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【「自分に自信がない人」ブーム】?なのか、自分に自信がない人という言葉が使われているのをよく見かけます。
この前述を問わず「自分に自信がない人」という言葉を使う人達は、逆に自信家な人が多いのでしょうか?

なんだかあまりにも、どの内容を問わずで特定の言葉を使われているのを見ると気になってしまって……とくに最近ネットを中心で見かける頻度が……
中国ではこういった言葉つかってる人はそんなに見かけないので、やっぱり少し目につくくらいにこの言葉が多用されているのかなと思い、一体この言葉を発する人達には、どういう性格の人に多いのかが、気になりました。

質問者からの補足コメント

  • これと類似した言葉で多用されているものに、【自己肯定感】という言葉もありました。

      補足日時:2023/10/06 01:25
  • 自信というものにこだわられているのか、ほんとに自信のある人は~~という、自信の定義に細かな意見も同時に多々見かけます。
    日本は謙虚な文化があるみたいで、だからなのか「自信を出すこと」「メンツやプライドを重んじること」も良しとされていないし、もともと自信喪失しやすい性質とも聞いたことがあります。

      補足日時:2023/10/06 01:40
  • (下の補足の続きです)
    そういった独特の性質から、彼らは「自信を持つこと」 に内心で特段強く憧れていて、「自信のないことはよくないことだ」「自信のない人はかっこ悪い人間だ」みたいに思っている反面に、他者が強い自信を持っていることにもコンプレックスを感じたり「生意気」などのように否定的に捉えてしまうために、何かと自信のない人と断言する人が多く、そしてプライドの高い人とか、はたまた自信家の人に対しても「そういう人は実は自分にコンプレックスがある人で」とか「本当に自信のある人は他人にも優しく謙虚でありすべてを肯定できる余裕のある人です」というように、「自信のある人」のことを、言わば「とても都合の良い完成された理想の人物像」に置き換えている心理の顕れなのかなという仮説も、個人的に推測しているのですが、これも的外れかもしれないです。

      補足日時:2023/10/06 01:43
  • 遅くなってしまいごめんなさい!みなさん、たくさんのご回答を改めてありがとうございます!

      補足日時:2023/10/17 06:55
  • oniwabangairuさん、ありがとうございます!
    そうなのです…!そのような、特定の物事や状態に用いられるだけの表現だとわたしも解釈はしていました。それなのに、ネットで以前よりもだんだんと、この言葉を、その対象の人格の一つであるようなニュアンスで、やたらに多用されていることが高確率であり、とても不思議に思っていました…

    〇〇な人は劣等感がある人、〇〇な人は自信に自信がない人、〇〇な人は自己肯定感が……
    などのような。
    本来の意味合いが、曖昧になってきているようで、そしてあまりにも使用されている光景を多々見かけると、さすがに引っかかってきていました汗

    また、これはさり気なくその対象者を見下す人間の心理の現れではないのかと考えて調べてみたところ、タイムリーの如く、「見下す人は自分に自信がない人」などといった書き込みを多々見かけ、もう混乱してしまいました汗

      補足日時:2023/10/17 07:01
  • むいしぜんさん、ありがとうございます!

    そうですよね…!
    日本以外では、それが当たり前というか自然な感覚ゆえに、普段から自信云々に意識をしているわけではないけれど、だからといって日本とは真反対で、個々が主張してこその文化があるから、自信を持たないとダメだ!とハッキリ言えるんですよね。

    日本は特別に、自己主張や我が強くあることは良くないと思われているようで、そういう文化の影響も加わり知らず知らずに自信喪失はしやすく、そういう人は結構いるのかもしれないですね汗 ただ、それなら今さら自信を持つことにこだわるような風潮がなぜできたのか?というところに、一見すると一貫性がなく不安定に思えてきますね…不思議な社会風刺です汗

      補足日時:2023/10/17 07:10
  • moto_koukouseiさん、わたしの拙い日本語と文章を噛み砕きながら、たくさんの詳細や意見をわかりやすく丁寧にして頂いて、ありがとうございます!
    なるほど…意外にも、「自信がある人」の本来のニュアンスで考えると、それに該当されることは、とてもむずかしいものなのですね…汗

