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最近ロボット技術が急速に進んできて、見かけ上、人間に非常に近いロボットが出来るのもそんなに先の話ではなくなってきたと思います。それで、以前から疑問に思っていることをお聞きしたいと思います。それは、ロボットがどんどん発達していくと、叩かれると「痛い」と叫んだり、おかしなことを言うとゲラゲラ笑ったり、電気を供給すると「気持ち良い」と言ったりするロボットも出てくると思うのですが、その場合、ロボットが本当にそのように感じているのか、それとも、実際に感じることなく単に自動的に反応しているだけなのかを見分けるテスト方法はあるのでしょうか?

A 回答 (10件)

 ないこともないです。


 その人工知能を人間そっくりのアンドロイドに仕立て上げ、何人かの被験者と共同生活を行わせ、被験者がアンドロイドに気づかなければ「意思がある」とする見なし方があります。

 もちろん、このような方法では本当に証明したことにはなりませんが、「意思プログラムをインストールしたかどうか」は事実として残りますから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
「テレビの撮像管」は世界が見えていると見なすことができれば、人工知能も意思があると見なせますね。

お礼日時:2005/06/21 13:35

私はロボットについてはまったくの素人ですが、木村敏さんの「あいだ」弘文堂の中にヴァイツデッカーというひとが、認識の主体は、対象化できないといっていることが紹介されていました。

おそらくわれわれは自我意識を持っていることは分かっても、それが何かは絶対分からないのではないかと思います。又このことは養老孟司さんが言っている自己言及の矛盾ともつながることだと思います。これらのことをロボットやコンピュータに適用してみると、要するにわれわれには何をやっているための回路か分からない回路が見出されればその回路がロボットやコンピュータの心ということになるように思えるのですが・・・。まあ同意を得られるものではないと思います。もしこのような回路を持ったロボットが街に出たらとんでもないことをやってしまう可能性がありますから、商品としてはまったくの欠陥製品ですし、開発設計者の無能力か怠慢ということにもなってしまいます。要するにわれわれ人間は人間以外のものが心を持たないように努力をしてきたし、これからもそうだと思います。昔はお日様、お月様でした。風神や雷神が活躍していました。利根川も昔は坂東太郎という男の子でした。人形や仏像は心を持ちそうなので廃棄するときには魂を抜く儀式さえ行われています。人間は自分たちしか心を持っていないことになってしまったので改めてあわてだしたのではないでしょうか。いい気になって自然環境の心を消し去っていた結果です。長くなるのでやめますが、ご質問の意味は大変大きいものだと思います。
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この回答へのお礼

木村敏さんの本読んだことがないので、今度探してみます。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/21 13:39

人工知能の分野でチューリングテストというものがあります。


(人工知能が意識をもつかどうかは古典的な議論です)

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/チューリング・テスト
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

「中国語の部屋」の話が出てくるということは、結局、チューリングテストでは、人工知能が知的であるかどうかの判定ができないということ?

お礼日時:2005/06/21 13:51

応用できるようにこう定義して上げましょう。


「感じること」とは「感覚器を通して得られたデータから概念という他と区別されたものが対象として取り上げられること」と。
「考えること」とは「感覚器を通して得られたデータから概念という他と区別されたものを対象として取り上げること」と。
少なくとも「感じること」は受動的で「考えること」は能動的だとは「感じ」ていたでしょ?

そして今度はkobareroさんの文章・考えについて
「・・・ロボットが本当にそのように感じているのか、それとも実際に感じることなく単に自動的に反応しているだけなのか・・・?」
このことからkobareroさんは、「感じること」とは「単に自動的に反応することではないこと」と考えているようですね。
ですが、私たち人は実際に「おかしなことを言う(言われる)とゲラゲラ笑ったり」「叩かれると「痛い」と叫んだり」していて、それは「単に自動的に反応している」と言えると私は思うのです。
つまり一番始めに言った通り、「感じること」とは「感覚器を通して得られたデータから概念という他と区別されたものが対象として取り上げられること」だと私は思っているし、しかもそれは「自動的に行えること」だとも思っているということです。
だから、「ロボットが本当に感じていること」も「実際に感じることなく単に自動的に反応していること」も同じなのです。
だから、例えばその仕組みをプログラムして結果として「取り上げられた対象」がたとえ何だったとしてもそれは「ロボットが感じているもの」ということになるのです。

もう言う必要がないかも知れませんが、同じことを見分けることはできないので、kobareroさんの言う「ロボットに心があるかないかをテストする方法」は「ない」ということですね。

この回答への補足

かなりいい線来ましたね。と言うのは、私は子供のころからこの話を時々友達として来たのですが、いつもわかったようなわからないようなうやむやな状態で終わってしまっていたのですが、DMIMさんの回答は、かなりはっきり私の受け止め方と逆なような気がしますので、どうしてそうなるのか、すごく興味があります。それで、あらためて質問させてください。

>kobareroさんは、「感じること」とは「単に自動的 に反応することではないこと」と考えているようですね。
この件ですが、確かに私の質問文を読むとDMIMさんの言われる通りですね。それで、考えてみたのですが、よく考えると、私もDMIMさんの言われる通り「感じること」とは「単に自動的に反応することである」に同意します。では、なぜ私が逆のような書き方をしたのかと考えてみると、単純には単なる勘違いとも言えますが、もう少し考えてみると、以下のような矛盾が出てくるためだと思います。

すなわち、もし、「感じること」とは「単に自動的に反応すること」だとすると、今度は、「感じる」ということ自体が本来必要でなくなってしまうからです。おかしい時は、おかしく”感じなくても”自動的に顔の筋肉が痙攣し、お湯をかけられたら、熱く”感じなくても”さっと体の筋肉が自動的に動いて逃げればよいわけです。しかし、実際には「感じる」の存在は、たとえ、この地球上のすべての人が否定したとしても、自分にとってはこれ以上確かなものはないわけです。

それで、DMIMさんに質問ですが、もし「感じること」とは「単に自動的に反応すること」だと考えた場合、「感じる」ことは本来必要ないけれどもお飾りで付いているということになりますか?

