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皆さんはことわざに関心はありますか?
ことわざは簡潔でありながらも、一文の中に言葉遊び的要素が随所に詰まっていて、内容も教訓的で、口に出した瞬間に意味を把握できる素晴らしい日本の文化のひとつだと私は考えています.
小さい頃いろはかるたで遊んだことがあると思いますが、
あれこそ良く出来ていて、遊びながらにしてことわざと、
文章の表現の面白さの勉強が出来るのです.
かるたを通して言語意識を発達させることが出来るのです.
そこで私はかるた以外でもことわざによる教育は出来ないものかと考えています.
皆さんはことわざ教育についてどう思いますか?
また、小さい頃今までにことわざの勉強や授業、何でもいいのですが、
ことわざに関わった教育を受けたことがありますか?
少しの記憶でも結構です、教えてください.

A 回答 (5件)

私は大いに結構な話だと思いますよ。


いろんなことわざを知っていると、話が面白くなったりするものですよ。
でも、ことわざ教育というのは受けたことはないような気がします。
小学校でも、たまにはそういう授業をやってもいいのではないかな~とは思いますけどね。
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ことわざには関心はありますが、知らないと思われる方々に使っていいものかどうか戸惑いながら使っています。



OKwebなどでもたまに書きますが解説までつけながら書くのも妙なので気の乗らないときには使いません。

漢字検定のように諺とか四字熟語など特殊な関心をお持ちの方しか通じない世界のようで教育となるとどうでしょう?

悲観的というかクイズ番組など見ていても専門外とは云え大学教授でさえ常識がなく若い方は別世界の人たちと考え始めました。
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私は、小さいころの愛読書が「ことわざ辞典」でした。


それも、大人用の。変な子どもだったかも。
でも、それでいろいろなことわざを覚えました。
ほんと、ことわざは、口に出した瞬間に意味を把握できる日本の文化のひとつですよね。
でも、文化というのは、お互いにバックボーンを共有していること。
最近、ことわざを知らない人が増えて、言っても通じなくなってきていますね。
「情けは人のためならず」はよく言われていますが、「喉元過ぎれば熱さわすれる」も意味が変わってきているようです。
こういうものは、学校で教えるんじゃなくて、親から子どもへと伝わっていくものなのでしょうが、最近は親が知らないですからねえ。
ことわざも教育しなければならない時代なのかもしれません。
来年から、学校では「総合的学習の時間」が新設されるので、その時間に地元のお年よりなどを招いて、ことわざと格言、ついでに迷信なんかも教えてもらうといいかもしれませんね。
きっと、ことわざにも地域性があるでしょうから、それを、学校のホームページで発表して、いろいろな地方から同じ意味のことわざを書き込んでもらったりして。
結構、面白い授業ができるかもしれません。
ぜひ、21世紀にもことわざを残していってほしいですね。
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ことわざによる教育は難しいような気がします。


まず対象者の年代をどこにおくのか。年代に応じたことわざを選ばなければなりません。次に言葉の意味と時代背景(当時の社会情勢、人々の暮らし、価値観など)を教えなければなりません。社会経験がない子供にとってことわざが表面的に表すことは理解できても、真の意味までは理解困難です。例えばいろはかるたは語調がよく覚えやすく子供達は喜んで覚えますが、果たしてどれだけ理解しているか疑問です。大人が意味を説明してもその子供の社会経験、人生経験以上の理解は無理です。ことわざは人生の矛盾、表と裏、失望と希望、など複雑で大人の世界から生まれたものです。

ことわざの効果を否定はしませんが、年代によるということです。何事にも答えはひとつではなく、柔軟な考え方を求めるアジア的発想は、子供に混乱を招く危険もあります。ことわざはそれを必要とする人(大人が)に慰めと勇気を与えるべくあらゆる情況に対応したものが準備されているように思います。ことわざを教育に使うということは、あなたの人生観を教えることにもなります。なぜなら数多いことわざの中からあなたが選択するのですから。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥・・人に物を聞くことは恥ずかしいことだと思うようになるのは何歳ぐらいからでしょうか?聞くことを恥じだと思わない子供には意味のない格言です。

可愛い子には旅をさせろ・・・ひとり旅をさせられるのは何歳からでしょうか。ひとり旅が出来る子供にとって旅は苦しみではありません(昔のように)昔の生活の様子、旅行中の危険などを教えることは出来ますが。

カエルの子はカエル・・・しょせん親を超えることは出来ないのか、努力しなければ親を超えられないのか、生まれたときから運命は決まっているのか、親を超えるということは、親の価値をどう評価するのか。カエルの子がカエルになる努力をすることは尊いことではないのか。

子供達と議論をしながら、今の子供達の価値観を知り、他の格言で違った考え方もあること(多様な価値観)を教えるのは出来ますが、終始一貫した考え方で”教育”を続けるのは大変なことでしょう。
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既に下に素晴らしい回答が出ているので、まったくの付け足しになってしまいますが・・・。


私も「ことわざ」による子供たちの「教育」はむずかしいのでは?と思います。
ことわざは、大人が地に足をつけて生活し、ある程度の経験を積んでこそ、その意味が実感できる、味わえるものではないでしょうか?
人生経験の浅い子供たちはそれを学んだとしても、単に表面的な意味の理解が出来るに過ぎないでしょう。
だからといってそれを学ばせるのが無意味ということではありません。
日本の文化として知恵として学ぶ分にはとてもよいことだと思っています。
ただ、そこから教訓を引き出し教育しようという、背後の大人の意図を嗅ぎ取ったら、たちまち子供は興味を失い、反発すると思います。

”朱に交われば赤くなる”(不良とつきあったらいけない?自分さえしっかりしていればいいんじゃないの?)
”出る杭は打たれる”(人と同じように目立たないようにしてなさい?でも人と同じコトをしていてはこれからの世の中渡っていけないんじゃ?)

この二つを取ってみても、「教育」は難しいのでは?と思います。

これらはどうやって実際教えるのでしょうか?
ことわざは言葉の遊びとして親しんでもらい、あとで大人になってからそれぞれの経験に応じて改めて心の中で反芻してもらうーという今のやり方で充分ではないかと思いますが。

その意味でのかるた遊びなどは大いに賛成です。
五味太郎さんのことわざ、言葉絵本などは子供たちに広く受け入れられています。
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この回答へのお礼

皆さん、どうもありがとうございます。
皆さんの意見によってまた色々と考える点が出てきました。
すごく皆さんの意見が為になりました。
同義のことわざってたくさんありますよね?
果報は寝て待て、と、待てば甘露の日和あり、とか・・・
日本語って一つのことを言うにも表現の仕方が沢山有る所が魅力だと思います。
自分のことを言うのにも、私、俺、僕、あたい、あたし...。
そういう表現の面白さとか、ことば遊びによって、
語彙が豊かになってくれるといいなぁって思っています。
確かにことわざの意味というものは経験を重ねた大人の時に
分かればいいかもしれませんよね。
ただ、ことわざを通して豊かな言語生活を送ってもらえるような、
興味を持てる、そんな教育ができればいいな、と思いまして。
皆さんの意見は大変ためになりました。
ありがとうございます!!
でもでもまだまだ、募集中ですので何か感じたら聞かせてください。

お礼日時:2001/09/25 21:37

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