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政治や哲学、思想・心理学等にも関連しそうでここで訊くのが適当か迷いましたが、今まで何度かテレビで数学を勉強すると論理的思考が身に付くと複数の大学・高校の教師が言っていました。ただそれだけで具体的な例や根拠は言いませんでした、時間がないからかもしれないけど。こういう話は、宣伝や引きつけようとして大げさに言ったり受け売りも多いですし論理といっても色々あるし、証明するのは難しいと思いますがみなさんの意見を聞きたいです。数学をやり始めて、物事に対してこんな考え方をするようになったから当たってるかもとかでもいいので。

できれば、論理や論理的思考の定義があると思われるならそれも聞かせて下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

数学勉強で、論理的思考が必ずしも身に付くというものではないと思います。

理系の人でも論理的に話せない人、または、文系出身者でその逆もいますよね。

大学と院で経済学を選考しましたが、個人的には英語の勉強、英語圏の人と接することを通じて、
論理的思考能力の大切さを痛感しました。

何かを交渉するとき、それを裏付ける数的データ、また、自分のアイディアに対して、何故ならば~という説明も必要です。英語に限らず、ディベートやディスカッションも論理的思考能力には役に立つと思います。

数学を勉強され、それをご自分で生活に応用される
umisora2005さんご自身の能力も大いにあると思います。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが、回答ありがとうございます。
そうですね、私も似た感想を持っています。イギリスもそうなのに違うので、島国だからとは言い切れないですし。長く平和で資金も無いわけでもないのに、教育が柔軟性が無く固定的なのは教える大人・日本人自体にそういう感覚・感性・遺伝子がないのかなと。型にはめたり、上下や年にこだわり壁を作りたがるのは犬とか動物的で賢くないし議論・討論が嫌いでしない、させないで曖昧・なあなあでうやむやにしたがり多くの人が論理性を持つのは困難ですかね。

お礼日時:2005/07/29 16:31

No.9さんにお聞きしたいのですが、「今までの経験だったり知識だったりが元になって、新しいアイディアがうまれる」という一文がありますが、ここに論理的思考力は介在していないんですか?論理的思考力がなくても、経験なり知識からいきなりアイデアが沸いてくるということですか?また、数学とは説明する学問だったのですか?説明の一般的な意味を考えると、分かりやすく述べなければいけませんよね。

分かりやすさの定義はどうすればいいのですか?分かりやすさではなく、定義を用いて厳密に実証していくものだと思っていました。論理的な思考力を持たない数学者は見たことがありませんが、分かりやすく説明することのできない数学者は何人も見たことがあります。これは単なる偶然ですか?理解できないので論理的に説明していただけるとありがたいと思います。大学に入り、数学を6年間研究して修士論文まで書いたんですが、やはり数学は論理学であるという結論に達してしまった程度にしか数学を理解できなかった者ですが、よろしくお願いします。

ちなみに、ニュートンがリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見したというのは作られたエピソードと言われていて、実際は物が上から下に落ちるのを疑問に思い、その原因を論理的に突き詰めていった結果、万有引力の法則に至ったというわけです。最初から万有引力の法則を示そうとして始めたわけではありませんし、誰かに説明するために始めたものでもありません。最初に疑問を感じて研究を始めるあたりはすごいと思いますが、研究していく過程で必要になるものって論理的思考力ではないですか?アインシュタインの相対性理論も、自身が感じた疑問を論理的に展開していった結果として生まれた理論です。

エジソンが「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という言葉を残していますが、これは一見ひらめきで発明を生み出したように見えるが、その裏には、そのひらめきを起点に、論理を積み上げていく努力があるのだと主張したかったのではないかと思います。

長々と書いてしまいましたが、私の方が誤解していたようでしたら申し訳ありません。
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『数学を勉強すると、本当に論理的思考が身に付く』


のではなくて、
『自分のアイディアを論理的に説明する能力が身につく』
のではないでしょうか。

論理や論理的思考をどんなに身につけても、問題を発見したり解決したりすることはできないのです。それは数学でも同じで、論理だけから数学の問題を解くことも、定理を見つけて証明することもできません。

数学というのは、命題を述べるときにキチンと公理と定義からその結論を導かないといけないわけです。
しかし、その命題を発見したり、解決したりするというのは論理的思考であるとは限りません。
それは今までの経験だったり知識だったりが元になって、新しいアイディアがうまれるのです。
これは第一線の研究者を見ているとすごくそう感じます。
ニュートンだってりんごが落ちるのを見て万有引力を発見しましたよね。これは論理だけからは絶対考えられないですよね。