補足日時:2005/06/21 14:22
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 方法は無いと思います。

ってゆうかそれ以前に
そもそも心とは何か誰もが納得する説明を人類は得ていないのでは?

人には心はあると思います。ロボットには無いと思いすけどね。いまの所は。

 実は私も以前同じようなスレを立てた事があります。その回答でNo4さんの意見は説得力がありました。
けど、完全には納得できなかったんですけどね。
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1173639
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

そうなんですね。確かに同じようなスレがありますね。私の質問がちょっと漠然とし過ぎていたかなと思い始めました。

お礼日時:2005/06/21 14:28

因みに、「感覚器を通して得られたデータから概念という他と区別されたものが対象として取り上げられる場所」が「心」というのはどうですか

この回答への補足

そうですね、No.4のところでも言われていましたが、やや難しいので判断できなかったのですが、少し考えがまとまりましたので、以下のような質問にさせていただきます。

質問1:DMIMさんが言われる「感覚器を通して得られたデータから概念という他と区別されたものが対象として取り上げられる場所」という「心」の定義で、”他と区別された”と修飾される理由がよくわからないのですが、以下のように短縮すると意味が変わりますか?

「感覚器を通して得られたデータから概念を抽出し、その概念が取り上げられる場所」が「心」である。

質問2:この短縮された定義が、なお、正しいとした場合、この定義から言えることは、例えば撮像管から画像を取り込み、そのデータをコンピュータで処理し、図形特性を抽出して、その結果をメモリに格納した場合、そのメモリも「心」である。と言えることになりますが、そういうことですか?

補足日時:2005/06/21 14:30
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はたして人間に心が有ると言えるでしょうか。


(心の無いと、いわれる人はいっぱいいますね)

人間もただ入力した刺激に反応して出力しているだけかもしれませんね。

この事の確認が出来ればロボットにも心があるか確認出来るでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

確かにそうですね。
ご回答を読ませていただいてわかったのですが、私の質問がちょっと漠然としていました。反省してます。「ロボットに心があるか」ではなく、「ロボットに”感じる力”はあるか」とすべきでした。「心」と言ってしまうと範囲が広いですからね。「感じる力」と言えば、極悪人でも有徳の人でも等しく持ちますので。

お礼日時:2005/06/21 14:48

古典的な問題ですね。


とりあえずホフスタッターとデネットの『マインズ・アイ』を御覧になることを勧めます。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484921 …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/22 21:10

>>「感じる力」と言えば、極悪人でも有徳の人でも等しく持ちますので。



そんなことはないのでは? 「感じる力」は人それぞれ
でしょう? 鈍感な人、敏感な人。
「感じる力」という話なら、ロボットは間違いなく
持てるでしょう。センサを付ければいいだけですから。

この回答への補足

「感じる力」という言葉を、nano_catさんと私で違う意味で使用していることがわかりました。nano_catさんは、「感じる力」を「センサ機能」として捕らえ、私は「”痛い”と感じる能力」、「”冷たい”と感じる能力」と捕らえていました。ロボットは、圧力センサで体に加えられた外圧や熱を検知する能力は持てますが、”痛い”とか”熱い”という感覚はないと思います。また、鈍感な人、敏感な人については、その原因が「センサ機能」の感度差にあるのか、それとも、「感じ取る感覚(私が言う意味の感じる力)」の差に
あるのかは簡単には決められないと思います。

補足日時:2005/06/22 19:35
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回答1


意味は変わりませんね。
「概念という他と区別されたもの」という言葉で「概念」一般を説明しようとしました。
「ある概念」とは「ある概念以外の概念」ではない概念、ということですよね。
つまり、どの概念も他の全ての概念と区別されているということです。
そう考えていたので、「概念という他と区別されたもの」という言葉を使いました。


回答2
kobareroさんの挙げた喩えで言うと、
「撮像管から画像を取り込む」が、感覚器の働きですね。
「そのデータをコンピュータで処理し、図形特性を抽出する」が、心の働きですね。そしてこの場所が心です。
「その結果をメモリに格納する」、そのメモリは「感じたもの」だと思います。
コンピュータのプログラムでは、心を場所と言うと何処だか分かり難いかも知れませんが、つまり変数に代入する前までの処理部分(モジュール・関数)です。


回答No.4の補足について
-実際には「感じる」の存在は、たとえ、この地球上のすべての人が否定したとしても、自分にとってはこれ以上確かなものはないわけです。-
その文章の「感じる」は「意識する」という感じだと「感じ」ました。
つまり、「感じるもの」という「単に自動的に反応するもの」と、「たとえ、この地球上のすべての人が否定したとしても、自分にとってはこれ以上確かなものはないもの」が同じものかどうかということですよね。
そして「感じる」と「意識する」が同じなのかどうかはすぐには分かりそうにないのでここでは考えませんが、とても興味深いテーマだと思います。


ついでに・・・
「感じること」とは「感覚器を通して得られたデータから概念という他と区別されたものが対象として取り上げられること」。そしてその場所が「心」としました。なら、
「考えること」とは「感覚器を通して得られたデータから概念という他と区別されたものを対象として取り上げること」。そしてその場所が「精神」ということにしようかな・・・。
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この回答へのお礼

色々と考えるヒントをいただきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/22 21:02

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