせ、吾は木戟を提げて此の秘を顕はさんと。堅く漆約を結ぶ。長門と豊前の際、海中に嶋有り。舟嶋と謂ふ。兩雄、同時に相會す。岩流、三尺の白刄を手にして來たり、命を顧みず術を尽くす。武藏、木刄の一撃を以て之を殺す。電光、猶遅し。故に俗、舟嶋を改めて岩流嶋と謂ふ。」

戦略・戦術として遅刻策を採ったのであれば、堂々と記載するはずですが、ご覧のとおり、どこにも遅刻した事実の記載はありません。

また、「武蔵との戦いに敗れはしたものの蘇生した小次郎のとどめをさしたのは武蔵の弟子達だ」とする沼田家記にも、武蔵が遅刻したとは書かれておりません。

思うに、これも吉川英治の創作でしょう。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
創作説ははじめて聞きました。ビックリです。
三国志と三国志演義が入り混じっちゃってるのと同じような現象ですね……。

お礼日時:2005/04/19 12:14

「決闘」の定義と言うよりも、「武士」の定義が異なる、と考えてみてはいかがでしょうか。



私たちの持つ「武士」のイメージは、忠義に厚く、主君のためには死をも恐れぬといったものですが、これは、戦さの無い平和な江戸時代に作られた武士像です。「文武両道」という言葉がありますが、戦国時代の武士は、文字通りこの「武」を売り物にしていた軍人であり、一方江戸時代の武士は、行政に携わる役人としての性格が強く、「文」の部分がより重要視されていました。

「忠義に厚く、主君のためには死をも恐れぬ」、極めて観念的であると思いませんか?本来軍人とは合理的であらねばならず、「負ける戦さ」は絶対にしてはいけないものです。これを戦国時代の「武士道」とするならば、江戸時代の武士道は、「教養としての武士道」(極めて儒教的に色づけされた)と言わざるをえません。

私たちが持つ「武士道」のイメージ(おそらく回答者さんも)はあくまで「教養としての武士道」であり、戦国時代の「武士道」を身につけている武蔵にその基準をあてはめるのは、少し無理があるでしょう。戦国時代の武士には、「主君を七度変わらねば武士ではない」といった言葉や、朝鮮出兵の際には、捕虜となった日本の武将が朝鮮側について、日本軍と戦った、という逸話もあります。「忠信報国」、「正々堂々」といった思想とはまったく異なる次元に彼らはいたのだと解釈すべきなのではないでしょうか。

以上、私的な意見でした☆
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
なるほど!武士の定義が違うとみれば、納得がいきます。
私が思い描く武士はisukeさんの言う、江戸時代の武士像の方なのかもしれません。

お礼日時:2005/04/19 12:11

こんばんは。


↓「乱世の英雄」(海音寺潮五郎、レビューがないのが残念・・・)に武蔵などの武芸者の面白い話がいろいろ出ています。
戦略で勝つのが卑怯じゃない、どころか「勝てそうにないな」と思ったら果し合い前にドロンするのさえ恥じゃなかったようですよ(武蔵は弟子に勧めてる)。むしろ、武芸者として当然の心得だったとか。
今聞けば「武士の風上にも置けぬ!」みたいな話ですが、考えてみれば、武芸を極めようと思ったら、途中で無理して死んでしまっては何にもなりませんもんね。

参考URL:http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=09446276
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
途中で死んでも全力で戦えればOKなのが武士かと思ってました。ちょっと甘かったみたいです。

お礼日時:2005/04/19 12:03

あくまでも仮説ですがこの勝負で武蔵の遅刻には巌流島へ近づくのに舟を利用しましたが、付近の潮流を読み間違えて遅刻した可能性もあります。



またもし正確に潮流を読んで遅刻をしたのならその準備の良いのは戦術として賞賛されても非難される事はないと思います。
真剣勝負は命のやり取りで戦いと同等ですから戦術をこらすのは当然許されたのだと思います。

武蔵は他の試合でも色々工夫して臨んだそうですから当然の事だったのではないでしょうか?
それにこの勝負には色々説があり小次郎側にも弟子達が万一に備えて隠れていたという話、武蔵側の弟子達が多数で小次郎を討ったなどと言うのもあり、真相は藪の中かもしれません。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
下の方達へのお礼とダブってしまいますが、武士の一対一の決闘には綺麗ごとを夢見ていたのでショックです。
例え武士だろうと一対一だろうと、命をかけた戦いでの兵法は広く認められていたんですね……。

お礼日時:2005/04/18 18:49

宮本武蔵というのは、吉川英治が小説「宮本武蔵」を出版するまで、マイナーな剣士に過ぎませんでした。


直木三十五らとの「宮本武蔵」論争が起こり、反論する形で執筆したのは有名な話です。
吉川英治の「宮本武蔵」が大反響を呼び、剣豪といえば「宮本武蔵」というぐらい有名になりました。
しかし、出る杭は打たれるべく、やはり宮本武蔵について否定的な作家が多いのも事実です。
「吉岡兄弟との決闘の時も遅刻した」「佐々木小次郎は老人だった」などなど。

ただ、最終的に宮本武蔵は仕官出来ませんでしたが勝負に勝ち続け長寿を全うしたこと、
自身は出世しませんでしたが養子が大出世を遂げたことなどから、剣豪だったと思います。

質問の「卑怯」かどうかについてですが、遅刻も兵法だと思います。
織田信長は桶狭間の戦いで奇襲攻撃を行い、当時最も天下獲りに近かった今川義元を討ち取りました。
これも一種の武士同士の決闘であり、正々堂々とは言い難いですが兵法です。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
私は昔、多対多の戦いで小細工するのは卑怯だと思ってました。でも孫子などを読んで、自分達の損害を最小に抑えるためには、兵法が重要なのだと知りました。
それは武士同士の一対一の決闘でも同じなのですね。
うーん、やっぱり、ちょっとショックです。
真に正々堂々と戦った武士はいないのでしょうか…。

お礼日時:2005/04/18 18:38

この時代の決闘は仕官のための自分の宣伝活動の意味合いが強く、結果を出すことが最優先されます。


(とはいえ、無制限に卑怯な手を使うと世の中の評判が下がり就職先から敬遠されますが)

「正々堂々」というのは決闘に生き残って初めて口にできるわけで、
現代のスポーツの試合のように「次に頑張ればいい」というのはありません。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。
私の中では決闘・武士というと、潔いイメージがあったのですが、現実は厳しいのですね。

お礼日時:2005/04/18 18:32

回答ではないです・・・(^^;



>宮本武蔵といえば、巌流島の決闘に遅刻して、佐々木小次郎が冷静さを欠いたところで……という話をよく聞きます。

武蔵の弟子(?)が物陰に隠れていて、集団リンチで殺害した可能性があるという話を聞いたことがあります。
卑怯ですけど、結局、正々堂々って言っても、世の中正論だけじゃいけないって事ですかね・・・?
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この回答へのお礼

情報ありがとうございます。
武士の世界もすっきりとカッコイイものではなかったんですね……。想像と違いすぎて驚いてます。

お礼日時:2005/04/18 18:20

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