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結局どうなんですか?一ヶ月前あたりにビートたけしさんとYOUさんが出ていた番組の中で、「木から下りたサルは二足歩行を始めさまざまな環境に行き進化を遂げ、今のヒトになっていった」(すごく略しました)というようなこと言っていたのですが、ということはヒトの祖先はサルだったということでよろしいのですか?

A 回答 (11件中1~10件)

いいんじゃないですか。


進化論が妥当かどうかはともかく
創造論は破綻してますからね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E9%80%A0% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96% …

この回答への補足

創造論は破綻している、とはどう破錠しているのですか?

補足日時:2005/04/19 21:08
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リンクを読破すればそのへんは徹底的に検証されてるはずですが、例えば


http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/car …
「創造論者の論法は誠実とはほど遠いところにあります。議論に必要な科学的知識を持ち合わせていないがゆえでしょうが、論敵の主張を過度に単純化し(進化論者はなんの保証もなく炭素14の量が一定という前提を使用している、など)、その上で否定しています。擬似科学に共通する論法です。 」
創造論者の主張はある面を説明できても
別の側面から見ると破綻していることが多いのです。
(と主張するほど創造論を知ってるわけでもないですが。)
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番組自体は見ていませんが面白そうですね。


科学者vs宗教家 みたいな感じですか?

科学者は進化論が正しいと思っています。長い歴史のごく一部しか見ていないのに地球の歴史を知っているかのように・・・
ここに科学者の思い上がりが見られます。
本当にサルから人間が進化したのでしょうか?
人間の脳は5%くらいしか利用されていないと言われています。ではそんな利用しない脳が必要なのでしょうか?進化論が正しいならもっと使っているのではないでしょうか?
科学者という生き物は無から有を創りたがる生き物です。だからサルから人を創ろうとしてつじつまを合わせるのです。
(個人的な意見ではもともと人間はいたと考えています)

一方の創造論は神様の登場です。各宗教によって神様が違うのでよく分かりません。
ただ、今話題のバチカンは「科学と宗教の境界線」を探しているという話を聞いたことがあります。
バチカンでは科学者を集めて議論を戦わせているアカデミーが開かれているらしい。
科学の情報を元に宗教活動に利用しようとしている。

恐るべし、宗教家たちの野望。
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進化論も、完璧ではなく穴だらけの理論ですが、地球上に生命が発生して人類になったという、人類が行き着いた唯一の科学的理論です。

そのバリエーションはいくつかありますけど、どれも、決定的な理論確立には至ってません。

一方、創造論は「神が創った」で片つけてしまう、宗教上の理論というよりは、話であって、進化論の弱点や未完成な部分をつつくだけで、創造論として科学者を納得させる理論はその中には含まれてないといえます。

アメリカ(合衆国)のいくつかの州で、進化論と創造論の双方を教えるようになったのは、単にアメリカが、当時からのキリスト教的文化背景だけでなく、それ以上にそれだけ進化論自体も完成されていないとい発展途上の理論だということです。

それ以外の科学的理論は、ローマ法王庁のいう折衷理論以外ないということです。それすら、反対するガチガチのキリスト教徒もいます。

よって、日本では、特定の宗教の教義を教えることはできませんから、進化論だけを教えるという事になってしまいます。

特に日本の学生などからは、進化論にしてもビッグバンにしても、完璧な科学理論のような発言が随所に見られますが、科学を学べば学ぶほど、分からないことが出てきます。まして、人類がこの期間で森羅万象全てを極めたなんてのは、それこそ科学信仰です。それを謙虚に受け止め、さらに科学的姿勢を崩さずに追求するという姿勢は必要です。

蛇足ながら、宇宙人が人類を作った云々は、SFの世界で問題外です。
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たとえば「擬態」という現象は、創造説にとっても、進化論にとっても痛いところです。


