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「きれいごと」を広辞苑でひきますと、

「見せかけの体裁を整えただけで、実質の伴わない事柄」となります。

例えば、首相の所信表明演説とか、企業の理念とかで、こりゃあ建前だなと人々が
思ったときに使う言葉であり、「平和」とか「平等」を社会は目指してゆくべきで
あるということを主張する人に対して使うことは言葉の意味からして間違いではな
いかと思います。

このことを改めて考えようと思ったきっかけは、香山リカ氏の「今どきの常識」と
いう16年前に出版された本のまえがきの次の一節を読んだことでした。引用します。

《最近は大学に行くのが気が重い。事務室で出勤簿に判を押し自分用のメールボッ
クスを開けると必ずと言ってよいほど私の原稿を新聞や雑誌で読んだ人達からの手
紙が届いているからだ。そして、そのほとんどは抗議や批判の手紙なのだ。そこに
はこんな言葉が並んでいる。

「平和」「平等」などときれいごとを言うな。
この厳しい世界の現実が目に入らないのか。
自虐的なことを言って国を売るのがそんなに楽しいか。
日本人を侮辱するつもりなら、さっさとこの国から出て行け・・・

私は子供のころから「理想は高く持ちなさい」と言われて育った。「やっぱり世の
中こうあるべきじゃないか」と理想を口にすることが誰かを侮辱することになるな
んておかしいじゃないか…》

香山リカ氏に対してのこれらの言葉は、16年経った今日、今どきの常識になってい
るのではないだろうか?そして、それは良き社会を目指そうとする目的の実質的放
棄ではないだろうか?SDGsこそきれいごとではないだろうか?

様々、ご意見を頂戴したい。

A 回答 (10件)

ちょっと前置きが長いけど、読んでもらえたらうれしいです。


18世紀後半に活躍したイギリスの文人政治家エドマンド・バーク(1729-1797年)は、保守主義(conservatism)の父と呼ばれます。彼自身はコンサバティズムと称してなかったらしいし、保守主義なら彼以前にもあっただろうと思うかもしれませんが、その昔は王党派などというくくりだったようです。
そいで私は素人なので手っ取り早く書き殴っちゃいますが、バークは名誉革命より後の時代の人なんです。イギリスはすでにピューリタン革命で国王を処刑し、名誉革命で国王を退位・亡命させた歴史がありました。その結果国王の親政は退けられ、貴族や有力な平民らも国政に加わるようになりました。
バークはそれを絶妙な調和と自画自賛し、イギリスの現状を肯定しました。革命以前に戻そうとはせず、名誉革命体制を擁護したのです。それが保守主義というものでした。

というわけで、保守主義は復古主義とは別物で、むしろ革命擁護体制と言えます。革命の成果を享受しつつ、新たな革命には反対するということです。バークは当時勃発したフランス革命の急進性を痛烈に批判しました(ただしアメリカ独立革命は肯定したらしい)。
これがまた戦後日本の保守主義によく当てはまるんですよ。第二次大戦に敗北して、GHQの指導のもと革命的な変化を経験しました。そして占領が終わったら旧に復するのかというと、そうはならず、日本の保守政権はアメリカと協調しつつ体制を維持しました。革命的な変化はほぼ引き継ぎました。言うなれば戦後革命体制でしょう。そのうえで、新たな革命(社会主義革命など)には反対したわけです。

ここでご質問の話につながっていくのですが、「平和」や「平等」の理想は戦前もあったとはいえ、戦後の被占領期に改めて取り入れられ、新憲法で確定されたものです。
戦後の1955年に結党し長年政権を担ってきた自民党も、「自由」「民主」の理念が基本です(単に保守合同前の党名を引き継いだだけではない)。戦前は、学生が談論風発して自由や民主を語ってると、私服警官が見回りに来たそうですが(高校の時おじいちゃん先生(東大文学部卒)から聞いた体験談)。私服警官は刑事だけでなく公安にもいます。

