No.6ベストアンサー
- 回答日時:
「一念」すなわち瞬間瞬間の生命ですね、
「三千」(十界 ×十界 ×十如是 ×三世間 )ですね。
全宇宙のあらゆる現象・働きが具わるという、生命と宇宙の全体像が示されたものですね、
当然、十如是があつて三千が成立するのです。
十如是とは
十界の衆生に共通して具わる、生命の10種類の側面を示したものだと思います。生命の個性化の原理と言えます。
一々の説明は省かせていただきます。
如是相一つを取って見ても、
善悪の因果をきざんだ「魂の顔」は、表面に「相」として表れる
顔は化粧でごまかせても、魂の顔はごまかせない
だから、自身の明鏡を磨き、わが生命の本来の姿(実相)を観(み)るためにも、宇宙の一切の現象を映しだす、明鏡を持たねばならない、
と言う事になります。
No.9
- 回答日時:
「法華経」は漢文経典で、サンスクリットではないです。
日本の「法華経」解釈は、「漢文経典のモジュレーション・改変版」である可能性がずいぶんあります。 「法華経方便品第二」を問題にするなら、一念三千や十如是は、ただ後人のモジュレです。
発見を偉大と考えるのであれば、このモジュレ、インフルエンサーに注目すべきで、法華経を問題にすべきではないです。
富士山を問題にするのではなく、自然遺産・観光遺産に仕上げる作為にこそ注目すべきです。
ただの例示レトリックのスタイルを、十如是とさも意味あることのように仕上げたのはだれか、それをどう利用して自己の主張に利用したのか、そこを見てください。
No.8
- 回答日時:
No1,4,5です。
毎回にわたる丁重なお礼ありがとうございます。
>難解なものが真実であるとも、分かり易いものが真実であるとも言えないです。
おっしゃるとおりです。
ただ日本人は難解なものほど有難がる傾向があるようですね。
わかりやすい「阿含経」よりも「法華経」「阿弥陀経」などが重んじられてきました。
でも釈迦は場所や相手に応じてわかり易い教えを説いたのでしょう。
そうでなければあれだけ一挙に信者が増えることもないです。
智顗のように「三如是」だとか「一念三千」なんてことは説いていません。
智顗のとなえた五時教判だって全く見当はずれです。
また法華経28品を迹門、本門とわけることもナンセンスです。
だってサンスクリット原典も、正法華経も、チベット語訳も27品なんですよ。
中国には中華思想というものがあります。当然漢字も一番優れた文字なのです。
一度漢訳されれればサンスクリット原典は打ち捨てられました。
あれだけサンスクリット原典の経典が中国にはいったのに、サンスクリット語の経典はあの広大な中国のなかで発見されていません。
一度漢訳されれば、今度は漢訳の文字でしか考えなかった
これが中国仏教の限界だと思っています。
三如是なんかその最たるものでしょう。
「広宣流布」という言葉があります。
これは「広く教えを広める」とあった原典を単にその言葉に訳しただけなのですよ。
それをあたかも熟語のように勘違いしてしまったのですね。
私は仏教思想が様々に発展するということは否定しません。
ただ「この教えこそが釈尊の真実の教え」等という宗派的独善はうんざりします。
日本は、聖徳太子・伝教大師等が大乗仏教を流布した国です。その影響は日本文化の中に強くあるだろうと考えていますが、それはまた別の話。
天台は仰るように五時八教を説いており、法華経を釈尊の結論的教えとし、それまでの教えを法華経への導入のためのものとしています。
ですから、法華経以外の経典を依経としている宗派は必然的に天台を認めないということになり、遡って鳩摩羅什の訳を認めないということにもなります。
客観的に見れば、鳩摩羅什の訳もその他の訳も同列ということになります。鳩摩羅什の訳を否定しようとするならば、また、天台・伝教を否定しようとするならば、そして肯定しようとするならば、哲学的・科学的な方法で納得できるところまで掘り下げなければならないと思います。そうしなければ、宗派的独善ということにもなってしまいますから。
