アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

多様性を認識する(受け入れる)ということについて。
「多様性を認識する(受け入れる)」とよく耳にするようになりましたが、それは、(自分は)嫌だと思うこと(不快に思うこと)に対しても反論や意見をしてはいけないということですか?
例えば、自分に嫌がらせをしてきたり嫌みを言ってきた人に対して、「こういう人もいるから」と反論等してはダメだということでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

「多様性を認識する」というのは「そう考える人もいる」のだと理解するだけのことです。


決して、自分がそうであるという意味ではありません。
一例が、「性転換」という言葉です。
そーゆう言葉が広まっているのは知っていますが、私自身はそのような「性転換」は現時点での科学技術をもってしても不可能だ考えています。
できもしないことをあたかも事実のごとくに前提として話しを進めることにはすごい違和感を覚えます。
    • good
    • 2

ダメだと言う事では無いです・・・


寛容に物事を受け入れて行く方が良いと言う事を
言っています。

問題はこの寛容さで、寛容さが高いと言う事は
それだけ精神性も高いと言う事ですね

若い時は幼い考えで納得できない事も
年齢が上がる程、相手の考えも受け入れられるように
なって行きますよ・・・!
    • good
    • 0

>反論や意見をしてはいけないということですか?



反論や意見も多様性です。
難しいのは誹謗中傷 や 偏りすぎた個人の主観からの価値観の押し付け との線引きです。
国民性として個人の主観を隠して価値観の押し付けをする人が多いです。
「みんながー。」や「普通はー。」はその典型だと思います。

反論や意見は出来るだけ 個人の主観 なのか 善悪に基づいた正論 なのかを話す側が考えた方が良いと思います。
両方を混ぜると「オマ言う の 自分の事は棚上げ論。」になりやすくて反感を買うようになりやすいです。

個人的には個人の自衛権が低すぎるのが問題点だと思います。
    • good
    • 1

自分の意見は言えば良いですね


ただ言い方の問題で
無理やり喧嘩のような、
相手の意見を受け入れないような言い方をするか
冷静に話すかの違いです。

冷静に相手の意見にも聞く耳を持って
話した方が良いですね
    • good
    • 1

受け入れるというのはそれを吟味認識するという意味であって、もしそれが自身にとってのデメリットならば果敢に抵抗しなさいよということです。

自分をいじめているやつの理由は何かということを十分に認識する事が「多様性を受け入れる」ことです。
    • good
    • 1

多様でいいこととは何か


多様性以前の前提となることは何か
ということに関して議論が必要になっているのが
現代なのかもしれないですね。

みんなが安心して暮らせる
いい循環をつかんだ世の中にするには。
    • good
    • 1

多様性を認識する・受け入れる…とは、


自分以外の考え方、捉え方、在り方、意見などを尊重する事ですね。
相手がどんな事をどう感じようとも自由で、こちらはそれを否定しない。

あなたは、そうなんですねー。そう感じたのですね。

相手が感じた事については、
他人はそれを否定する事は出来ない。

但し、自分がそれについて、
私はこう思う!感じた!私の意見はこうだ!も
自由であり、
あくまでも、私が!こう感じた!の全て自分スタートで完結する表現。

色々な見方、捉え方があり、
自分が思う事も、相手が思う事も、
全てから見たらほんの一部。

自尊心を鍛え、高めると
相手の全てが尊重、肯定出来る様になります。
    • good
    • 1

多様性を受け入れる、は、



臨機応変に対応する、に、近いかもしれません。。。

受け入れたら、反論も何も無いでしょう。。。

受け入れたんだから。。。

受け入れられないから、反論等するのですよ???

だから、多様性を受け入れない・受け入れられないってだけでしょう。。。

多様性を受け入れるか受け入れないかは、自由ですよ???

多様性を受け入れましょう!、平等・公平・平和にしましょう!・・・、

この、精神論・理想論は、追い続け、忘れないように言い続けなければならないと思うが、

実現は不可能だし、強制される物事でも無いと、個人的には思います。。。

ただ、少し、押しつけにならない程度に、思い遣りや優しさを示しても、いいんじゃないかな?とは思います。。。
    • good
    • 1

表向きは反論や意見もOK、ということになります。


しかし多数派や強者が差別と決めればたちまちレイシスト扱いです。

トランスと称する染色体XYで男性ホルモンによる体格や筋力を得た人が女性としてスポーツの大会に参加し記録を塗り替える光景を多様性とか言ってありがたがってる人がいましたが、どうもその人のほうが現役の選手より社会的にはステータス上みたいです
あんなの、多様性どころか湖に放たれたブラックバスが在来の生き物を喰い荒らし生態系を滅茶苦茶にする構図だと思うのですがね…。
    • good
    • 1

ちょっと ネットで検索した範囲では、「多様性を認識する(受け入れる)」ではヒットしませんでした。


「多様性を受け入れる」は、ヒットします。
南野奈津子氏
https://www.parasapo.tokyo/topics/106051
https://news.mynavi.jp/article/20230529-2690031/

「多様性を認めあう」もヒットします。
https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/koho-deta …

自分に嫌がらせをしてきたり嫌みを言ってきた人に対して、自分からも嫌がらせをしたり、嫌みを言っても、多様性なのだと思います。 嫌がらせを受けて落ち込んで引き籠もるのも、嫌がらせを受けても気にせずに従来通りでいるのも多様性そのものでしょう。
特殊詐欺で受け子にされるのも、特殊詐欺で被害を被るのも、特殊詐欺の首謀者でぼろ儲けするのも、特殊詐欺に引っかからないように注意してまわるのも、警察や検察で求刑するのも、また弁護にまわるのも、多様性です。
ウクライナとロシア、イスラエルとハマスも多様性のあり方の一つです。
元々 世の中は多様であって、そのことを理解してないという人はあまりいないと思います。 

「多様性を認めよう」とか「多様性を認め合うことが大事」とか言う人は、 上のような意味での「多様性を認める」という用語法ではないことを思っていると推定するのが妥当でしょう。
男と女、健常者と障害者、片親家庭と生活にも余裕のある両親家庭、それぞれ違うこと、違い方も、二分で済むというほどスッキリしていなくて、男女でも仔細にみれば実に多様な状況があるということも、多くの人が分かっているでしょう。
そうすると、「多様性を認めよう」とか「多様性を認め合うことが大事」というのは、文字通りの解釈とは違う要求をしていると考え、理解すべきでしょう。
「多様性を受け入れる」についても、攻撃してくる敵軍を全面的に受け入れるとか、政策などで対立している政党が対立党の主張を自分のものとして受け入れるということ、弁護士が検事の主張を受け入れる、喧嘩している夫婦や兄弟姉妹が相手の主張を受け入れるなどのことを言っているのではないと考え、理解すべきでしょう。

たぶん、《(嫌なやつ・ダメでどうしようもないやつ・下劣極まりないやつ・無能で欠陥だらけの奴・見るからに仲間とはとても思えないやつ・弱虫・気違い、反逆者・前科者・狂ったやつ・がさつ・乱暴者・異常性癖者・無職で保護を受けているもの・身分違いと見える奴など)でも、それだけで排除するな、個々人やそういう人々が抱えている事情に思いを寄せて、"その人やそういう人たちも切捨てたり排除りたりしないような方法はないのか"を考えるようにしよう》というような志向を、とりあえず《多様性を認め合う》という言葉で代表させているのです。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A