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今、短大・保育科の1年生をやっているのですが授業途中にララ物質と言うのが出てきたのですが、調べて戦後に古着などがアメリカから送られてきた。と軽くは知る事が出来たのですが、詳しくは分かりませんでした。ララ物資がしっかりと理解できてなければ授業をちゃんと理解できません・・・
なのでララ物資について知っていることがあれば教えて下さい。お願いします。

A 回答 (1件)

ララ物資(ケア物資)は、現在50歳以上の方でしたら、おそらく記憶の片隅にあるのではないかと思います。


昭和21年(1946年)11月30日、横浜港(新港埠頭)に、アメリカから救援物資を満載した船(ハワード・スタンバーグ号)が到着しました。これをララ物資(ミルクや衣類など)と言います(救援物資は計450トン。翌12月の第2便では、救援物資は何と計21万トン。)
主な品目は、チーズ、バター、エバミルク、レーズン、ポークチョップ、ミート&ビーンズ、トマトジュース、グレープフルーツジュース、グリンピース、パイン、干しりんごでした。
続いて昭和23年にも同様の救援物資が届けられました。こちらはケア物資(どちらかと言えば、衣類が中心)と言います。
ちなみに、横浜港(新港埠頭)には記念碑があります。

ララ物資は、戦後、食料品や医薬品・日用品などがいろいろと著しく不足していた時代に、おなかを空かせて飢えや病いに苦しむ子どもたちをはじめ、多くの日本人を救ってくれた物資です。
太平洋戦争(第2次世界大戦)終結直後、日本人の約6人に1人は、このララ物資の恩恵にあずかりました。当時の金額で総額400億円にものぼったそうですから、非常に膨大な量の救援物資が日本に送られてきたことになります。

ララというのは、License Agency for Relief in Asia(公認アジア救済連盟)というボランティア団体の頭文字です。
クリスチャン(特にアメリカのクェーカー教徒。救世軍をご存知でしょうか。これがクェーカー教徒の一種です。)を中心として結成された民間ボランティア団体で、いまはもう解散して存在しませんが、キリスト教関係では非常に著名な団体です。1946年9月、クェーカー教徒のE.B.Rhoads女史の活躍によって認可されました。
この活動の中心になっていたのは、盛岡出身の日系アメリカ人である浅野七之助氏。「ララ物資の父」と呼ばれています。この方は、太平洋戦争中に日系人が強制疎開させられたり財産を没収されたりしたときにアメリカ政府に直訴して日系人の名誉を回復させた、というエピソードも持っており、日系人の間では知る人ぞ知る存在でもあります。

ララ物資をもとに、学校給食では脱脂粉乳(スキムミルク)が出されるようになりました(昭和22年1月~)。都市部の児童を中心に、300万人の子どもたちがその恩恵にあずかっています。
スキムミルクは栄養価が高いもので、多くの欠食児童が栄養失調から救われました。
いま学校給食に牛乳が付いているのは、このときの名残でもあります。
また、昭和23年、やはり救援物資をもとに、初めてカレーシチューが登場しています(東京都のある中学校)。
ちなみに、学校給食に用いられたララ物資の贈呈式が昭和21年12月24日に行なわれ、学校給食の記念日とされていますが、冬期休暇との関係で、いまは1月24日が学校給食記念日です(1月24日を中心とした1週間が学校給食週間です。)。
学校給食関係を調べると、ララ物資のことがよくわかります。

ララ物資、ケア物資に続いて、ユニセフからも援助が送られてきます。
いわゆる戦災孤児も多い時代でしたから、やがて児童福祉法をはじめとする社会福祉六法の成立につながってゆきます。そちらとの関連も調べてみましょう。

なお、ララ物資をはじめとする海外からの援助物資の歴史については、下記のURLが参考になります。

http://www.juwa.co.jp/alice/006/ap006.html
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。
参考URLも是非覗かさせて頂きます。
これで社会福祉の授業内容が理解できると思います。こんなに詳しく教えていただいてありがとうございました。

お礼日時:2005/05/14 22:18

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