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無量義経の核心となる教えは、「無量義は一法より生ず」です。
この一法とは何であるかは、無量義経の段階では明かされていないという主張があるようです。
しかし、お経には、「その一法とは即ち無相也」だと明確に書かれています。その文を、訓読・現代語訳によってうつしておきます。


*無量義経説法品~

性欲無量なるが故に説法無量なり。
説法無量なるが故に義もまた無量なり。
無量義とは一法より生ず。その一法とは即ち無相也。
是の如き無相は、相なく、相ならず。
相ならずして、相なきを名づけて実相とす。

衆生の根性欲は無量なので、仏陀は無量の説法をする。
説法が無量なので、その教えの内容は無量である。
無量の教えは一つの真理から生じている。
その一つの真理とは、即ち無相である。
無相とは、相を認識せず、相の有無にとらわれない境地である。
相にとらわれず、相を認識しないことを実相と呼ぶ。


相というのは、「特徴」「印」「様相」「形相」などの意味です。サンスクリット語のラクシャナーの訳語です。無相を「形相の有無の否定」と観ても諸法の観察はできますが、できれば、「特徴の有無の否定」と観たほうがいいでしょう。特徴とは、他との比較によって生じる観念ですから、そのもの自体には特徴はありません。つまり、空と同義の言葉です。

空・無相は重要な思想であり、法華三部経を学ぶ前にこれらの基本的な内容は理解しておく必要があります。これを知らなければ、法華経には入れません。空・無相については、『摩訶般若波羅蜜経』で説かれています。しかも、無量義経の説法に入ってすぐに、空・無相についてはきちんと復習がされています。


*無量義経説法品~

菩薩、無量義を修学することを得んと欲せば、まさに一切諸法は、自ら本・来・今、性相空寂にして、無大・無小、無生・無滅、非住・非動、不進・不退、なお虚空の如く 二法あることなしと観察すべし。


ここで説かれていることが空・無相の義です。「無有二法」とは一法のことですから、このことを基に衆生を導きなさいと仏陀は教えています。このように、「一法」とは何であるかは無量義経内で説かれています。


質問

「無量義とは一法より生ず。その一法とは即ち無相也」という文があるのに、「無量義経の段階では、一法が何であるかを明かしていない」と解釈するのは、何らかの意図があるのでしょうか?

A 回答 (2件)

「一法とは即ち無相也」は正しい。


しかし、「有に非ず亦無に非ず」と解く
無相大乗は衆生に仏性があると説く
無相に住しては有相をも成就せんと説く
では、有相をも成就する、その無相とは、仏性とは、空とは、
有無の二法が一法と言っても、一法が明かされた訳ではない。
それが、読めるか、なのです。

空・無相を容易く論じる事は差し控えたい、
仏教の真髄だからです。
知恵第一の舎利弗すら理解できなかった事を
分かったつもりで容易く論じる人は多いが?はたして

それは「有無」 を超越した実在であり、
論理的に整合性がとれないと感ずる場合もあるのです。
それは無量の潜在力、無限の創造力を持つ、
想像を超えた生命空間だからです。

当方、そこまでの知識も知恵もない。
分かった、等と言う、増上慢にもなりたくない
と言うか、くたびれますね。
空・無相が分かると言う、ペテン師によくお目にかかりますが。
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私は不勉強で、周辺知識も、各種の研究や論説も知りません。


ネットでみると、説法品には次のように訓読できるところがあるそうです。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 菩薩、無量義を修学することを得んと欲せば、まさに一切諸法はおのずから本・来・今、性相空寂にして、無大・無小・無生・無滅・非住・非動・不進・不退、なお虚空のごとく二法あることなしと観察すべし。
 しかるにもろもろの衆生、虚妄にこれは此、これは彼、これは得、これは失と横計して、不善の念を起こし、もろもろの悪業を造って六趣に輪廻し、もろもろの苦毒を受けて、無量億劫みずから出ずること能わず。
 菩薩摩訶薩、かくのごとく諦かに観じて、憐愍の心を生じ大慈悲を
発してまさに救抜せんと欲し、またまた深く一切の諸法に入れ
 法の相かくのごとくして、かくのごとき法を生ず。
 法の相かくのごとくして、かくのごとき法を住す。
 法の相かくのごとくして、かくのごとき法を異す。
 法の相かくのごとくして、かくのごとき法を滅す。
 法の相かくのごとくして、よく悪法を生ず。
 法の相かくのごとくして、よく善法を生ず。住・異・滅もまたまたかくのごとし。
 菩薩かくのごとく四相の始末を観察してことごとくあまねく知りおわって、つぎにまた諦かに一切の諸法は念念に住せず、新新に生滅すと観じ、また即時に生・住・異・滅すと観ぜよ。かくのごとく観じおわって衆生のもろもろの根性欲に入る。
 性欲無量なるがゆえに説法無量なり。説法無量なるがゆえに義もまた無量なり。無量義とは一法より生ず。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これを私流に素直に読むと、「法は……」「法の相は……」の「……」の部分には何でもかんでも突っ込んでしまえる  ⇒ 「法」とか「法の相」などとさも何か意味あり気にいうこと事態、思うことが無意味だ。「法」や「法の相」など無意味なのだから、ごちゃごちゃ言ったり考えたりしないで、「何でもあり・なにでもない・無限定・不明瞭・思量の外に置いて、"a法・The法・一法"で充分だ」と切って捨てている ように読めました。 
「一法」は、「無意義=無量義」から出てきた「虚言」ということではないでしょうか。 
 悪法も法、善法も法、無法も法、違法も法  法が百花繚乱、⇒ 法華
  まさに
    無量義とは一法より生ず。その一法とは即ち無相也

「一法が何であるかを明かしていない」というよりは、
「法など捉えどころのない"妄想の産物"である」と、説法の序で宣言しているように思います。
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