私は、数学は論理だという主張は数学を知らない人だと思っていて、数学とは自分のアイディアを論理で説明することを要求されるものだと思っています。それも厳密に。
でも、これはどこでもそうだと思うのです。自然科学のみならず、人文科学やビジネスにおいても。
なので、いつでも自分の考えやアイディアをキチンと論理的に、他人に分かるように主張するということが大事であって、数学はそのトレーニングだと思えばいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが、回答ありがとうございます。
種の多様性なのか、色々な見解があって楽しいけど難しいですね。私も似た考えの部分もありますね、論理性を養う一手段というか。数学という一学問だけでなく、日常や人と人の関わりから論理性が養えればもっと効率的でしょうけど。やはり長年平和で時間や経済的に恵まれていても、そうならないのは偶然そういう感覚・能力が無い遺伝子をもってしまったからですかね。議論・討論しないさせないで、みんな同じにしようさせようとしたり曖昧でなあなあで済ませて。こういう感覚・行動から論理性、独創性は生まれにくいですよね。自分で考え、まとめ主張・提案・説明し相手と交渉したり駆け引きや説得するという環境で子供を育てれば変わると思うけど。物造りの才能は若干ありますが、抽象的・複雑な概念を生み出す能力はないですね。数学や物理・化学・医学等を多くを長年、仮説・実験・立証・修正し発明・発見・発展させてきたのは残念ですがほとんど外国人ですし。

お礼日時:2005/07/29 16:57

残念ながら現状の数学教育では論理的思考力を養うことは難しいと思います。


前の方々が書かれていますが、専門的に数学を学んでいくと、そういった能力をつけることもできると思います。
しかしながら一般的な数学は、論理的思考とは程遠いやりかただと感じます。
問題に対する解法を自分の頭にあるものの中からどれを使うべきか選ぶ、という思考をたどって答えを導き出すので。
論理的思考というよりはパズルに近いような。

こんな話もあります。
私の知り合いのA君は数学オリンピック日本代表という肩書きで大学に推薦入学をしました。そのA君が1年生のときに「数学」の単位を落としたのです。
本人いわく「数学オリンピックで必要なものは初見の問題を答えるためひらめきが必要、学校の数学はパターンを当てはめて答えるため記憶力が必要」だそうで。
この初見の問題を解くためのひらめき、というものがいわゆる「論理的思考力」ということなのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが、回答ありがとうございます。
そうですね、俯瞰すると私は日本人というこの地域に生まれ長年続いてきた性質・遺伝子の問題で変えるのは相当困難ではと悲観しています。長年平和で、時間も経済的にも恵まれた方なのにこの現状なのは、多数が思考や志向・感覚が非論理的で観念論・精神論を強く持ち必要でないとは言わないですけど九九や計算に異様に関心を示してしまい修正もできない。同一性を持ち持たせ、前例を重視し、上下や年齢地位等の壁を作って自由な議論・討論を好まないし、曖昧でなあなあでうやむやに済ませて。これで論理性、柔軟性、独創性が出るわけないですよね。

お礼日時:2005/07/29 17:17

補足回答します。


大抵の数学は日本にあるのと同じです-確立・統計だったり、関数だったり-ですが、数学的哲学と言うか、哲学的数学と言うのか、が有りまして、それは、日本で数III迄やりましたが、見たことが無い記号や符号が出てきて、知らなければ、其のノートを見ても数学の授業の物だと解らないのではないかと思う代物です。ここでは、それらの記号や符号が出せないので何とも説明できないのですが。(今、自分のノートを見ても、他人には説明できないと思います)
数の概念や-、+の概念から始まり、どういう風に論理というものは展開すべきか、を習いました。筋道を通した話は斯くあるべき、と言った一風変わった、だも、とても興味深い授業でした。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが、回答ありがとうございます。
留学されて羨ましいですね、私がネットで知った方は大学院でしたがたまたまその教授の感覚なのかも知れないけど教える・教わるという下らない硬直した考えがなくていいなあと思いました。当たり前なんですけど、教師は全知全能ではないし生徒が核・革新的とはいわなくても素晴らしい発想に繋がる考えを持ってるかもしれないんだから。あと同じ考えを嫌って、無理にでも違う事を言う・言わせるようで疲れるらしいですがそこから独創性や自己主張(素晴らしくてもみんなに知らせないと)、複雑な概念が生まれるんでしょうね。

お礼日時:2005/07/29 16:11

私は大学院まで数学教育を勉強していましたが、数学は論理学の一部であると考えています。

数学の考え方は、全て論理学の上で成り立っています。論理があるからこそ、数学の定義は定義として成り立っているのです。数学は論理に基づいて一意に解が求められるので、論理学的思考を身に付ける練習にも適しているのかと思います。

