A 回答 (27件中1~10件)
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No.27
- 回答日時:
いやはや、自己知の無限遡行とでも言いたげな、なんともつまらんジョークにしか見えません。
べつに、「私は車を運転すると考える、ゆえに私はある」と言い換えても構わないわけなんですが。
まあ、質問者様には既にどうでもよい話でしょうけれど。
No.26
- 回答日時:
#24です。
そこで書くつもりでいて、書き忘れた面白い逸話があります。私はアメリカに住んでおりますが、自動車社会のアメリカでは、皆さん自動車の後ろに一言ジョークを書いたステッカーを張って、人生を楽しんでいます。例えば古典的な例としては、「もしこの字が読めるようでしたら、貴方は私に近づき過ぎています」なんて言うのがあります。
余談になってしまいますが、私の友人でヨーロッパ人の方がアメリカに来て、秘書さんへのお土産に「もしこの字が読めるようでしたら、貴方は私に近づき過ぎています」と書いてある女性用のパンティーを買って行きました。
話しを元に戻しすと、そんな自動車のステッカーで傑作だったのは、
I think, therefore I exist,... I think.
と言う張り紙でした。訳すと「我思う、故に我あり、、、と思う」ですね。この方はデカルトの言葉がモンテーニュの挑戦に対する解答であると言うことを理解した上で、そのデカルトの言葉を見事にぶち壊して見せた。だから、大変質の高いジョークなんですね。
No.25
- 回答日時:
この言葉は、モンテーニュが西洋哲学界に突きつけた深刻な挑戦の解答として出て来たものですから、この言葉の意味を理解するには、先ずモンテーニュの懐疑論を理解する必要があります。
懐疑とは疑う行為のことです。彼が出て来るまで、懐疑は西洋の哲学を発展させるに関して最も基本的で最も説得力のある方法でした。モンテーニュは彼の『随想録(エセー)』の中で、懐疑論を徹底的に押し進めました。彼は人間のあらゆる行為をまな板に上げて、その行為の正否を論じ、正と言う立場で説得力をもって徹底的に論証してみせた後で、今度は否と言う立場で説得力をもって徹底的に論証してみせた。その結果、懐疑論の行く付く所は思考の停止以外に有り得ない、との段階にまで押し進めたのでした。その言葉をモンテーニュは「我何をか知る」と言う言葉に集約してみせました。彼自身、この言葉を自分の座右の銘だと言っております。事実、もし貴方が「私は何も知らない」と言ったとすると、彼は貴方が何かを知っていることを見ごとに論証してみせます。また、もし「私は何かを知っている」と言ったとすると、彼は貴方が何も知らないことを見ごとに論証してみせます。だから、知ってるとも知らないとも言えない。
彼の本は西洋哲学界において深刻な状況をもたらしました。西洋哲学の最も基本的な土台である懐疑論が生産的な議論の構築に役に立たないと言い出して仕舞ったのですから。
その深刻な状況を打破する解答として出て来たのが、デカルトの「我思う、故に我あり」です。デカルトもモンテーニュと同じように、自分自身の存在も含めてあらゆることを疑ってみた。そして、ある日「アッハ」ってな思い付きがあったんですね。徹底的に疑って行くと、あらゆる物に対してそれを正とも否とも結論が付けられなくなってしまうように思える。しかし、どんなに疑っても絶対に疑れないものがあるではないか。それは、今私がそれを疑っていると言う事実だ。だから、疑っている私が存在していることを否定することは出来ないではないか。従って、私が存在していることが証明された。だから、懐疑論は思考の停止に導くものではなくて、モンテーニュ以前の哲学者達が信じていたように、哲学を語るのに基本的な道具であるのだ、と懐疑論を復権させたのがこのデカルトの言葉です。西洋の哲学者達は、「あー、良かった。これでまた哲学が学問として成り立つ」って具合に喜んだのです。ですから、このデカルトの言葉を、建設的懐疑論と呼ばれることも在ります。
まあ、屁理屈をこね回すのが好きな理屈屋さんには、これで十分だったでしょう。しかし、デカルトは『方法序説』の中でこの確固たる自分の存在の証明の数行後には、それの論理的な帰結として神が存在することも明らかになった、なんて何ともはや滅茶苦茶に幼稚な論理を展開しています。どうも、理屈屋が屁理屈に陥るのは避けられないと言う経験事実を、デカルトもこの『方法序説』で改めて皆に実証してみせたようです。ですから、ある意味でこのデカルトの言葉は理屈屋の単なる思い付き発言以上に生産的な発見ではなかったと私は考えています。その証拠に、デカルト以降哲学が進歩したかと本気で問うてみてご覧なさい。多分お勉強やお飾りで哲学を弄んでいる哲学学者でもない限り、心ある西洋哲学者の間では異見百出で、全く収拾がつかなくなると思います。ですから、上っ面で満足出来る理屈屋でない限り、デカルトの言葉が果たして本当に建設的な懐疑論と呼べるかどうかは、疑ってみる必要があると思いますよね、モンテーニュさん。