擬態という現象を見ると、とても「偶然」の突然変異の積み重ねなどで説明できるとは思えませんが、一方、擬態は弱肉強食を前提としたものであり、愛を説く神がこんな残酷なシステムを創ったとも思えません。
ギリシャ神話などに登場する残酷で人間的な神々が創ったのなら別ですが。
基本的には進化論の方が有利かも知れませんが、偶然的要因だけでは擬態は説明できず、擬態を説明するためには、進化の歴史の中で、能動的な進化の仕組みが生じてきたと考える必要があるような気がします。
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回答No.3の方は、



バチカンでは科学者を集めて議論を戦わせているアカデミーが開かれているらしい。
科学の情報を元に宗教活動に利用しようとしている。

と述べておられますが、
バチカンがそうしているのは、宣伝のためではなく、
バチカンは中世に地動説を否定した苦い経験があり、
その反省から、同じ間違いを繰り返さないために、
進化論にも理解を示そうとしているのだと思います。
頭から否定するという態度をとらず、科学的問題の評価に慎重になっているのは良いことだと思います。
とはいっても、聖書を否定しない範囲内のことなので、それがバチカンの限界ですが。
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>ヒトの祖先はサルだったということでよろしいのですか?



いや、猿と人間のDNAはわずかしか違わないとされてきましたが、最近では科学が進化して、随分違うとわかりだしてきたようです。

猿から人間の遺伝子への移行段階において、どうしても繋がらない空白の間があるのだそうです。

「ほら やっぱり猿からじゃないじゃないか」というのは早合点で、さらに進化すれば、やっぱり猿からってなるかもしれません。

進化論が正しいとするためには その空白をどう説明するかになりますが、突然変異ということで片づけようとしている人もいます。

わたしはそれでは納得しないです。
突然変異にも起こる理由があったはずです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96% …
宗教において、進化論は教義と反することから、今でも欧米の授業では進化論のシの字も授業では触れないところもあるそうです。
そういう社会では親も進化論のシの字も知らないので、例え家族で2001年宇宙の旅の冒頭を見たとしても、一体これが何を意味しているのかチンプンカンプンだと思います。

『猿同士が喧嘩して、縄張り争いで敵対するグループの猿を殺した』という認識にしかならず、これが人間は人間を殺す理由 という場面を現していると気づかないと思います。
戦争をする理由と理解できないと思います。
そうなると、2010年宇宙の旅のソ連とアメリカの核爆弾の打ち合い寸前から和平という場面を描いていることが理解できないと思います。
神がついに姿を表し喧嘩している人間を仲裁した映画としか捕らえることができないと思います。
キューブリックはそんな事を言いたいため映画を作ったんじゃないはずです。
神が人間を救済する映画とするなら、映画の冒頭の長いシーンは要らないはずです。
『人間は猿程度なのか 人間とは何だ 他の動物と決定的に違う何かが人間にはあるはずではないのか それとも猿か』というメッセージ性のある映画のように思います。

おっと、進化論が正しいのか、神が人間を作ったのが正しいのか からズレちゃいました。
DNAの設計図をもうちょっと調べてみないと、まだわからないと思います。
神は宇宙の偶発的なもの とするならDNAはその偶発によって起こったと考えられるので、DNAの起源を辿れば神が創った ということもできると思います。
しかし それは個々の宗教が定義する神ではないです。

って思います。
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創造論が正しいと思います。

今の日本人の常識でそう認識するのは、自分で納得いくまで考える必要があるようです。
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決着はつかないというか、創造論の側は何を言われても、誤りを認めることはないって事です。

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進化論も創造論も現段階では1論説にすぎません。


確立されたなら進化学とかいう分野になるでしょう。

物事の証明には実際に実験してその現象を再現しなければなりませんが、進化という分野のスパンは長すぎて人間には証明しようがありません。
…だったのだろう という想像でしかありません。

個人的には親から子へ顔が似る程、遺伝子のコピーは完全になされるのに、何百世代過ぎようと他の生物に代わっていくのはありえないと思ってます。
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