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当たり前のことかもしれませんが、人は自分の心(≒感情)を直接操作することができません。
例えば、心が乱れているときに心を落ち着かせようとすると、なかなか落ち着かないどころか、
むしろ余計に乱れたりします。しかし逆に開き直って、心が乱れても構わないと思うと、心は
それ以上乱れることはありません。そこで私は心には天邪鬼にも似た反発性があるということに
気付きました。潜在意識(≒感情)は表面意識(≒思考)の逆方向へと向かおうとするのです。

しかし、なぜ心にはこのような反発性があるのでしょうか?もし反発性がなければ、人は思いの
ままに自分の心を操作することができるということになります。わかりにくい文章で恐縮ですが、
この謎がわかる方いましたら教えて下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

それは、人間の脳の中にワニがいるからです。


人間の脳は、古い脳を土台として新しい脳がその上に乗っかるような構造になっています。
WindowsOSと同じですね。再構築ではなく、進化なのでこんなことになるのでしょう。
旧脳はワニと同じで、近くにエサがあればとにかく捕食に向かい、怪しいものが近寄ればとにかく攻撃する。人間も脳の中にワニを飼っているので同様の反応になります。しかし、それではまずいことも多いです。
新脳の方から"ちょっと待て!ここで心を乱すと彼女に逃げられるぞ、今のところは飛び掛ったりせずに、微笑んでおけ!"という修正信号が飛ぶわけですね。
でも、この脳内ワニの力が強すぎたり、逆に弱い信号しか出せなかったりで、うまくいかないことも多いのです。
サファリパークへ行けば、頭の弱そうな哺乳類がたくさんいて、そこを人間様がエラーソーに見て回る訳ので、自分は「特別」だと思って自信が湧きます^^;。
しかし、構造的にはライオンも人間もほぼ一緒。所詮、人間も哺乳類の仲間なんですね。
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この回答へのお礼

脳の中にワニがいたとは知りませんでした。
結局理解できませんでしが、おもしろい回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/11 09:25

生物学的なことは判りませんが、機械システムなどに置き換えれば、自己保持(回路)のためということではないでしょうか。



理性で感情をコントロールできなくなれば、理性を失い自制心を失いそして、感情に流されるということになり、社会生活において自己保持ができなくなります。

私は反発性というより、それは表裏一体紙一重という感じでもあるのかなぁと思います。
表が感情 裏が理性 そしてそれを制御する自己保持回路という安全弁が、側面についているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

私は自己保持回路が理性なのではないかととらています。確かに理性と感情は表裏一体ですね。
人によってそれはその二つの作用の仕方は違うと思うのですが、私の場合反発し合うことが多いです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/11 09:34

意識(表面意識)と無意識(潜在意識)に反発性があるというのではなく、単に意識が無意識を制御する機構が脳の中に存在していないというのが正しいのではないでしょうか。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
では、なぜそのような機構が存在する必要があるのでしょうか?

お礼日時:2005/07/11 09:37

心の操作の難しさを実感されたようで、おめでとうございます。

(^^)
強制・命令で心を動かすことは出来ないのですよ。

古来から、心の操作、心の謎は、大勢の人が研究してきました。
本気で心の謎なり、操作方法を知りたいなら、まず自己催眠から練習することをお勧めします。(自律訓練法は簡単です)
それがマスターできたら、次は瞑想。
様々な瞑想方法がありますが、ま、いろいろお試しください。何かが見えてくるのに、そうですね、1-2ヶ月みてください。・・・その先は、なが~~~いですけど。

参考URL:http://www.j15.org/Picturebook-LoveLie/index.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/13 02:07

私は、ある人から「選択理論心理学」というものを学んだことがあります。



基本的な考え方は、あなたが取っている行動は全てあなたが選択したものだ、という考え方です。

朝目を覚ます…これは無意識の反応かもしれませんが、目を開ける、体を起こす、立ち上がるという3つの行為はあなたが選択して行ったものですよね。

例えば目は覚ましたが眠いからもう一度眠る、体が重たいからこのまま横になっている、しばらく座ったままでいる、なんて選択もできるわけです。

このような考え方が基本になるのですが、人間にはどうしても直接コントロールできないものがあります。

それが、質問者がおっしゃられている感情と、もうひとつは生理反応です。

ところが、それは直接コントロールできないだけで、間接的にコントロールできないわけではありません。

それが、「思考」と「行為」なのです。

感情や生理反応は無意識のうちにわきあがるもので、あなたが選択することはできません。
ですが、何故その感情や生理反応は沸き起こるのでしょう。

例えば誰かが子どもをいじめている光景をあなたが見た、とします。このとき、あなたはすでにその光景を見る、と言う選択を行っているわけですが、続いて「子どもをいじめるのは良くないことだ」とあなたは考えます。すると、腹が立ってきます。いえ、腹を立てるということすら、あなたには選択することができるわけです。

例えば、あなたはいやなことがあったとき、暗く沈んだ雰囲気の場所に、何もせず、ただじっとしているとします。すると、あなたの心は、どんどん、どんどん暗く沈んだ気持ちになります。

