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ひろゆきが論破というものを世に流行らせてからというもの、多くの人がひろゆきに感化されてこうした場所や多くのネット上のやりとりで何でも
「ロジカルに物事を進める事が正義なんだ」という価値観が浸透しているように感じませんか?
「ソースは?」「エビデンスは?」「それあなたの感想ですよね?」等。

でもこの価値観であらゆる場面においても世の中渡っていけると思いますか?
なにか弊害というものは無いのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 弊害の実例を発見しました。(かといってロジカルを否定するものではありません)
    ノーベル賞が欲しくても取れない国があります、彼らは先行きの見えない事にはトライしない、合理を追求する余り先人が成功した道しか進もうとしない。

    ビスマルクの言葉に「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とあります、これ等もそういう視点で見たら必ずしも正しいとは言えないものになります。
    ちょっと違うかな。

      補足日時:2023/10/21 12:35

A 回答 (18件中1~10件)

ソースもエビデンスもロジカルシンキングもすごく大切です。

そういうことを大事にすることについては弊害はないと個人的には思います。

ただし、上っ面だけひろゆきの真似して「はい論破!」みたいなのはクソダサいし見ていて鬱陶しい。
そもそも、議論の目的は論破することじゃないと思うんです。
生意気な言い方をしたり屁理屈をこねたりするのと、ロジカルシンキングは別物。
その辺を履き違えてるアホは大嫌い。
自分で考えもせずに生意気を言ってる鬱陶しい人が増えたとしたら、それはひろゆきブームの弊害だとおもいます。
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前に回答して、補足も着いたので追記します



ロジカルシンキングは否定されるべきではないですが
ひろゆき氏らのそれはディベート、裁判等の言論で
主義、主張する時や争う時に有効なのであって
日常生活ではあまり有効ではない

新聞記事や何かを主張する時、「私がこう思ったから正しい」は×
お前の感想が世間の正しさではない。と叩かれるでしょう
故にある程度論理に客観的事実を交えて主張する必要がある

ひろゆきキッズと言われる餓鬼が居るらしいですが
彼らは学校等で円滑な人間関係が築けてないらしいですね
(詳しくは知らない)
それが答えでしょう

論破は短期的勝利ではあるが長期的勝利(人間関係の勝利)ではない
そんな人間関係、関係ないっていうならば
その辺の使い分けが出来る賢さが必要となる

まぁ餓鬼は失敗しながら成長するもんですからね
問題はやっぱりひろゆき氏らが自分の主張の悪い点や
注意点を注意喚起しない所なんでしょうね
「これはディベートの手法であってこの論調が常に正しいわけじゃないよ」
ってね
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論破なんて30年前から普通に使われてます。

テレビ番組もありましたね。ひろゆき関係ないですね。

日本人は、ディベートが苦手なんです。特に文系、国内企業、政治家など全滅。だから一部のグローバル企業除いて、国際競争力がない。価値観じゃなくて、そうならなと日本は地に落ちるってだけ。それに一部が気がつきはじめてる。いいことです。
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>ノーベル賞が欲しくても取れない国があります、彼らは先行きの見えない事にはトライしない、



大抵は基礎部分の発見発明でブレークスルーに繋がり、それが受賞に至るものです。実際に目にみえる発明で受賞した最近の例は青色LEDぐらい。

ということを「ノーベル賞が欲しくても取れない国」も知っているのですよ。だから、取れないし取れない理由も知っているし、その方向にシフトするのは茨の道であることも知っている。

>合理を追求する余り先人が成功した道しか進もうとしない。

なので、彼らは合理性追及ではなく、営利性追求というだけです。

「ノーベル賞が欲しい」は妄想レベルの夢で、のび太君の「あんな娘といいな、できたらいいな」と同じです。
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事実に基づくソースやエビデンスはとても大事だと思います。

個人の感想だけで論じるのはとても危険です。
ロジカルに物事を進める事だけが正義とは思えません。この価値観であらゆる場面において世の中を渡っていくことはできないとおもいますよ。弊害だらけです。なぜなら正義は何通りもあるし、それぞれの利益があるからです。なので賛成する人もいれば反対する人もいます。
確かに、ロジカルでなくて感情論で物事を論じるのは単なるアホですがね。
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そのうちに論破バカ話進まんと、言われ出すかも?結婚とかそっちのけの人には適当かも?。

人間関係考えず、年功序列以前に付き合い下手、とも言えるよ。会話の中で、引き際なりが肝心だよ。相手を言い負かし続けてたら、怨み積算、結果は独身決定、例外というか、末期迎えてる人はそれでもと、すがっていくかも。でも、狭き立場に変わりないかも。協調性とは考えのない。でも、状況によっては必要な人だね。
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この回答へのお礼

人を能動的に動かすのは結局感情ですものね

お礼日時:2023/10/20 19:30

>「ロジカルに物事を進める事が正義なんだ」という価値観



それを正義とは感じませんが、感情を前面に出してミスリードを誘ったり、非合理的な結論を誘導したりというものには辟易としています。

情報に出所を示してくれないと真偽は確認できませんし、証拠とされるものを示してくれないと検証もできません。感情を優先して事実をゆがめるようであれば、それは否定したいところです。

彼の指摘キーワードは部分的な矛盾や不備を突くものですが、理論の組み立ての無理やりさとか、印象操作を狙った展開とかは、流れで察しろという方法です。ですが、察する能力が無い人や簡単に乗せられる人も多いので、これで渡っていけるとは思いません。不足しているぐらいです。
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言葉は論破のためにあるのではない。


コミュニケーションの道具である。

仏教は「中庸」を善しとする教えである。
左に偏り過ぎてもいけないし右に偏り過ぎてもいけない。
両者の最適平衡点を取ることが大事である。

論理は大事だがそれは「相手を納得させる」ためである。
自分の優位性を誇示するためではない。

ソクラテスはそこを間違えた。
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会話のロジックは大事ですけど、世の中はそれだけじゃないのでロジック依存はまだまだ青二才ですよ。

世の中には変数というものが多数存在していてそれらを加味してこそ見えてくるものがあるのです。確定要素だけを語っても机上の空論で終わる場合が多数です。

といっても根幹の考え方でもあるため基礎としては大事ですから現状の正しい把握は大事なのです。

基本的に「論破」は相手を打ち負かした爽快感から一種のギャンブルに似た高揚感から麻薬のように依存に走るだけの浅はかな人は見かけますね。考え方や物の見方は適正を除外すればどれも同じで手段で優劣つけるものじゃないのですが‥。
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ひろゆき氏が~て言うか


彼に代表される多くのインフルエンサーの価値観
「我さえ良ければOK」
が蔓延ってるのが最も大きな悪影響ですね

ロジカルに物事進めても
途中で言い淀んだり反証出来なくなったとき
相手を認める、他の意見に傾聴する姿勢が無くなり

才能社会、弱肉強食、敗者は強者の保護ではなく
社会保障、生活保護で救えば良い
(自分には敗者は関係ない)
って世界観の人が増えましたね

これは才能あり強者であり続けれる
ひろゆき、橋下、ホリエモン等なら
通じる理屈ですが上辺だけ真似してもね、、、
負けた時誰も助けてくれませんからね
(負けつつあるゆたぽんやへずまりゅう氏を見よ)
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