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あれは、支那共産党の劉少奇ら3人がスターリンの命令を受けてやったらしい。
事実、周恩来は『あの一発で日本と国民党が戦争し、漁夫の利を得て今日中華人民共和国が成立した。』と述べている。

というのは本当ですか?
というのは10年前にそういう記述をネットで読んだのですが、
それ以降見た事ないからです。
盧溝橋事件の真相について教えて下さい。

A 回答 (3件)

周恩来の言葉は本当です。



戦後、支那を訪問した自衛隊の幹部に対して、支那共産党主席の毛沢東は「日本軍が支那で(支那)国民党軍と戦ってくれたおかげで、共産党は労せずして広大な土地を獲得し、天下を取ることが出来ました。謝々(シェーシェー)。」と言ったのです。スターリンと毛沢東の戦略勝ちですね。

だから日本政府は習近平に、「日本は中国を侵略したなどとウソを言うなよ」と言うべきです。

本当に、日本の政治家も外務官僚もダメだな。
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盧溝橋事件の真相は闇の中です。


中国側は日本による自作自演なので第二の柳条湖事件と言うし
日本側は中国による武装抗日活動の一環といいますが、
どちらも確実な根拠がありません。
ただし、一部で言われる中国共産党による謀略という説は
後述しますが現在ではほとんど支持されていません。


中国共産党計画説は、劉少奇指揮下に行われたとされますが、
「日本軍の盧溝橋侵攻に関する中国共産党の通電」が7月12日付
中国共産党機関紙「解放」に、7月13日付中華ソビエト政府
機関紙「新中華報」に掲載されました。
このことから中国共産党がソ連の指示で行ったといわれます。
しかし、肝心の電文が事件のあった7月8日に打電されたか
確認できるものはなく、事件に便乗した公算が強いとされます。

また、当時現地責任者の北方局書記であった劉少奇の動静としては
1937年6月10日から延安で中共中央常務会議に出席していて
7月16日に延安を出発して抗日紅軍前敵総指揮部のある
西安北西(涇陽)に向かったとされています。
劉少奇が事前に日本軍の演習場所と時間を察知して
事件があった7日夜までに盧溝橋付近にこっそり移動して
何食わぬ顔して延安に戻ってそこから出発したとするには
かなり無理がある設定なので現場指揮は無理であると考えます。
(ただし、当時日本と対峙した中国29軍には張克侠副参謀長など
 劉少奇以外の中国共産党の党員はいました)

ちなみに、盧溝橋事件は現地指揮官の暴走とよく言われますが
7月9日には現地で停戦協定が結ばれました。
しかし近衛内閣はこれを許さず華北への出兵を決めてしまい、
派兵の声明を出した1時間後に再度北平で第二次停戦協定が
調印されました。が、そんなことに関係なく準備は進められ
結局は日本側は暴支膺懲の意見が強くなり派兵を行いました。
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私が知る範囲では、



スターリンの関与は解らないが、劉少奇が具体的な作戦を実行指示した。
支那軍と日本軍の両方への同時発砲で、停戦状態から双方が裏切られてと戦闘へ移行した。
日本軍は、演習のため、実弾を持たずかなりの被害を受けた。
その後も、中国国民は誤解したまま現在の日中関係と成っている。
常に日本に謝罪を求める中国。
中国国民は、”嘘つきな日本人”と刷り込まれているのはこの事が大きかと。
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