    無根拠な自信も自信があるとは言えず、実力が伴い実績も残した上での「自信」を持っている人、なのだから当然、理想像とされやすいのも納得です!
    つまり、日本で言われている「自信のある人」というものの本質は「実力もあり、その証拠に実績もしっかり出していて、謙虚な姿勢は持ちつつも、内面に確固たる自分への信頼、強みなどを自覚している状態」のことなのかもしれないですね。

      補足日時:2023/10/17 07:27
  • 【下の補足の続きになります】

    実力がない自信の強さでも、いわゆる自分を鼻にかけている強さでもない…
    だけど、弱腰になることはなく謙虚な姿勢で、前向きに自分を捉えながら、自分を信じてコツコツと、さらに前進してく、というこの絶妙なバランスは、本当に難しそうです汗

    以前は、日本人は謙虚の文化があるにも関わらず「自信のある人」のことをやたらに評価しているということに違和感を感じていたのですが、しかし、こういう意味合いでの「自信のある人」ならば、むしろ日本人の価値観らしいなと感じました!

      補足日時:2023/10/17 07:27

A 回答 (5件)

「英語は自信ない」「数学は自信ない」「体育も自信ない」というような言い方は、結構気楽にいわれ、飛び交っていると思います。

でも、多くの人は深刻に感じていてそのように発声しているのではなくて、成績の高位低位の表現方として言っているだけだと思います。容姿や能力、場所に応じたマナーなど、あるいは頼まれた仕事ややるべき役割の遂行についても「自信なくて」というのはその一環です。高位のポジションなどに憧れを持ってはいるのでしょうが、真剣に希求したり、渇望しているのではなくて、もっと「気楽な」表現方です。

この下のような事実を下に、「学校も、家庭も、社会も、もっと自信が持てるようにすることを考えるべきだと思う。(K・H)(2015年11月16日)」のように解釈することが間違っているのだと思います。
https://www.kyoiku-shuppan.co.jp/kenkyu/case1/36 …
子供でも、学生でも、大人でも、「自信ないなぁ」「自信がなくて」は、ただの常用句でしかないです。 「おはようございます」「お世話になってます」「ありがとうございます」「よろしくお願いいたします」と同じです。 「個々の単語に分けて意味を辞書で調べて文意を求め、意識を推定する」というのが間違っています。 「よろしくお願いします」が多用されているのを、依存心が高い、他人に期待し自助努力の気が低いと思うのは、間違いです。
「自信ないなぁ」「自信がなくて」を、「故意に低い表現をすることで実力があることを示す」反語表現の一種と考えるのも、考えすぎです。

「うつ病です」「不安障害です」と自分を表現する人の出現率は、日本は他国よりも低いらしいです。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://www2.axa.co.jp/info/news/2023/pdf/230316 …
世界:ストレス・うつ病・不安障害の国別比較
日本は、世界16の国と地域の中で、ストレス(重度から中度程度)、うつ病、不安障害について自ら表明する割合が顕著に低かった。ストレス症状を表明した割合が最も高いのはトルコ66%、最も低いのは日本27%、うつ病を表明した割合が最も高いのはトルコ25%、最も低いのは日本12%となった。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
WHOによって大規模に実施された疫学的調査(世界メンタルヘルス調査)の結果を引用しているOECD Factbook 2009のデータでも、実際にうつ患者は日本では低いようです。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2140.html

言語使用には、言語文化というのがあるので、言葉・単語を辞書的に確認しても、それで、会話や書き言葉の社会的意味が分かったように思うと、しばしば間違いを冒すと思います。
欧米キリスト教圏で、「God」の言葉が多用されているのを、「信仰心が高い」と解釈するのと同じような間違いを冒します。
「【「自分に自信がない人」ブーム】?なのか」の回答画像5
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> 日本は謙虚な文化があるみたいで



