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世界史の常識だと、徳川家康が兄弟な軍事力で天皇家を滅ぼし日本皇帝になるというのが自然ですが、徳川にしろ足利にしろ秀吉にしろあくまで天皇から官位をいただいて日本を統治するという建前を崩さなかったのはなぜだと思われますか?

A 回答 (8件)

狭い島国に住む日本人の知恵だと思いますよ。


公家と武家に権力を分けたので、独裁者が生まれませんでした。

足利義満も正倉院を開けさせ香木の蘭奢待の一部をちょん切って
権力の有る事を見せて、天皇にとって代わりませんでした。
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摂関家は姻戚関係、鎌倉時代の源氏も室町時代の足利氏(源氏)の将軍家は天皇の遠い子孫としての権威を借りて実権を握ったわけですね。



彼らの権威の基は天皇だったわけですから、天皇を倒して権力を完全に奪ってしまえば、じゃあ、俺もあんたを倒せば俺が天皇だ。と云う話になってしまう。あるいは、そいつは天皇を倒した逆賊だ。という話になってあちこちから反乱の火の手が上がりかねない。

というわけで、永い間、天皇の血縁関係を根拠に実質的権力を握ったものの時代が続いたわけですね。

そうこうするうちに時代が下り、誰が源氏なのかもよく分からない話になってしまった。
だから秀吉のような下層民も伸し上がって、流石に俺の先祖は源氏だったとは言えませんでしたが、天皇から「豊臣」の姓を貰って関白となり天下人になれた。
家康も源氏かどうかなんて怪しい話だが、一応はそれなりの家柄だったので勝手に源氏を名乗って将軍になった。

つまり、天皇という日本最大の権威を借りれば、秀吉のような下層民でも力を持てば、周りの名族たちから頭を下げられることになる。ただし、周りが頭を下げるのは、その人が天皇の代理人だからだ。

天皇とはそういう存在であり、実質的権力者にとっては、天皇に取って代わるよりも、利用すべき存在なのだ。
だから彼らは「あくまで天皇から官位をいただいて日本を統治するという建前を崩さなかった」と云うことにし続けた。

現代でも状況はほぼ同じだ。
現代日本の最高の実質的権力者である内閣総理大臣は、選挙に勝ち抜き、国会で指名されれば、誰でもなれる。
しかし、内閣総理大臣を任命できるのは今でも天皇しかいない。形の上では、今の岸田首相も、源頼朝・足利尊氏・豊臣秀吉・徳川家康と同じ根拠で日本国の実質的最高権力者になっているわけだ。
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フィクションのドラマですけど……



「壬生義士伝」の動画4分ぐらいから

「ミカドには手向かえぬ」とか、
「一天万乗の天皇様に弓引くつもりはござらねども、それがしは義のために戦をせねばなり申さぬ」とか、

鎌倉時代以降、天皇家の威光を借りて幕府を開いてきた武士にとって、天皇家ってそういう存在になっていったんでしょうね。
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天皇というのは、宗教的存在でも


あるからです。

西洋でも、ローマ教皇を倒して、
なんてことは無かったのと同じです。

昔の人は、神のような超自然的存在を
マジで信じている人が多かったのです。

天皇は、神と人間を媒介する存在だったので
手を出すのがためらわれたのです。

吾妻鏡にもありますが、天皇に逆らった
ので、カミナリが鳴るたびに、祟りだ、
と、恐れおののいた
なんて記述が残されています。

現代でも、雅子さんとの結婚パレードの時
降っていた雨が止み、
天皇はすごい、と感嘆した日本人が沢山
いました。


無理して神に逆らうよりも、天皇を利用した方が
合理的だ、という判断があったのです。

西洋では、王様はどうして威張っているのだ
といえば、
神から権利を授けられたからだ、
ということになっています。
これを、「王権神授説」といいます。
学校で習ったはず。

徳川家も、天皇から将軍たる地位に任命
されたから、偉いんだ、という建前を採る
ことが出来ました。

ついでにいうと、内閣総理大臣を指名するのは
国会ですが、任免するのは天皇です。
これは、そうした沿革に基づくものです。
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外部から侵略してきたのではなく、内部闘争しただけだから。

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まず、後の武家政権の手本となる頼朝が朝廷を立て続けたから。

頼朝は京生まれの下級貴族。朝廷という存在に何の疑いも持っていなかった。朝廷の方は頼朝が将門のように完全独立するのではとビビっていたが、頼朝の方から朝廷に擦り寄った。
室町幕府は基本的に鎌倉幕府を継承したものなので同じ体制。
室町時代になると朝廷は完全な武家政権に寄生しないと生きられない存在になってしまい、その後もひたすら強者に阿り施しを受けて命脈を繋いだ。
その卑屈な態度が逆に、公正に天下人を認定する機関と見られて、天下人の庇護を受ける代わりに施しを受け続けることができるようになった。
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戦後まで


天皇の位置は神ランクだったからではなかろうかと

天照大神からはじまり

日本人は

古の頃から

そうしてきました

徳川慶喜無血開城も
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楽だからと内戦だからです。



世界的に見て、王朝が変わるのは「異民族による支配」が実現したときです。中国などは易姓革命があり、頂点の家系が変わりますが、社会システムそのものは引き継がれていたりします。

つまり内戦と外戦(異民族戦争)の違いは、統治構造が根本的に異なるかどうか、なのです。

分かりやすく言えば、ウクライナ戦争でロシアが勝ちウクライナ領土を占領すれば、ウクライナという国家は無くなり、ロシア法とロシアの行政府が作られることになるので、対外戦争であるわけです。

日本は島国で、6世紀から7世紀の間に大和朝廷によって国家統一が行われました。

なので、自分が皇帝の座に就きたいなら「天皇を滅ぼしてその座に座る」必要がありますが、そうなると日本全国を全部武力統一する必要があります。

でも、日本人同士の内戦は「統治の方法や、統治者(平家や源氏、足利家や豊臣家)に不満があるのであって「日本」という国の統治システム全部を壊したいわけではない、わけです。

なので「天皇に統治の許可をもらう」のがいちばん簡単で楽で、納得してない実力者も国賊になるのがイヤだから従う、ということになります。
こんなにコスパがいい方法はありません。

だから、みんな天皇から統治の許可をもらう方法を取ったのですが、徳川威家康だけは「天皇から統治の許可をもらうのは確かにコスパがいいが、同時に徳川家の統治が長続きしない理由にもなる」と分かっていたので、徹底的に朝廷の権力を弱めました。

だから250年もの長い間、徳川幕府が続いたのです。
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