現代はAIや科学技術が更に急速に発達してゆく時代であるから、宗教・哲学が重要になってくると思うからです。
No.7
- 回答日時:
> 法華経方便品第二に説かれる十如是、これがあったから一念三千ができた、という考え方があるそうです。
日蓮宗ではそのように考えることが多いようですが、中国の智顗などには一念三千という表記をしたものはないのではないですか。
鳩摩羅什には、「所謂諸法 ①如是相 ②如是性 ③如是体 ④如是力 ⑤如是作 ⑥如是因 ⑦如是縁 ⑧如是果 ⑨如是報 ⑩如是本末究竟等」とあります。
ですが、これは文の構造からしても、何かの具体的説明をしているのではないです。 単に、無駄なことをするなと止めるときのレトリック表現です。
http://houmanji.d.dooo.jp/hokekyou2pdf.pdf
乃ち能く諸法の実相を究め尽せばなり。
諸法の謂う所は、❶是くの如きの相と、❷是くの如きの性と、❸是くの如きの体と、❹是くの如きの力と、❺是くの如きの作と、❻是の如きの因と、❼是くの如きの緑と、❽是くの如きの果と、❾是くの如きの報と、❿是くの如きの本末究寛等となり。
【現代語訳の例A】
一切万物の真実ありのままの相を明かすと、
そのすがたとは次のものである。
即ち、全ての存在では、次に説明する10の全要素・様相がある。
すがた・形(①如是相)本来もっている性質(②如是性)相と性のよりどころとなる本質(③如是体)潜在的な能力(④如是力)作用・はたらき(⑤如是作)直接的原因(⑥如是因)間接的条件(⑦如是縁)原因によって生じた結果(⑧如是果)結果が具体的に現れでること(⑨如是報)①の相から⑨の報までが始めから終わりまで究極的に一貫し平等であること(⑩如是本末究竟等)
【現代語訳の例B】
如来こそ如来の教えを教示しよう。如来は個々の事象を知っており、如来こそ、あらゆる現象を教示することさえできるのだし、如来こそ、あらゆる現象を正に知っているのだ。
すなわち、それらの現象が何であるか、それらの現象がどのようなものであるか、それらの現象がいかなるものであるか、それらの現象がいかなる特徴をもっているのか、それらの現象がいかなる本質を持つか、ということである。それらの現象が何であり、どのようなものであり、いかなるものに似ており、いかなる特徴があり、いかなる本質をもっているかということは、如来だけが知っているのだ。
如来こそ、これらの諸現象の明白な目撃者なのだ。
この現代語訳Bは、文脈に沿って、だれがだれに向かって解いているのかという文脈をみて、言葉を翻訳しています。
https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/1 …
この世の実相-真実-因果-縁などは世尊のみが分かり、他のものにはわからないものだから、理解しようとなどするな と言っているのが、方便品二のこの部分でしょう。
これを十如是と何かの内容説明をしている文だと解することそれ自体が、見当違いでしょう。
根拠もない一念三千の用語を創造してしまうのも、行き過ぎでしょう。
日蓮宗の説明などに依っていては、法華経の解釈ができなくなります。
もちろん、宗教として日蓮宗や日本の天台系での教えを大事にしたいというのであれば、その流れで理解すべきです。
中国の法華経の理解の話しとは別でしょう。
>単に、無駄なことをするなと止めるときのレトリック表現です
よく理解できませんが、現代語訳Bの解釈ということなのでしょう。
先ず、法華経の原典があります。消失してしまった経典も考えられますから「現存する」という言葉が付きます。そこにおいて、それが釈尊の真意を伝える本物なのかどうかという根本的な疑問を消し去ることはできません。
その原典の漢訳者が幾人かおります。(歴史上)それプラス、その後の仏教学者等のサンスクリット語からの中国語訳、英訳、日本語訳等のモノがあるでしょう。
つまり、その数多くの翻訳の中でどれが釈尊の真意を伝えている正しい訳かということになるでしょう。
