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1974年の改正刑法草案が作られた経緯と、それが法案提出されずに終わった(んですよね? 提出されたけど否決されたのではなく・・・)経緯を詳しく教えてください。

A 回答 (1件)

改正刑法の草案の経緯をお聞きになるとは、珍しい方ですね(笑)。

実際のところ、私が生まれる前の改正草案について、私が知ることは少ないのですが、文献と指導教授に質問し、以下にまとめてみました。ご参考になれば幸いです。

改正論争のきっかけは、現行刑法の持つ多くの不備への問題意識が高まったことにあるようです。今の刑法は、共謀共同正犯(まあ、共犯の一種と思ってください)規定の不存在など、多くの問題点があります。その問題点について、学説と判例が、いろいろ補完してなんとか社会の秩序を守ってきたわけです。しかし、社会が高度化して行くにつれて生じる、企業犯罪や秘密漏示の問題などに対処しきれなくなってきたことや、罪刑法定主義などの問題から、改正の必要性が高くなってきたのです。

そこで、政府は刑法の改正に乗り出したわけですね。その改正案には、何十年も掛けて学説・判例が培ってきた成果がふんだんに盛り込まれていたわけです。

例えば、原因において自由な行為についての規定を作ったことなども、それに当たります。具体的には、覚醒剤などの薬物によって、犯行当時、心神の喪失状態であっても、その心神喪失状態が自分の行為によって惹起されたと認められるときなは、心神喪失状態であっても被告人の罪を問うと明文化したわけです。長年、判例でも学説でも述べられてきたことですので、学者の先生にとっては悲願が叶ったと言うことになりますね(笑)。

また、改正刑法草案においては、死刑が定められている罪の数を大幅に減らしたということも一つの特徴です。加えて、わざわざ「死刑の適用は特に慎重でなければならない」と、明文の規定まで設けているのです。
これは、死刑廃止の風潮が世界的に高まっている(というか、死刑制度を維持している国がもうあまりない)現状を踏まえて、国際化をしていこうという意図にあったものと思われます。

しかし、この刑法改正は途中で頓挫してしまいます。なぜか?そこには、いろいろな理由があります。しかし、その中で最も多い理由は、新たに加えられた保安処分が存在することでありました。ここで、保安処分とは、裁判所が、刑の代わりに言い渡す処分であり、犯罪を繰り返す者について、不定期刑(刑期を定めない刑)を科する処分のことです。この保安処分につき、刑法改正反対派が危惧したのは、保安処分制度が悪用されることでした。当時、冷戦のまっただ中で、東側諸国と関係が悪化していたのですが、その東側諸国の総帥、旧ソビエトでは、権力者が自己に不都合な人間を、例えば精神病患者とみなしてしまい、そのものを精神病院に収容して、社会から隔離していたような事情がありました。このことを知った上で、当時の国民・議員が改正刑法に賛成すると言うことはし辛い雰囲気だったのではないかと思われます。

また、日本の民主主義が当時は甚だ微妙であったことも忘れてはなりません。当時は、ちょっと油断すれば、いわゆる国家主義が復活しそうな雰囲気があったということです。そのような状況下で、国家に強力な権限を与えても良いのだろうか?という意識が社会にあったということです。

そのほかにも、公務員の機密漏示罪・企業秘密漏示罪・不定期刑制度など、幾多の問題が存在しているということも問題となりました。これらの問題は、すべて、人権侵害の危険を防止し、適正な処罰を実現するための、正しい刑法のあり方を根底から破壊するものとして厳しく批判されてきたのです。(この点につき、詳しくは、弁護士会のHPをご覧ください。)

結局、以上のような理由で国民の反発が激しく、法案の提出はならなかったようです。治安優先の国家主義的色彩が強いという理由が、現在に当てはまるかは分かりませんが、当時の事情からすればまあ、仕方なかったのかな?と個人的には思います。

質問者の方の疑問が少しでも解決されれば幸いです。
以上です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。保安処分がネックだったんですね。心神喪失者等医療観察法は成立しましたけど、これにも「保安処分反対」の動きってありましたよね。成立したのは、時代が変わったからでしょうか。
よければ、参考にされた文献も教えていただけませんか?

お礼日時:2005/06/24 17:48

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