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なぜ今の社会は競争心から他人と比較して格差を叩くような、他人や周りを気にして自分の位置を確認する人が多くなったのですか?
それでいて、人を蔑める一方で、自分がその位置に上ろう、と、矛盾してる行動に気づかずかない。周りもあえて口を出さないので、エスカレートしていく。一種の精神病なのでしょうか?自己愛性パーソナリティ?
嫉妬による攻撃性と、野心や欲求は、表裏一体なんだと思う。そんな攻撃的な人に、矛盾を指摘したら、どんな攻撃されるか分かりません。最近、恐ろしい人間が増えた気がしませんか?またそういう恐ろしい人間には、取り巻きがいることも最近分かりました。これらの集団は、なぜ攻撃精神を持ってしまうのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • こんなので、人間関係ってうまくいくんですか?

      補足日時:2023/03/10 12:46

A 回答 (5件)

日本社会は子供の頃は「みんな平等の」共産主義的教育なのに、大人になれば競争原理な資本主義社会へと送り込まれます。


ですから我々の心には平等を願う心と競争を願う心が同時に存在しています。

自らが不平な立場に置かれれば「不公平だと」平等を叫び、逆に不平な立場に置かれた者達を見れば「自己責任だ甘ったれるな」と言う。
現代の日本人はアカでもありシロでもあり、どちらでもないビつな生き物でもあります。


このような状態は国民の大衆化をまねきやすく、いわゆる民度の低下が起こりやすくなります。
自律性や考える力が希薄になり、強いエゴイズムによる承認欲求と共感だけが肥大化するからです。
そのような人達は自ずと集団を作りやすい事は学術的にも証明されています。

彼ら個人が悪いわけではなく、日本社会がそういう人間を生み出しやすい環境なのです。
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> なぜ今の社会は競争心から他人と比較して格差を叩くような、他人や周りを気にして自分の位置を確認する人が多くなったのですか?



「今の社会は」と比較している対象の社会では、競争心から他人と比較して格差を叩くような、他人や周りを気にして自分の位置を確認する人が少なかったことをどのように確認しましたか。
現実的な比較対照をしているのではなくて、多くなったと勝手に思っているだけなのでしょうか。
権力争いの多くは、単に強弱を競っているのではなくて、正邪のような気分を同時にもっているのが古代から現代まで共通だと思います。 普通は、それを矛盾とは考えません。 攻撃相手を非道とか悪徳とかそのようにみなして攻撃するのがごく普通です。 鬼畜、邪宗、不義、強欲そのように相手を位置づけるのが、普通です。 現代に近づくにつれてその傾向が強まっているとは思えません。

心理学で自己愛性パーソナリティのようなことをいうのは、そのようなこととは別のものです。 医療の分野で、精選病、精神疾患というのも、別物です。

> 嫉妬による攻撃性と、野心や欲求は、表裏一体なんだと思う。

野心や欲求を強く表す人が、嫉妬をベースにした攻撃性を持っていることは、むしろ希のように思います。 嫉妬と野心、欲求と嫉妬が、対極にあるものとも思えないし、随伴するものとも思えないです。

> 攻撃的な人に、矛盾を指摘したら、どんな攻撃されるか分かりません。

攻撃の方法やタイミング、攻撃の直接対象を、あらかじめ予測するのは、どのような場合にも難しいことが多いです。 適当に予測して防衛方法を講じることが多いのでしょうが、その読みの通りに攻撃してくるようなのは珍しいかも知れません。 攻撃する場合、相手の力量を見ることが重要なのは当然です。 ろくに力のないものなら、それほど攻撃法など考えず、ぶっ飛ばすだけで済むことも多いです。 相手のこれまでの行動傾向、どのような時にどうするのかを知っていて、相手と自分の実力差を考えれば、ある程度の予想はつくことが多いでしょう。 修辞的には「どんな攻撃されるか分からない」というのでしょうが、概ね予想はつくと思います。

> 最近、恐ろしい人間が増えた気がしませんか?

どのようなのを思い浮かべているのか不明ですが、金が得られそうなら、見ず知らずのところから強行で奪う事件は頻発しています。これを恐ろしい人間とみるのであれば、《嫉妬による攻撃性》とは無関係と思います。
駅馬車強盗、列車強盗、銀行強盗、火付け強盗、夜道の強盗や強姦のような類いは、《嫉妬による攻撃性》ではないです。
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とりあえず、蔑める、について。



蔑、は、さげす・む (蔑む・貶む)で、

送り仮名が「める」ですと、

いじめる  苛める・虐める
おとしめる 貶める

があります。

本題。
律令制以前、要するに国家が統一される以前、例えば狩猟社会、農業社会以前、農業が始まった後でも戦国時代は人々は食うか食われるかで、どうやって騙してやるか、騙されないようにするかが生活の基本でした。

世界では大航海時代に列強と呼ばれるヨーロッパの国々が世界中を荒らし廻り他の国を植民地にしました。

植民地にならなかったのは日本とタイだけ。

日本は明治維新後、列強の仲間入りをするため台湾と朝鮮半島を植民地にしました。

これが静まったのは、第二次世界大戦が終わった後です。
今、世界に植民地は1つもありません。
日本が東南アジア諸国の独立のお手伝いをした後、アフリカや南アメリカの国々が次々と独立しました。

でも人々が法の下で平等に生活している国はありません。

各国が独立後、人民が平等な法治国家を目指しているとは言っても、道半ばというか、経済力が貧富の差を産み、経済力が人々や国々の間で支配し支配される原因、いわば武器のようになったのです。
優位に立つには盤石な経済力が不可欠で、環境を破壊し、資源を枯渇させても、要するに人々が平等で幸せな最低限の生活と維持のためではなく、他を圧倒する力のために富の集中、新鋭武器の開発でそれを支えます。
そのための民心は競争に勝つことが第一義です。
政治家や役人のみならず、一般の人達も他国、隣近所で仲良く助け合うのではなく、競争に勝つことが幸せなのです。
手段を選ばないことも頻発します。

もちろん公の場ではみんなで助け合うことを話し合い約束しますが、守られていないことが多いので、時々集まって話し合います。

国連での会議から、町内会の集まりまでみんな同じで、中には問題を起こす国も人もいます。
動物的だ、なんて言いますが、動物は環境破壊も資源枯渇も、いじめも戦争もしません。
極めて平和的です。
人間だけです。
虚栄心と嫉妬。
無能なのに有能として認められたいのは。
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人は群れの動物として、組織に帰属する中で役割(仕事)と身の安心を得てきました。



しかし、現代社会は、一族や地域単位の群れが崩壊し、限りなく個人での行動を強いられています。
多くの人は、会社組織など法人を群れの代用品として役割(仕事)と身の安心を得ようとします。しかし、そこには群れよりも弱い絆しかありません。また家族も自力で一から相手を見つけて作り出さなくてはいけない状態に置かれています。

つまり現代人の中には、心の底から安心できる場所も相手も持っていない人が増えており、個人として群れが果たしていた対外関係の構築も行わなくてはいけなくなっている。

その対外関係の構築の最初が、対人関係におけるポジショニングの確認であり、それが競争行動に繋がっていく流れとなるのでしょう。
安心の場を持たない人のそういう行動は、自分の安全・安心が確保されない限り、永遠に、時に激しく現れ続けることになります。
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癒やしがなくて追い詰められてる人が多いからですよ。

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