つまり、右寄りの人が「平和」や「平等」をきれいごとと言って攻撃するのは、保守主義に唾を吐くようなものなのです。「平和」や「平等」は単なるきれいごとにとどまらず、われらが日本国の基本原理に据えられています。
しかし、日本の保守主義者は戦後革命の成果をちゃっかりと享受していながら、冷笑を浴びせるのがかっこいいと思っています。彼らにも頭のいい人と悪い人がいて、いい人はそのカラクリに気付いていますが、悪い人は冷笑を浴びせることしか知らないのです。

悪い人は、アメリカのからくりにも気付いてないと思います。
「厳しい世界の現実」に対処するには、軍備を増強するだけでは足らず、「自由」や「人権(いわゆる新しい人権も含む)」などの理想を唱道して自国も諸外国もリードするのが役立ちます。軍備(を支える生産力・技術力)と、理想(の宣伝)とが、アメリカという車の両輪になっています。
リベラル派に至っては、それらの理想で自国を批判することさえ厭いません。ただし、「自虐的なことを言って国を売る」のではなく、返す刀で海外の非民主的な国々も厳しく批判します。理想を語って理論武装することは、アメリカを強くするのです。
以上、香山リカさんの言ってることと異なるとは思いますが、私なりに援護射撃してみました。
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空気の構成を考えると、99.9%は、窒素80%、酸素20%といわれるくらい。

0.1%は二酸化炭素。はい。SDGsの連中は、この事実を知っていても嘘を突き通します。温暖化は、人の出す二酸化炭素のせいです、うそぶき回るのです。しかし、二酸化炭素は、微少物質です。笑
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SDGsは、きれいごと、というというよりも、「大きな嘘物語」。

嘘物語をでっち上げ、人々を恐怖させ、それに基づいて、消費行動を誘導し、利益をあげる。世界規模の詐欺物語。
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SDGs読んできたけど



16.6 あらゆるレベルで、有効で説明責任のある透明性の高い公共機関を発展させる。
⬆️
国連が出来てないから
( ̄~ ̄;)綺麗事ってより!
なんて言えばいいのかわからないですよ

活動資金の開示とか!
国連の内部問題とか!

出来そうな事に手をつけてないから
イーロン・マスクにすら言われてしまってますもんね

綺麗事ではなく、なんと言うべきなのか言葉が見付からないですよ!

平等な社会をつくると掲げるの良いことなんだけど

その為になにかしてますか?
平等でない人を問題視したり!裁いたりと平等に向けた努力は沢山あるみたいだけど

平等って、争いの種にされたりもしてますもんね

なんかグローパル思想の全体主義者が、自分本意な管理社会を作るために
人々を先導してるような気持ちにも成りましたよ

地球の人口を五億人とする
なんてな文言で有名なジョージアガイドストーンを思い出して

国連に加盟してる国の大半が社会主義なんてな話もリンクするから

SDGsの活動は自由主義国家からしたら
こわい一面もありますね

綺麗事ってより!( ̄~ ̄;)何て言うべきなのか?

ほんとに言葉が出ないですよ
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彼女は綺麗事を吐く割に、悪意があるのかないんだか汚れ仕事も躊躇無く実施するなど、単に自分の価値感を押し売りするから嫌われるんでしょうね。

更に行動と泣き言は相関性があるのに、そのときだけは立場を代えてしまうのも何だかなぁという気もします。

>SDGsこそきれいごとではないだろうか?

そういわれれば彼女の行動によく似ていますね。教条的かつヒステリックな綺麗事の押し付けをするのですが、プラスチックはリサイクル率を上げようとも駄目、紙素材は大量に焼却処分しようともOK、次世代自動車はEV限定で、水素燃料は駄目とかです。

昔からその萌芽はあって、「割り箸は駄目、My箸かプラ箸」みたいな流れもあったのです。
実際のところ、割り箸は間伐材を有効利用したものですが、悪者にされたので間伐が無くなり森が荒れました。間伐しなくなったので杉花粉も増えました。割り箸は中国からの輸入に切り替わり、木材伐採、加工、度が過ぎた漂白剤漬けなど、なかなかに凄い話になっています。日本での割り箸加工を絶滅させることが目的だったのかなと思っています。

