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画像見てどう思いますか?
日本人の感覚って…笑
寧ろ日本はかつてナチス・ドイツと共謀して一緒になってユダヤ人狩りしたりセデック族の土地や中国や朝鮮半島を攻めたり満州国を建国したり、どちらかというと日本はイスラエルやロシアと同じくバリバリ侵略者側だったじゃないですか
それなのに日本人はそれらは都合良く棚に上げてハマスやパレスチナに擦り寄って何故か平然と侵略被害者仲間アピールしながら逆にナチス・ドイツと共に迫害した対象であるユダヤ人の国イスラエルに逆切れしてるのめちゃくちゃヤバくないですか?
中東やアメリカあたりの他国人がイスラエル批判するならまだしも、日本人がイスラエル批判するのは完全に「おまいう」&「どの面」過ぎないですか?笑

「日本人がパレスチナと同じ侵略被害者仲間…」の質問画像

A 回答 (2件)

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツは同盟国の日本に対し、ユダヤ人を根絶せよとの再三の要求を出してきたが、日本はその要求を拒絶し、1931年から45年まで日本が統治していた地域に逃れてきたユダヤ人を保護しました。



満州国ハルビン特務機関長だった樋口季一郎中将の英断で旧ソ連と旧満州国境オトポールで立ち往生していたユダヤ人を救いました。 リトアニアのカウナスでは杉原千畝領事代理がユダヤ人難民に「命のビザ」を発給しました。 満州、上海を拠点とした東アジアで、日本人によって約2万人のユダヤ人が助け出されました。 

戦時下で日本が統治した東南アジア、オセアニアにも2万人のユダヤ人が住んでいました。 度重なるナチスの干渉にもかかわらず、大半の人が生き延び、東アジアと合わせると、4万人のユダヤ人が日本に救われたのです。 

日本人として最初にユダヤ人を救ったのは樋口中将です。 37年12月、満州・ハルビンで開催を許可した極東ユダヤ人大会で、ユダヤ人の平等を保障し、パレスチナでのユダヤ人国家建設も認めました。

また、この大会のおかげで、立ち往生していた数千人のユダヤ人が満州国への入国許可をもらえました。 

樋口中将の「困っている人を助けるのは当然」という「日本精神」による「個人的な判断」から決断したユダヤ人難民の救済は、近衛文麿首相ら五相会議が制定した「ユダヤ人対策要綱」につながりました。 

極東ユダヤ人大会の翌38年12月のことです。 要綱は国策としてユダヤ人差別をしないことを決めました。

実際、39年に第二次世界大戦が勃発したが、ベルリン、プラハ、ウィーンの日本領事館は日本への通過ビザを発給し続け、多くのユダヤ人がナチス迫害から救われたのです。

米英加豪をはじめ、パレスチナにまで反ユダヤ主義が広がり、世界がユダヤ人に扉を閉ざす中で、日本だけが難民を受け入れました。 そもそも日本は1919年の第一次大戦後のパリ講和会議で世界で最初に人種差別撤廃を提案した「人権先進国」でもあります。

迫害する側される側は時代によって変わることもありますが、日本人が迫害者側に立ったことは一度もありません。 高潔な精神を持つ日本人は、常に迫害される側に立つのです。
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>寧ろ日本はかつてナチス・ドイツと共謀して一緒になってユダヤ人狩りしたりセデック族の土地や中国や朝鮮半島を攻めたり満州国を建国したり、どちらかというと日本はイスラエルやロシアと同じくバリバリ侵略者側だったじゃないですか



中国には侵攻したし満州国は裏から支配したが、ユダヤ人迫害、台湾先住民迫害、朝鮮侵攻はしていない。何故そんな嘘を吐く?

話はその嘘を実証してからだ。
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