プロが教えるわが家の防犯対策術!

原爆ドームは実際の被害を残してあるのですか?それともただ単に再現しただけなのですか?

A 回答 (5件)

広島県物産陳列館(ぶっさんちんれつかん)は、広島県物産品の販売促進(はんばいそくしん)を図る拠点(きょてん)として1915(大正4)年に建設されたもので、チェコ出身の建築学者ヤン・レツルの設計による大胆(だいたん)なヨーロッパ風の建物として評判を呼(よ)びました。

その後、広島県商品陳列所(しょうひんちんれつじょ)、広島県産業奨励館(さんぎょうしょうれいかん)と改称(かいしょう)し、戦争が激(はげ)しくなった1944(昭和19)年3月には産業奨励館(さんぎょうしょうれいかん)としての業務が廃止(はいし)され、内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材・日本木材広島支社などの統制会社の事務所として使用されていました。
原爆(げんばく)の投下により、建物は一瞬(いっしゅん)にして大破し、天井(てんじょう)から火を吹(ふ)いて全焼、中にいた人は全員死亡(ぜんいんしぼう)したと伝えられています。爆風(ばくふう)がほとんど真上から働いたため、壁(かべ)の一部は倒壊(とうかい)を免(まぬが)れ、ドームの鉄枠(てつわく)とともに象徴的(しょうちょうてき)な姿(すがた)をさらしました。そして、その形からいつしか「原爆(げんばく)ドーム」と呼(よ)ばれるようになりました。
1966(昭和41)年に、広島市は原爆(げんばく)ドームの永久保存(えいきゅうほぞん)を決定、広く募金(ぼきん)を呼(よ)びかけ、これまで二度の保存工事(ほぞんこうじ)が行われました。
人類史上最初の原子爆弾(げんしばくだん)による被爆(ひばく)の惨禍(さんか)を伝える歴史の証人として、また、核兵器廃絶(かくへいきはいぜつ)と恒久平和(こうきゅうへいわ)を求める誓(ちか)いのシンボルとして1996(平成8)年12月「世界遺産条約(せかいいさんじょうやく)」に基づきユネスコの世界遺産一覧表(せかいいさんいちらんひょう)に記載(きさい)されました。

したがって、実際の被害を残してあるといえます。

参考URL:http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/Virtual …
    • good
    • 0

始めまして。


広島人です。

皆さんが既に的確な回答をさせているので、補足程度に・・・。
実際に原爆ドームは現存のまま残されていますが、
倒壊の恐れと、風化が激しい為ドーム部分は原爆資料館に移されています。
したがって、今現在の原爆ドームは建物部分だけは現存していますが、
鉄筋で出来ているドーム部分のみ、新しい鉄筋が組まれています。

私が幼い頃にみたより、幾分倒壊して小さくなっている気もします・・。

原爆は原爆ドームのほぼ上空に投下され、原爆ドーム以外はほぼなくなりました。
あれだけの原型が残っている状態も奇跡に近いそうです。
    • good
    • 0

建築材料の風化等で崩壊の危険性もありますので、何度か補強工事が行われています。

    • good
    • 0

原子爆弾は、1945年の8月6日、当時の「広島県産業奨励館」の上空で炸裂したのです。

この産業奨励館が現在の原爆ドームです。したがって、実際の被害を残してあるといえます。
    • good
    • 0

実際の被害です。


ヒロシマもナガサキも現存させているものは多いですよ。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!