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時間という概念は人間が勝手に作ったもの。
じゃあ時間的じゃない過去ってなに?
記憶の中にあるものってなに?
実際、体験はしてる。
その体験はなんだったの?

A 回答 (8件)

いえ、意味のない考えではないと思いますよ。



というのは、結局我々はほとんど言葉でしか思考できないし、伝達できないので、このような問い方をするしかない、というのが一つ。私も、fdsぎjrgpろいさんが問われたことを、自分ならばどう問うか、と考えてみると、似たようなことを問うか、もしくは何も問わないかの二択になりました。

そもそも、言葉(概念)を用いてこの質問をしなければ、例えば私もこの回答を思いつかないわけで、私も「知っていてこう答えた」というよりは、「考えてみたら回答不能だった」なんです。この通り、言葉のやりとりで出てくる回答自体は「勝手に作った概念のカタマリ」なんですけど、質問や回答、対話をすること自体は、

>実際、体験はしてる。
>その体験はなんだったの?

ここで言われている体験に他なりません。だから、宗教も「途中までは」経典だったり、説法だったりの「言葉」で出来ているんです。「究極的な教えは言葉に出来ません、だから経典も聖典もただの紙切れ、聖職者の説法は全部聞く価値なし!」なんて言い切る宗教は、たぶんどこにもないです。


>つまり人間は『神』というモノを「神」という言葉(概念)で言い表しているだけであって「神」は『神』というモノではないということですね…

>あれ?

これ、難しいんですけど、「国」なんかが分かりやすいでしょうか。地球に「日本」という場所がある、というのは人間が勝手に決めたことですよね。本来はただ、地球があるだけです。日本はたまたま島国だから植生や生態系と国土が割と一致しますが、人間以外にとっては国境って意味のないものです。

同じように、世界のある機能や現象を束ねて人間が勝手に「神」と呼んでいるだけであって、「『神』という独立したモノ」はそもそもない、と言っていいと思います。少なくとも、概念と無関係には「『日本』という独立したモノ」がそもそもないのと同程度には。


すみません、若干話が長くなりましたが、「時間」について一応できるだけシンプルに回答します。


「時間」というのは、「変化するモノの同一性」を理解するための概念です。

今日買ったばかりの瑞々しいリンゴを置いておくと、やがて腐ったリンゴになりますよね。

「瑞々しいリンゴ」と「腐ったリンゴ」は、物質として別物です。組成が違います。でも、我々はこれを「同じリンゴが変化したものだ」と認識しますよね。その、「物質的に違うモノなのに、同じモノとして認識する」の言い訳が「時間」です。

私たちが認識する「時間」とは、常に「物質の変化」のことです。なので、同じ物質的変化を繰り返すもの=時計を使って時間を測定します。

これは逆を考えてみると分かりやすいと思います。何一つ物質的な変化が起こらない世界があるとしたら、その世界には「時間」という概念が存在する意味がないですよね。

記憶というのは、物質的変化の過程の記録または想像です。これがあるから、私たちは自分や他人の同一性を保っていられる。先の瑞々しいリンゴと腐ったリンゴのように、かつての幼い自分と、若かりし自分と、今の自分が、全然違う見た目、全然違う考え方をしていてもなお「同じ私だ」と言えるわけです。記憶は簡単に捏造されるので、「想像」とも書きました。

なので、「記憶」を「時間」抜きで説明したいならば、「変化するモノの同一性」に着目すると良いと思います。
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この回答へのお礼

一度ご回答を拝見させていただき、時間を空けて再び拝見させていただいたのですが、理解できたかどうか(^-^;
参考にしてまた考えたいと思います。
ありがとうございます。

お礼日時:2023/05/21 20:33

哲学的な話になりますが人間が持つ過去とか未来というものは歴史や伝統といったものから紡がれた複雑な線のようなものだといいます。


人間は自分自身が結局は同じ過ちを繰り返す生き物だという事を解っています。
だから過去を学ぶことは未来を生きる事になる、これが「時間的じゃない過去」なわけです。

反面動物は今しか生きていません。
動物は自分の生きた記憶しかない、それはその個体の過去ではありますがその種の過去ではありません。
ですから未来を想像する事も自分が生きている間の事だけであり、子供を残しても意思が受け継がれることがない。
今という点がいくら繋がった所で点は点なのです。
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時間の捉え方次第ですね