また、もう一歩踏み込めば、釈尊の教え云々ではなく、どれが我々人間にとって役に立つ教えであるかということに議論が集約できるということになるでしょう。
哲学的、科学的論拠を示すか、具体的な現実への展開の実例を示すかしない主張は、宗派的独善になってしまいます。ですから、段階を踏んで丹念にその作業をやるべきだと思います。
宗教・哲学と言うのは人類にとって極めて重要なものであると思うからです。
No.5
- 回答日時:
No1、4です。
丁重なお礼文ありがとうございます。>空仮中の三諦は、天台が法華経から「読み取った」真理を理論化した天台の創作であると思いますが、創作であるから間違いであるとも言えないわけです。
もちろん仏教思想の発展という考え方もあると思います。ただ「十如是、三諦は釈尊の教えの真実だ」「五時八教と釈尊は教えたのだ」「小乗は劣った教えだ」という宗派的独善にかたまった解釈というのが嫌いなんですよ。
>サンスクリットの原典が本当に釈尊の真意を表わしたものか証明することはおそらく不可能かと思います。
サンスクリット原典でも多くの経典は釈尊生前に編纂されたものではありません。法華経などの大乗経典は釈迦没後数百年たって編纂されたものです。そもそも法華経が「釈尊の出世の本懐」などであるはずがありません。
現在の文献学ではパーリー文で書かれた「スッタニパータ」および「ダンマパダ」などの一部は釈迦が説いた内容そのままが残っているといわれています。ふたつの経典ともきわめて素朴でありわかりやすいですね。
「難解」なものが必ずしも高級ではないと思うのですよ。
一つの宗派にとって、個人にとっても、その信奉する教義を批判されることは大変なことです。しかし、教義に従えば批判せざるを有ないことになります。(そうでない場合もあるでしょうが)
その対立は深刻なことになり、戦争になる場合もあるわけです。だから、批判する場合は少なくとも、理を尽くさなければならないでしょう。
パーリ語の原典は釈迦滅後150年くらいにつくられ、最も古いものであるとされている。大乗経典はそれから少なくとも2~300年後に作られたと言われているそうですね。いずれも釈迦滅後のことであると。
年代が近い分、社会に真意である可能性は高いということは言えるとは思います。
難解なものが真実であるとも、分かり易いものが真実であるとも言えないです。
No.4
- 回答日時:
No1です。
丁重なお礼ありがとうございます。>彼の翻訳は旧訳・新訳の区分では旧訳に属しますが、最も正確な翻訳であるという評価がありますが…
鳩摩羅什の訳はきわめて読みやすいのですよ。でも原典の直訳ではなく中国語の文法を配慮した意訳なんです。だから読みやすいのです。これは仏教経典に詳しい者なら常識レベルですよ。
たとえば龍女が男性にかわるシーンでもサンスクリット語では「女根消失してたちまち男根生じ」となっているのですが、妙法蓮華経では単に「変成男子」と死さらっと流しています。
それ以外でも中国語に訳したことにより、かえって漢文由来の意味が付されてしまったという例は数多くあります。
>十如是というものの存在が無いということと、空仮中の三諦がピント外れだという点については、賛同致しかねます。
サッダルマ・プンダリーカの翻訳ははクマラジーヴァだけではありません。それ以前に笠法護が「正法華経」として訳しています。この「正法華経」にも十如是というのはありません。またサッダルマ・プンダリーカはチベット語にも訳されていますが、そこにも十如是はないのです。
十如是というのは鳩摩羅什訳のみに書かれているのですよ。ですから空仮中の三諦も机上のl空論です。空仮中の三諦そのものは鳩摩羅什がいったことではないですよね、天台大師智顗がはじめて言い出したことです。訳者がいってもいないことを漢文の文字から組み立てたのが空仮中の三諦ですよ。
法華経の現代語訳を少し読んでみると、比喩的表現が多く、一体何を言わんとしているのか分かりません。哲学書なども難しいですが、それとはまた違った難しさがあり、訓練を積まなければどうにもならないという感じです。