日本で育ち、今は高齢者ですが、日本に謙虚な文化があるかどうか、わかりません。 自分自身の経験で、謙虚な人や、謙虚な表現が多いとは感じてません。 ただし、自分の経験の範囲など狭いし、関東地方でない場合や世代が違う場合、諸外国との比較などはもちろん出来ません。
なお、狭い経験の範囲とはいえ、「若輩者ですが」「未熟ものですが」「世間知らずで」などへりくだったという表現方は使います。 「……などが」は、「お前などが」「私などが」「カネなど」と使う場合には、「見下している」ことを現す表現法であって、(漢字の辞典で確認出来る)等の漢字の用法にはないものです。
たぶん、上下関係を意識することがなんとなく習慣のようになっていて、敬語・謙譲語や褒め言葉・侮蔑語、そうした表現法が多くなっているように感じます。 心理的に謙虚なのではなくて、表現法、言語文化のようなものとして、相手を上げるような方法が多いように思います。

小学校、中学校などの年齢だと、試験の前・後で、「自信ないな」「自信ある」と盛んに言っていたと思います。(現在の小中学校は知りません) この場合の「私 自信ある」「わたし 自信ない」は、ただ単に「正解・誤答・高成績・成績不良」を指しているだけであったと思います。 現在の日本の職場で「どうだ。自信あるか」と問い、「自信あります/自信ないです」も、成功/失敗のような意味で「自信」の語を使っていて、謙虚な心情か慢心しているのかの会話ではないでしょう。

> 【「自分に自信がない人」ブーム】?なのか、自分に自信がない人という言葉が使われているのをよく見かけます。

ネットで探すと「自分に自信がない」というフレーズは多く出てきます。 以前はネット投稿そのものができる環境がないので、今昔、歴史的状況変化は分かりません。 しかし、気分性障害/うつは確実に増えています。 日本だけではないようです。 どの程度客観性のあることかわかりませんが、このよに感じていても、むしろ日本はうつが少ないようです。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2142.html
うつではあっても、それほど重症ではない状態であれば、「私は自信がない。不安だ。恐ろしい」と自ら言って、書いて、アピールしてということになって、ちょうどネット空間があれば投稿するということにもなるのでしょう。 
これは謙虚とは違うものだと私は思います。卑下や自虐でもないでしょう。

漢字文化圏といっても、日本と中国、21世紀と20世紀や18世紀では、熟語表記が同じでも「意味合い」がずいぶんと異なることはあると思うので、あくまで、私の今の語感で言えば、「今の日本で、"自分に自信がない人"の類いのフレーズが多い」のは、 《謙虚さが目立つことを示すもの》ではなくて、《自分を正当化しアピールしようとする自己顕示欲が目立つことを示すもの》でしょう。

> 「自分に自信がない人」という言葉を使う人達は、逆に自信家な人が多いのでしょうか?

私はそのようには思いません。 自信家ではなくて、自己正当化を自分の中で抑えるコントロールをするのではなく自己顕示で自己防衛を強固にしようとしているのでしょう。 何かをしないことを、「体力がなくて・いま不調で」と、自己防衛のための正当化の口実を適当に利用している面が強いです。 自信家なら、出来ない・やらない・したくないとなっても、「自信がない」などという表現はさせて、別な表現を使うでしょう。

> あまりにも、どの内容を問わずで特定の言葉を使われているのを見ると
> どういう性格の人に多いのかが、気になりました。

そこまで熱心に「自分に自信がない人」の用例を探したことがないですが、
A「自分に自信がない人」 B「自分に自信がない」
Aの場合には、{[B「自分に自信がない」と思ったり・感じたりしている人]をターゲットにしている記事}であるように思えます。
前述の[ややうつっぽいけれど本格的にはうつではない人]が沢山いるとなれば、それをターゲットに書籍・雑誌・新聞・ネットを利用して活動を開始し、盛んに「自分に自信がない人」と連投するのでしょう。
めんたるクリニック、自称臨床心理士、ユーチューバー、自分でうつ状態から回復したと思って盛んに活動開始した人、色々いると思います。 公務員で厚生行政の一端を担っているために職務としてやっている人もいれば、患者や顧客を呼び込む意図が旺盛の人、それこそ自己顕示欲の強い人、自分がよかったことを経験者として情報提供・支援にまわりたい人、多種多様でしょう。 メインであっても1,2種の性格に絞れるものではないと思います。