私は自然科学を専門としており、今まで、現代の自然科学に歴史的に著名な寄与をした何人もの方を間近に見る幸運を享受してまいりました。その経験によると、モンテーニュの徹底した懐疑論は自然科学者の間に営々と引き継がれており、その結果、今日までデカルト以降の哲学界と比べて圧倒的な進歩が自然科学界でなされているのだ、と思うようになりました。生産的な科学者達の共通項は、自分の確固たる意見や発見を述べるに当たって、常にその反対の見方にも重要な事実が潜んでいる可能性があると認めているようです。そして、その可能性の認識がバネになって、次の飛躍的な科学の進歩がもたらされることを理解しているようです。正にモンテーニュの態度です。
一方、デカルト的に二者択一的にその可能性を否定してしまうような言質は、デカルト自身が実証してみせたように、最早何も新しい物を生み出して来なかったようです。現在では、哲学は死んだのかと言われるくらい、哲学は自然科学と比べて活気がないですね。
ですから、デカルトはモンテーニュと言うお釈迦様の手のひらに乗っている孫悟空だと言うのが、自然科学者としての私の独断と偏見の結論です。
乞う、反論。
No.21
- 回答日時:
私なりの解釈で言えば、この言葉の「我」とは自我のことだと思います。
たとえば、あなたはこの世界が誰かが作った幻ではないと証明できますか?
少なくとも、私にはできません。
今自分が見てる、または見てきた他人に意思があるのか、ないのか。
自分は他人の心が読めるわけではないので、相手が意思を持っているのかについては照明できないと思います。
しかし、自分に限っては今このときも、自分が思考していると実感することができ、それにより自分だけは確かな存在だと、いえるのはないでしょうか。
つまり、「我思う故に我あり」です。
余談ですが、このような話はSF作家の神林長平先生の本が面白いと思います。
No.20
- 回答日時:
回答番号:No.11のringodarusimuさんに近い。
このページはなぜここにあるのでしょうか?
masatoramaさんが「?」と、疑問に思ったから、
ではないでしょうか?
masatoramaさんが「?」と、思わなければ、
このページはないでしょう。
masatoramaさんがこの質問をした、パソコンは、
なぜ、そこにあるのでしょうか?
masatoramaさんが「必要だ」と思ったから、
ではないでしょうか?
masatoramaさんのまわりにある、コーヒーカップも、
歯ブラシも、電話も、ボールペンも、靴下も、本も、
masatoramaさんが「必要」と考えたから、そこにある。
あなたは、あなたが、考えたものに囲まれている。
この19番目の回答は、なぜここにあるのでしょうか?
それは、私が考えたからです。
18の回答も、18人の考えがかるからです。
役所は、なぜ、あるのでしょうか?
「必要だ」と考えるからではないでしょうか?
消費税は、なぜ、あるのでしょうか?
「必要だ」と考えるからではないでしょうか?
病院は、ハイブリッド車は、道具は、技術は、制度は…
と、考えてみれば、
「我思う、ゆえに我あり」
の意味がスマートになりませんか?
我思う、ゆえに我あり
"Je pense, donc je suis. "
"Cogito, ergo sum. "
"I think, therefore I am. "
これが、
「ニュー・エイジ・サイエンス」のはじまりです。
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E6%80%9D% …
No.19
- 回答日時:
存在する物について他者と自分は、同じ物を同じ物として認識しているとは限らない。
だがそれを認識した自分の意識、思考を否定することはできない。
この否定できないものが我であり、自我であります。
No.18
- 回答日時:
ずいぶん時間が経過したご質問ですね。
回答ではありません。私も分かりません。
我走る、ゆえに我あり。
我思う、ゆえに思うあり。
我思う、とはいえ我なし。
我思わなくても我あり。
おやじが●●した、ゆえに我あり。 これも真理である。
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