学問的論文とは異質のものなので、文字通りの訳が正しくて、意訳・超訳が誤りであるとは言えません。
また、私は仏教学者でも何でもなく、サンスクリットも読めませんし、学会のこともよく知りませんが、その時代に権威的であった考え方が正しいとは限らないのは学問の歴史を見れば分かります。
さらに言えば、サンスクリットの原典が本当に釈尊の真意を表わしたものか証明することはおそらく不可能かと思います。大乗非仏説論もありますし、小乗経典の原典も後の創作が含まれているとの説もあります。
文献学的な研究の存在を否定するつもりはありませんが、要はその教え(哲学)が我々に価値を与えるものであるかどうかが最重要であり、誰の教えかではなくて、どういう教えかということに私は興味があります。
十界互具、十如是、三世間からなる一念三千は釈尊の教えではなく、天台の創作であったとしても(私はそう考えていませんが)、その教えが存在しているのは事実であり、その教えがどうかという議論に興味があります。
空仮中の三諦は、天台が法華経から「読み取った」真理を理論化した天台の創作であると思いますが、創作であるから間違いであるとも言えないわけです。
No.3
- 回答日時:
十如是から一念三千に発展したのではない。
一念三千は「縁起」の展開形である。
縁起は「縁りて起こる」だが、もう少し噛み砕くと「諸行無常」「諸法無我」となる。
諸行無常は縁起の在り方を時間的に展開したもの、諸法無我は空間的に展開したものと解釈できる。
つまり「一つの念は、演技により過去から未来に、さらにはあらゆる方向に波紋を広げる」これが一念三千である。
「諸行無常」「諸法無我」に「涅槃寂静」を加えて、仏教は幸せに至るための方法を説く教えになる。
その方法を、ブッダは対機説法をもって聞き手の器量に合わせて説いた。
諸転法輪で説いたときは「四諦」「八正道」だった。
菩薩には「六波羅蜜」で説いた。
さらには聞き手の気根に応じて「十如是」「十二因縁」で説いた。
なぜすべて偶数かというと、その方が覚えやすいからである。
当時は紙は高価でおいそれと使えるものでなかった。
法華経を含む教典も口伝で伝えられた。
だからリズムが良い方が覚えられるのである。
法華経は同じ言い回しが執拗に繰り返されるが、これも暗記への配慮である。
No.2
- 回答日時:
如是相・如是性・如是作・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究境等の十種で十如是。
十如是とは十界のいずれにせよ瞬間の生命にそなわる十種の共通の構造ともいうべきもので、
・如是相(外面に現れた姿・形)
・如是性(性質・性分)
・如是体(本体・根本の体)
・如是力(内在している力)
・如是作(内在の力が外に現れた作用)
・如是因(果をもたらす直接的原因)
・如是縁(因を助けて果をもたらす助縁)
・如是果(因と縁によってもたらされた内面の結果)
・如是報(果が具体的に現れたもの)
・如是本末究境等(始めの相を本とし終わりの報を末として、本末は究境して等しいということ。つまり、如是相から如是報までの九つが、全て一瞬の生命にそなわっていること)
如是は「是(か)くの如(ごと)き」と読み、「ありのままに見た物事・事象のすがた」という意です。
No.1
- 回答日時:
そもそもサンスクリット原典「サッダルマ・プンダリーカ」には十如是なんてありません。
あれはクマラジーヴァの意訳ですよ。その意訳である漢字の文字にこだわって智顗が唱えた空仮中の三諦などというのは、全くピントはずれです。鳩摩羅什は、多くの外国語に通じていて、また、仏教の理解においても認められていて、彼を中心に国家の援助のもとに経典の「漢訳」が行われたということです。
彼の翻訳は旧訳・新訳の区分では旧訳に属しますが、最も正確な翻訳であるという評価がありますが…
十如是というものの存在が無いということと、空仮中の三諦がピント外れだという点については、賛同致しかねます。
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