> 日本は謙虚な文化があるみたいで、だからなのか「自信を出すこと」「メンツやプライドを重んじること」も良しとされていないし、もともと自信喪失しやすい性質とも聞いたことがあります。

私は「メンツやプライドを重んじること」は重要視されていて、「面子やプライドを損なわないことに気遣っている」人がとても多いと感じています。
特に他人の面子を潰すとかプライドを傷つけるとかないようにするのが周囲に見かける文化だと思います。

> 彼らは、❶「自信を持つこと」に内心で特段強く憧れていて、「自信のないことはよくないことだ」「自信のない人はかっこ悪い人間だ」みたいに思っている反面に、❷他者が強い自信を持っていることにもコンプレックスを感じたり「生意気」などのように否定的に捉えてしまうために、❷-2何かと自信のない人と断言する人が多く、❸そしてプライドの高い人とか、はたまた自信家の人に対しても、❸-1「そういう人は実は自分にコンプレックスがある人で」とか、「本当に自信のある人は他人にも優しく謙虚でありすべてを肯定できる余裕のある人です」というように、❸-2「自信のある人」のことを、言わば「とても都合の良い完成された理想の人物像」に置き換えている心理の顕れなのかな

ずいぶんと複雑な文章で、文意が理解出来てないかもしれないです。
で、バラバラに、個々に感想を書くと、
❶「自信を持つこと」に内心で特段強く憧れていて、「自信のないことはよくないことだ」「自信のない人はかっこ悪い人間だ」みたいに思っている
⇒ 私も、たぶん周囲の人も、❶のように感じてます。

❷他者が強い自信を持っていることにもコンプレックスを感じたり「生意気」などのように否定的に捉えてしまう
⇒ 逆のように思います。 スター選手、スターミュージシャン、強くて優秀で自信満々にいる人に賛辞を送り、賞賛し、憧れるという方がポピュラーです。実業界の中でも、研究者でも、あるいは商売や投資家のような人々の間でも、同様だろうと思います。 偉人伝というのでもなくても、今も活躍中の人に人気があり、そういう人々の間でさえも、「生意気」というよりも、憧れや崇敬の感を持つことが多いように思います。

他人が強く自信を持っていると感じた場合に、その他人について❷-2かと自信のない人と断言する人がいるとは思いにくいです。 いたとしても、かなり希でしょう。 [他人が強く自信を持っていると感じた場合には、あいつは自信過剰と断言する]ことはあると思います。

❸、❸-1、❸-2のつながりが分からないです。
❸-2は、特に文意が分からないです。

「自信のある人」を「理想の人物」のように思うことはあるでしょうが、{「根拠のない自信を持つ人」も「理想の人物」群の一部に入っている}とは思ったりしないでしょう。 
「自信のある人」は、それなりの実績や実力も意欲も志向もあるのが当然だと思っているのです。 志向も曖昧で、意欲も弱いということがあれば、「自信のある人」とは見做されないでしょう。
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ある海外留学をした女性が自分に自信がない振る舞いをすると「もっと自信を持たないとだめだよ!」と周囲から必ずと言っていいほど言われるのでカルチャーショックだったと聞いたことがあります。



でもその人は日本に帰国後は多少自虐的に振舞っても「気にしない方が良いよ」と慰められるのがとても心地よく「ああやっぱり私は日本人なんだな」と実感したそうです。
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自分では自信あるのだけど、でも、人にそれを主張する程の自信はない様な自分や人の事を言う場合に使ってると思いますね…今の時代の若い人達は…。

昔とは感覚がズレてる事は結構沢山ありますね…ついてけれません(笑)
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この回答へのお礼

ありがとうございます!そうですよね…一つの同じ言葉でも、時代が経つにつれて、微妙に意味合いや使い方も知らずと変化していっているのでしょうね汗

お礼日時:2023/10/17 07:03

正直な人が増えたということでしょう。

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この回答へのお礼

なるほど…ありがとうございます!

お礼日時:2023/10/17 07:02

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