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昔は川の治水はどうやってしていたんですか?

知っている人がいたら教えてください。

福井県の日野川という川の昔の治水方法も、もし知っ

ている人がいたら教えてください。

1番目に書いたことだけでも知っていたら教えてくだ

さい。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

原理的には現在と同じです。


1)堤防を作って川の水があふれないようにする。
2)運河を作って水の流れを人が住んでいない場所へ導く
3)川の流れが強くて堤防などが削られてしまう場所では川の流れを弱める。

現在は鋼鉄やコンクリートという強い材料を使うことができますが、当時はそのような材料は無かったのでいろいろな工夫がされました。
1)では武田信玄が築いた信玄堤というものが有名です。堤防を頑丈にするため、祭りのみこしを堤防上を通らせ、住民に踏み固めさせたといわれます。
2)では江戸時代以前は東京湾に注いでいた利根川を現在の位置に変えた徳川家康の利根川東遷事業などが有名です。
3)では、丸太を組んで川に沈めた「聖牛」(下記URL)、枯れ枝を束にして沈めた「粗朶沈床」、川の流れと平行に堤防を築く「霞堤」などが知られています。

これらは現在は伝統的治水工法と呼ばれており、全国で再現されているところもあります。

参考URL:http://www.ogane.co.jp/seigyu/
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基本的には現在と同じ。

そのとおりですね。

ただ、一部変ってきているものもあります。
霞堤、これは信玄堤でも使われているものですが、現在でも中流域で使われている堤防の配置です。川の両側に八の字を重ねるようにして堤防を築くのですが、水があふれても川に戻りやすい構造です。
乗越堤、これは、堤防の一部を意図的に低くし、洪水時にはそこから水があふれるようにしたものです。この部分は水が流れても崩れにくいようになっています。

これらは、部分的に水が流れ出すこともあるわけですが、現在ではそれも困る、ということで完全に締め切るものが多くなりました。それだけ丈夫で高い堤防が作れるようになったということでしょうね。

あと、スーパー堤防も現在のアイデアですね。
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