大都市集中なんかもSDGsでは批判されそうです。でも、人が分散して中都市や小都市が沢山増えると物流が非効率になります。

エンジン系は駄目というのであるなら、諸外国のディーゼルエンジン鉄道車両は電化しないとなりませんが、何故か議論されていません。

高尚な目標があろうとも、「利権構造切り替えのチャンス!」ということで群がっている輩ばかり、進め方が文化大革命的を彷彿とさせる決め付け・押し付けなので辟易としてます。
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言葉は。

受け取る側の多様な環境により容易に別の意味に
変化してしまうのです
言葉には限界がある、と見ていいと思います
更には落とし穴もあるのです

言葉は、はたして生々流動しゆく実在を、あますところなく写し取ることができるのか。
人聞はそうした実在を固定化してしまう 「言語の虚構性」の罠、「抽象化の罠」から、どうしたらけ出ことができるのか一
このような「言葉の虚構性 」に対する警戒 、さらには
「言葉への不信」 さえもが、いまほど必要とされている時代もないと思う

言葉で表現される理性的法則によって現実の問題の原因を明らかにし、
その解決策を示そうとする。それは正しいと思われる
しかし、しかし、そもそも現実を 「あますところなく写し取る」
言葉など存在するのか、 と思うのです
言葉への絶対の信頼はありません
だからこそ「きれいごと」を言うな、と多くの人が体験的に思うのです
実践、行動、結果の出せない人の
「平和」「平等」など、まさにきれいごとなのです

ゲーテは「太初に言ありき」に納得できず
はじめにあるのは 「言葉」ではなく、人間の「行」であると考えたのです
「太初に行ありき」だ。と
懐中電灯の光は、自らの責任で一歩一歩前進しようとする人がいて、
はじめて生かされるのです

知識によって描き出されたユー トピアへの青写真どおりに、
強引に社会をっくり変えようとする思考法に問題はないだろうか
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環境に適者生存してるだけの話じゃないの? 結局。

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昔は軍隊式とか女の涙とか 怖ろしいことがまかりとっていましたから



今でも企業戦士は命懸けで働いています

本当に死んだりします。犠牲者が出るのです。

これからは本当のチャンスじゃないですかね

地球中の人類が気候変動と人口爆発に晒されています

ここにヒーローが出てくれば 彼は命懸けで世界の人を救うでしょう

イエスの時のように貼り付けになっては元も子もありませんが。
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人は言葉では動かないからこそ


他人の行動を観て判断する生き物だと
個人的には思ってますよ

だからこそ
行動の伴わない言葉を
綺麗事だと!

断罪したりしますよ!
(  ̄▽ ̄)にっこり

SDGsこそ綺麗事って書かれてるけど
SDGsがわからないから
ニャンポコリンさん
オシエテヾ(・ε・。)
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この回答へのお礼

>人は言葉では動かない

これも、「きれいごと」の範疇に入ってしまうかも、なんて思ったりしますが(笑)、人の行動を見て人の目的とか本気度とか志なんかを感じて、「人生意気に感じる」という世界がかつてはありましたが、今はどうでしょう?

人の言っていることを、右だ左だと枠にはめ、人の行動などに興味がなく、ググってザッと知る程度、何で動くかと言えば「コスパ」の高さ。というのが、現代と言う時代ではないでしょうか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E7%B6%9A …

ここでは私は、SDGsが「きれいごと」であると断じてはいません。どうだろうかという問いかけです。

お礼日時:2021/11/13 15:04

日本国憲法の前文や企業や学校での建前とおぼしき思想は、理念です。


現実と乖離してはっても、崇高な理念を志して生きる精神的「善」の象徴として、掲げておるのです。
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この回答へのお礼

その通りです。

しかし、私の目から見て「明らかに」体裁のみであろうというものが存在しますし、ほとんどの人がそういう判断をしている対象はあるだろうと思います。

その判断が正しいかどうかにかかわらず、その対象は「その人にとって」きれいごとを言っているということになります。

まずは、言葉の意味を確認したいと思いました。

お礼日時:2021/11/13 14:51

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