それぞれにおいては時間の流れ方に関係なく現在しかありません
他方時間の流れ方一定でない事から互い時間を比較した場合どちらか一方からもう一方を観測した場合どちらか一方に比べて過去であったり未来であったりします
上記は時間を物理的に捉えた場合ですが物理的に捉える場合においても
「実体的捉え方」と「情報的捉え方」があります
ここで「実体的捉え方」の思考実験をしてみます
並んでいる2つのカメラ付モニターの前に座ってモニターを見るとします
右がわのモニターをみたまさにその瞬間にその画像が映しすようにしてあるためモニターをみたまさにその瞬間の画像が映し出されます
それに対して左がわのモニターは左がわのモニターにつけられているカメラとモニターとをつないでいる電線をカメラから発した電気がモニターに届くまで50年かかる程の長さにしてあるのでモニターに映し出されるまで50年かかる様にしてあります
これらのモニターを毎日みた結果見始めて50年後になって始めて左がわのモニターに画像が映し出されました。その映し出された画像は50年前の姿です
つまり50年前の姿と今現在の姿が2つのモニターによってそれぞれ映し出さたと言うことです
50年前の姿は50年前ののまさに現在の姿なのです。
つまり過去の現在を今現在見ていると言うことです
これが過去を実体的にとらえたその例です
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不動杉さんおはようございます。



名前と名前の指すものと名前がまとめる事柄があります。

じゃがいもと______と土に埋まった根っこがあります。

時間と______と流れる空間についた日付があります。

えりーさんおはようございます。

No.5が良かったです。

概念が人間同士の取り決めで固まります。

時間が指し示す概念ではなくものを言い表すことが難しいです。

乱雑さが少ない状況がありました。

乱雑さが増える傾向があります。

Coffe に入れた砂糖が溶けた後で析出しません。

時間に向きがあります。

質問本文に今とありません。

Youtube の動画の下に scroll bar があって横に動かすと早送りと巻き戻しができます。

『【アニメ】"時間が逆行"するとどうなるのか?』

さんがあります。
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初めまして



私は時間とは〝存在〝というものを客観的に見た場合の解釈の仕方ではないかと思います

存在しているものを主観的に捉えれば、存在しているそのものの状態になりますが、客観的に解釈すればその解釈の仕方のひとつが時間となるのではないでしょうか

そして、少しレアな解釈をすれば、自分達の人生が一生分のドラマのCDを再生し実体験している状態で、そのドラマの進み具合に目を向けた場合にそれが〝時間〝となる

ドラマのラストは自分の死で、死んだ後は再生していたブースで自分が付けていたヘッドホンをはずす・・・みたいな・・・

一番人気なのは〝坂本龍馬〝の人生で、もっとも再生した人が多い

だから、坂本龍馬は人気があり、みんなから好かれ生き方を共感できる・・・

再生している現在以外は、皆、過去か未来になるわけですが、すべて流れはあらかじめ存在している

未来が変動する可能性もありますが、それは作りがゲームの様にさまざまなストーリーをおり混ぜてある為・・・?
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すみません、ちょっと笑ってしまいました(侮蔑的な意味ではありません)。


面白い質問で、解くのは簡単、説明するのは至難、ですね。

回答自体は簡単で、

>時間という概念は人間が勝手に作ったもの。

そうじゃなくて、「概念」という物自体が、人間が勝手に作ったものなんです。そして、言葉は全て概念であり、「説明する」とは、事柄を相手に理解できる概念に落とし込むことです。

だから、過去や未来を「時間でない概念」で言い換えたとしても、それは単に「別の勝手に作った概念に置き換えた」に過ぎないんですね。

なので、

>じゃあ時間的じゃない過去ってなに?
>記憶の中にあるものってなに?
>実際、体験はしてる。
>その体験はなんだったの?

これを、情理を尽くして言葉で説明すると、ただの「時間と一言言えば済むことを長々と説明したくどい文章」になります。

概念でないものは、理解はできますが言語化できません。この世で、我々が言葉にするものは全て、「真理」であれ「神」であれ、「勝手に作った概念」です。

伝統的な宗教はもちろん、長い試行錯誤のうちにそれを理解しているので、不立文字(言葉にできない教え)や、名を呼んではいけない神など、「敢えて言語化しない中心教義」を持っています。
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この回答へのお礼

意味の無い考えでしたか(^_^;)
つまり人間は『神』というモノを「神」という言葉(概念)で言い表しているだけであって「神」は『神』というモノではないということですね…

あれ?

お礼日時:2023/05/21 13:00

過去は記録と記憶の中にあります。


未来は希望と想像の中にあります。
時間とはそれを分かりやすくする目安のようなものです。
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体験は体験の記憶ですね。


実際に過去にあったのだから、「無」にはできない。
肉体的な死を迎えても、魂の中に残り続けるし、有名なアカシックレコードにも、しっかり記録されています。

なお、時間という概念は、空間という概念と一緒でないと意味がありません。
古い書籍になりますが、「空間と時間の物理学/エル・ヤ・シュテインマン、水戸巌訳」がお勧めです。
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この回答へのお礼

魂…アカシックレコード…う~ん…

お礼日時:2023/05/21 12:24

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