逆にいやなことがあったとき、明るく日のあたる場所で、スキップをするとします。するとあなたはその間、いやなことを考えることを忘れてしまいます。

なぜか笑顔まで浮かんできます。

つまり、感情と生理反応を決定しているのはあくまでもあなたが選択した思考と行動なのです。

そのように考えれば、少し心をコントロールすることもできるのではないでしょうか
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/13 02:08

質問者さんは、「心には反発性がある」という答えを見つけた(発見した)と書かれていますが、私の考え方は、少し違います。



心が乱れたとき・・・といいますか、簡単に言ってしまうとドキドキの状態のとき、落ち着かせようとしても効果が無く、逆に、開き直ると、それ以上のドキドキがなくなる。
このことが、「反発性説」の基のようですが、それは、反発ではなく、落ち着かせる回答を得たからではないでしょうか。

たとえば、100万円がどうしても必要で、それが無いと生命の危険さえある・・・とします。しかし、100万円の当てはありません。ドキドキです。必死です。
そんな時、「死を覚悟する」という答えを出せれば、それ以上のドキドキは消えます。というか、ドキドキ自体は完全になくなります。
また、困っているときに買っておいた宝くじが当たっていたことに気づき、賞金が100万円だったとしたら、同じようにドキドキは消えます。

結局、“何らかの回答”を見つけたとき、ドキドキはなくなるわけです。

もともと、ドキドキが発生するメカニズムを考えると、理解しやすいです。

ドキドキが発生するのは、次のときです。
『近い将来、自分にとって、肉体的、経済的、精神的などれか(もしくは複数)で負(マイナス要因)が発生すると感じたとき』

その状態のことを、「不安」と名づけています。
悪い方向でドキドキが発生した状態です。
ちなみに、不安の反対は「安心」では無く「期待」です。

ですから、「反発性」というよりは、不安を生み出す条件を見つめ、それを解決する答えを(それが死であったにせよ)見つけたとき、ドキドキは消えるのです。
もし、反発性で解決できるのであれば、心理学上での問題の全てが解決してしまうともいえます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/13 02:10

「潜在意識(≒感情)」と「表面意識(≒思考)」との関係で捕らえておられるようですが、私は、どちらかというと、「感情と意志」の関係で捕らえています。

そして、「感情と意志」の関係は、「馬と騎手」や「犬と主人」の関係に似ていると思います。

すなわち、「感情」は、馬や犬のようにそれ自身の発動原理に基づいて動き出す(取り合えず「意志」とは関係なく)。でも、だから言って、常に「意志」に反して「意志」と逆の動きをするとは限りません。下手な騎手が無理やり馬に乗ろうとすれば、馬は益々暴れて言うことを聞かなくなることもある一方、うまく手なずければ、おとなしく騎士の言う通りになる....そういった関係だと思います。

ですから、「感情」は操作できないと言うより、「感情」を操作するには、老練で賢い「意志」の働きが必要ということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/13 02:12

>では、なぜそのような機構が存在する必要があるのでしょうか?



質問の意味がわかりませんが、人間に備わっているさまざまな仕組みは、要・不要というような現在の人間の価値判断で備わっているのではなく、長い地球の歴史の中で、環境に適応してきた結果だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/13 02:13

#1です。


>結局理解できませんでしが、

私自身、ここで回答してみて初めて気づきました。私には#2さん#3(#8)さんの回答以外は、@@で何のことをおっしゃっているのか理解できないのです。
ただ、この件、理解するには、心理学より大脳生理学など生物学からのアプローチがいいと思いますよ。
ワニの件は、旧脳と新脳、その連絡についてのもちろん比喩ですが、以下のurlを参考に他を検索するといいと思います。

参考URL:http://www.president.co.jp/pre/20020701/03.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/13 02:16

>当たり前のことかもしれませんが、


当たり前ではないですよ。


>人は自分の心(≒感情)を直接操作することができません。
知・情・意という名の3匹のワニがいると思ってください。
(またワニかよ・・と文句は言わないで、今日はワニが安かったので
なんでもワニでいく日なのです)
知のワニは、現象を発見して知覚します。
たとえば、質問者さまの前に、すっげぇ美人ちゃんが出現したとします。
知のワニは、まずその事実を認め考えます。
実は、賢いワニなのですね。
「お、いい女だなぁ。ああいうのを彼女にしたら、幸せだろうなぁ」
次の瞬間、記憶のデータベースから過去の経験の事例検索が始まると
ろくな経験があがってこない。電車のなかで、じっとみつめていたら
睨み返されたり、駅員に変質者と通報された記憶や、結局じろじろ見る
だけで、自分はどうしようもない。ファミレスでみつけた美人など、じっと
念力で「微笑め微笑め」と波動を送ってみたら最後にこちらを見て、満面に
笑みを浮かべた。と思ったら彼氏が後ろに立っていた。
そういう記憶ばっかし。
無理ぽ 無理ぽ 無理ぽ・・・・・無理ぽ
そういう警告が脳裏に鳴り響きます。
「馬鹿、そういうことではダメだ。これは天がキミに恵んだチャンスなのだ。
 何でもいいから、適当に話しかけろ。『いい天気ですね』とか『蒸しますね』
でもいい。」
「馬鹿。そんなこといきなり言ったら、変なヤツと思われるにきまってる。」
「じゃどうすんだよ。ダメでもともと、失敗しても失うものなど何もないだろうがよ。」
「いや、周囲の人が変に思う。笑われるにきまってる。」
「おまえ、そういう消極的な姿勢でいいのかよ。そういうことだから彼女ができない」
「オレは、ナンパで彼女作る気ないから」
「なにいってんだよ。出会いの瞬間はいつでもこういうシーンからはじまるものだ」
「電車男みたいにヨッパライがからんでくれたらきっかけができるのになぁ」
「オマエが二役やれば?」
「それはダメだ」
「早く汁。次の駅で彼女は降りるかもしれんぞ」
「そうはいってもなぁ、きっかけが」
「ほら、彼女たちがって本を落としたぞ。ひろってやれ。おい。おい早くしろ」

