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人間は度忘れをします。人の名前とか言葉を。
でも、その時に人の顔は浮かんでいるし、そのものは頭に浮かんでいるものです。
「あの人」とか「あれ」というように。

ということは、人間のものに対する認識は言葉だけでなく、別の方法でもなされているのかと思います。あるいは、本質的には直感的な方法で成されていて、言葉は記憶の為に使われているに過ぎないのかとも思います。

このことについて、脳科学、心理学、ベルクソンの哲学、あるいは経験などから、どういう事が言えると思いますか?

A 回答 (4件)

言語、てのは事象を現す為


人為的に作った
記号に過ぎません。

映像は事象そのものですが、
名前は言語です。

直接的か、間接的か、という
違いだと思います。
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画像情報とデザインとしての文字情報は異なっているので本来相関性はありません。

これは人の顔(画像情報)とその人の名前(デザインとしての文字情報)についても同じです。つまり本来人の顔とその人の名前とされる文字情報は相関性がないと言うこと。 
人の脳は本来相関性=関係性がない異なる情報を互いに結びつけて相関性=関係性をもたせるのでこれを紐付けといます。こうして一旦紐付けられた情報はワンセットとして処理するので
名前を思い出せば顔を思い出す
顔を思い出せば名前を思い出す
というふうどちらか一方を思い出せばもう一方を思い出せるようにしているのです
とは言え
文字と画像情報は根本的な性質が違うことからそれぞれ処理している部位は異なります
加えて文字情報の記憶容量は画像情報の記憶容量と比べて少ないことからそれぞれの記憶容量に対する年齢を重ねていきながら記憶してきたそれぞれの情報量の割合は文字情報の高い=パンパン状態のために探しにくい=思い出しにくくなるのです 
これが人の顔は思い出せるがその人の名前が思い出せないその理由です
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もう一言書き忘れましたので書きます。

自意識は物事を割り切ってみる機能という事から、有限の世界しか理解出来ません。処が右脳の機能は割り切れない世界が専門という事から、無限の世界の良き理解者と云った意味が在ります。

人間は絶えず意識する自分から、無意識の自分と云った二つの世界を行き来して恙無い毎日が成り立っています、そう云った切り替わりが大変にうまく行っていて、全く違和感を抱く事が無い人を『健常者と呼んでいます。』

その逆に切り替わりがギクシャクして困っている場合に神経症と呼んでいます。話をする場合に本来の話の仕方を忘れた場合を吃音、字を書く場合では書痙と云っています。

そう云った切り替わりをしている時に、何千分の一秒かはわかりませんが、出会う場合が在る様です。その出会いに拠って仏性の永遠性に触れた自意識は『既に自分は永遠の命を持っていた事を実感します。』

この体験以後は、一切の死の恐怖は無くなります。そうしてそう云った効果は死ぬまで続くようです。この体験を禅では『生死の問題が解決した。』と表現しています。

その気分は今更お前は誰かと聞く必要さえも無かった。となっているようです。
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人間の認識の仕方は、二つのやり方から成り立っているようです。

一つは自我意識というものが直接に見たり聞いたりして物を記憶すると云ったやり方です。学校などで学んだり本などから学ぶやり方と思います。

もう一つの方法は、貴方が云う様な直感からの認識です。私は素人ですし、余り学問と云ってもやった事も無いのですが、興味が在って参加させてもらいます。

人間の脳は二つ在る様です、一つは自我意識というものですが、左脳の意識と云うものの様です、機能から云うなら『言葉で表現する機能』で成り立っているようです。

処が人間がこの言葉を使うようになったために、人間の脳が進化をして生活が人間らしくなって来て、楽が出きるようになったようですが、又この進化によって、人間の悩みが深まって来たと云った結果も伴った様です。

その理由ですが、左脳の機能は『言葉』に代表されているように、物事を分別をして言葉にして紡ぎ出すと云った作業です。この意味は物事に理屈を付けて分別して分けて行って細かくして、割り切って行く作業です。

こういった作業の結果、大昔には気にならなかった事柄、人間の死とか動物の死とか、或いは永遠なるものと云った、大自然と云ったものとかでさえも、実感が出来難くなってきた様です。

この原因が左脳の機能である、分別機能の発達です。こう云った機能が思春期頃になって、脳の機能分化の発達によって人間を大いに悩ませる場合が多くなってくるようです。

人間の脳(心}が機能の分化に拠って、二つになって争いだす事を意味するからです、自我意識は自我の目覚めと云った現象になりますが、右脳の機能は『無意識の底に隠れてしまって』自意識とは没交渉と云った関係性になってしまうからです。

処が右脳の意識は、自我の奥底から訳の分からない状態と云っても良い様なもの、漠然とした不安等を醸し出す場合もある様です。

聖書もこの事に口を挟んでこう云っています、知恵の実を食べて天国から追放された、と言う訳です。これ以後人間には苦しみが付きまとうようになった=失楽園が始まったと言う訳です。

隠れてしまった心は。自意識の背後から信号によって情報を送っています、その情報を受けて『見られている自分』として、もう一方の心は見ている自分として』二つに分かれて人間の精神疾患が始まるという理由になっています。

つまり二つになった心が矛盾を起こしたり、対立したり分裂をするようになるという意味です。この場合の無意識の底に隠れてしまった心は、キリスト教では『神』となって、仏教では『仏性』となっています。

共に(元々は同じ右脳の機能ですが)この意識は仮に無意識の意識ですが、省略をして『禅の様にそれ』と書きます。

『それ』は自意識に言葉に拠らない情報で、『目の前の生きて行くための情報を絶えず送り続けています。』高い処に上がった場合では、一瞬にしてその高さとか危険な情報を伝えています。

人に会った場合等では、その目の前の人が何歳だとか、うさん臭い人間かとかその詳細を教えています。運命の赤い糸で結ばれると云った場合では、こちら側の二つの意識と、相手側の二つの意識が共に二対二で共鳴すると云った事になります。

納期が迫った場合では。せかせかとした気持ちにさせて教えています。人間が見ていると云った場合では、自我と『それ』が共に見ています。

もっと分かり易い表現をするなら、ノイローゼとか神経症等での症状を起こしている犯人と云ったら分かり易いと思います。

人間の心を不安にさせている当の本人です、高い処を怖いと思わせている犯人という意味です。

神経症等では医師の元に行って如何に精密な検査をした処で何処にも異常が在りません。こう云った異常が無い場合に神経症と云っていますが、今の医師とか今の精神医学界では、神経症の原因は分っていませんが早期治療で早く良くなります、と云っているようですが、原因が特定出来ていない段階で❓と思います。

とりとめの無い事を書いていますが、結論を書いてみたいと思います。釈迦が苦悩した時、釈迦は心の矛盾に苦しんでいたようです、その証拠が『一切皆苦』です。意識する時には苦しいという意味です。

神経症でも、自律神経失調症でも。心に矛盾を抱えている状態は大変に苦しいです。その理由は『それ』とは命の源=仏性だからです。自分の命の源から、心に圧迫が加えられているからです。

漠然とした不安の大型版が、心に感じられているからです。

処が釈迦が仏性と出会ったように、苦しみの果てには出会いが在る様です。科学的な根拠ですウイキぺデアからです。

是はてんかんの治療のために左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時代の話です、沢山の脳梁が切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。

この状態を自らが脳卒中になったために、体験として語っている動画を載せてみます。


脳科学者である女史が脳卒中になってしまって、右脳の自分と左脳の自分を体験として語っているものです。


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