せっぱつまったところで、感情のワニ
「ドキドキ ドキドキ ハラ ハラ ハラ ハラ」
「嫌だな。こういうの苦手だよ。美人を見るのはすきだけどな。恥は嫌いだ。」

そこで、意思のワニ登場
「とにかく、落ちた本を拾うぞ。」


「あ。ありがとうございます。すみません。」
「いいえ。・・・あれ、『発達心理学講義』山田田吾作著って
 ひょっとして、あなた、山田教授の授業受けてません?」
「ええ、平成教育大学の心理学科です。」
「ぼく、そこの助手なんですけど」
「あら、偶然ですね。」



>例えば、心が乱れているときに心を落ち着かせようとすると、なかなか落ち着かないどころか、
>むしろ余計に乱れたりします。

思考は逡巡するもので、それによって迷いが生まれ意識の中に葛藤が生じます。その葛藤は
心を乱す原因になります。恐怖や不安などの感情は、迷いや疑念などの思考から生じますが
思考の中に、二律背反的な選択が生じると、感情は不安や焦燥に傾き、思考の集中力が
削がれます。しかし、意思として何かを選択し行動することで、その焦燥や不安は払拭できる
場合があります。

>しかし逆に開き直って、心が乱れても構わないと思うと、心は
>それ以上乱れることはありません。

そこで、開き直っているのは知のワニで、アタマで無理ぽ 無理ぽ
と納得させています。
あきらめるというのも立派な意思決定。とにかく意のワニが出動すれば情のワニは
引っ込むのです。

心が乱れてもかまわない、思い切って行動汁と、意のワニが知のワニを制すれば
葛藤に一旦帰決着がついて、何らかの結果がでます。後悔も知のワニが行います。
それを嫌なことだと感じるか、前進と感じて喜ぶかは知のワニの解釈によります。

>そこで私は心には天邪鬼にも似た反発性があるということに
>気付きました。潜在意識(≒感情)は表面意識(≒思考)の逆方向へと向かおうとするのです。

それは、あなたが意思薄弱というだけの話。
禅寺で修行してきたら別の発見があります。
本来 意のワニは、知の意見と情の情勢から判断して行動を起こす役割です。
心の中には意思という領域があります。
感情を意思の力で封じ込めるのは困難でも、知恵や思考で考え方を変えることで
嫌なものがよくみえたり、嫌いなものが好きになったりするのです。

>しかし、なぜ心にはこのような反発性があるのでしょうか?
感情をコントロールするのは大人になる第一歩です。それは表面的な感情を抑えるという
意味のみならず、考え方や見方を多面的に持つということです。
一方的なものの見方では一面的な感情しかうかんでこない。でも見方を変えることで
あれ、実はこれっていいことなのかもしれないとか、さまざまな可能性が見えてきたり
します。実は、人間が成長する鍵もそのあたりにあるのだと思います。
心に反発性があるのでなく、感情の抑制方法をあなたが知らないというだけです。

酸っぱい葡萄って御存知ですよね。あんなもの腐っているよとけなせば心は平穏に
なりますが、あなたの欲望はいつまでたっても満たされないわけです。
自分がやりたいと思っても無理だと感じることはやらないほうが楽です。
自分がやりたくないことはやるべきだと頭で思ってもやらないほうが楽です。
自分がやってはいけないと思っていても、気持ちのいいことはついやってしまいます。
自分がやってはいけないと思っていても、やらないと不安なことはやらずにはいられません。


>もし反発性がなければ、人は思いの
>ままに自分の心を操作することができるということになります。

実は、人は思いのままに心を操作できるのです。
それは、思考を豊かにすることで可能になります。思考は経験という大きな味方から
さまざまな知恵を学ぶのです。そうするとさまざまな出来事に対して、不安や恐れや
動揺や苦しみや困難を感じることが少なくなる一方で、小さな出来事からも
喜びや楽しみや愛や、工夫や面白さを発見できて、楽しく暮らせるのです。
それが、魂の修行ということで、人間の生きている意味もそこにあるのです。

>わかりにくい文章で恐縮ですが、
>この謎がわかる方いましたら教えて下さい。

謎というより、あなたの解決すべき課題です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/13 02:18

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