ただ、数学を勉強すれば論理的思考が成り立つとは、必ずしも言えないと思います。というのは、現在の学校教育の数学では解法などのテクニックを教えてはいますが、数学の本質となる論理的な考え方を教えているとは言えないからです。論理的な思考力がなくてもテクニックさえ磨けば、東大の数学の入試問題だって解けるようになります(かなりのテクニックが必要ですが)。だからこそ、学校では数学の問題(入試問題)を解けることに主眼を置いた授業をやっているのですが、数学教育を研究した身としては、学校教育で論理的思考が身に付くような授業をやって欲しいと思うんですけど、ちょっと現状では難しそうですね…。

数学を専門的に学べば学ぶほど、数学とは論理学なんだな、と実感させられますよ。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが、回答ありがとうございます。
たしかにそういう面はあるでしょうね、でもそれ以前に日本人自体が感覚的・非論理的(精神論、観念論とか)な面があるから大人が次代の子供を教育するしかないのにそうなってないならどうしようもないですよね。私は、どうも遺伝子のせいかと悲観してます。固定観念が強いし、ある面で柔軟性がないし。都知事が言ってましたが、東大は世界的には評価が低いと。日本に留学しようと思います?

お礼日時:2005/07/29 15:52

>> 数学を勉強すると、


→本当の意味で数学を勉強すると,

>> 本当に論理的思考が身に付く?
→ある意味論理的思考が身に付く。

と思います。
大筋は#4さんと同じように考えています。
高校数学(大学受験数学)までは,理論的思考能力より,引き出しに入っているデータベースの多さによって数学的能力を測られることが多いです。

簡単に言うと,プログラムのコピペ能力です。
コピペするデータベースを記憶の中にたくさんもっていて,それを瞬時に探しだし,変数の部分だけを書き換える能力。
データベースの容量が多くて,それをこちょこちょさわれる能力が勝る者。
そういう能力の持ち主が勝者になる傾向にあります。

これが本当の数学の勉強であり,数学的論理的思考であるかと言われると,全くベクトルは逆を向いているのではないかと思います。

でも,データベースはすごく大切です。
将来,数学的思考をするためには必須のものです。
だから,あながち否定することもできません。

受験数学が,論理的思考を身につける手段であるかどうかは大いに疑問です。
しかし,本当に数学を勉強する上では必要な基礎的予備知識となります。

小学算数を思い出してみてください。
算数は数学と違って本当に数の思考能力を必要とする場合が多々あります。
つまり公式を覚えて,単に公式に数を代入するのとは違う,本当の思考力を求められることがあります。
でも「九九の暗記」など,数学的,または算数的能力にほど遠いものもあります。
というか,これまた九九の暗記自体,数学とは逆向きのベクトルだと思います。
でも九九は知らないとならない基礎知識ですよね。
つまり,数学的思考をするための基礎的データベースです。九九の暗記法はあながち否定できません。

最初に戻りますが。
本当の意味で数学を勉強すると,論理的思考が身に付くと思います。
でもそれは,日本ではかなり限られた人であり,本当に数学を考えた人だと思います。
また,それは数学的な論理思考であって,他の物に応用できるような全能な論理思考ではないと思います。

1つの分野だけで,全能な論理的能力が身に付くとはとうてい思えません。
だから,「ある意味論理的思考が身に付く。」と思います。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが、回答ありがとうございます。
日本人は、九九や計算が好きですよね。テレビでも話しが盛り上がるのを見ると、そういうのが好きな性質・遺伝子を持ってるのかなと残念です。バイオリンやピアノでもそうですが、小さい頃からやった方が身に付くのだから実生活や人と人の関わり方から論理性を養う環境を作ればいいのに。多数がそういう感覚を持ってないから難しいかな?変な壁(年や地位とか)を作らず自由に議論・討論等をして発想を膨らましたり、刺激を与えるのもいいと思いますけど。

お礼日時:2005/07/29 15:37

勉強の仕方によってはく論理的思考が身に付と思いますが


九州大学くらいなら、理系でも
試験に出そうな問題のパターンと公式を暗記する勉強法で通ってしまいます
(友人にそう言う人が多いので)

問題をちゃんと理解し解いていけばいいですが
暗記主体の勉強法ならば
高校数学の問題が解ける=論理的思考が身に付いている
ではないようです
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この回答へのお礼

遅くなりましたが、回答ありがとうございます。
そうですね、それ以前に日本人自体が浪花節?曖昧でなあなあでうやむやで済ませたり。みんなで同じ事をしたがったりさせたり、九九や計算に異様に関心を示しますしね。元々論理性が無いか少ないから、長年平和で時間も経済的にも恵まれていても、この程度の教育なのかなと。日本人の限界か、変わるにはどうすればいいですかね。

お礼日時:2005/07/29 17:26

論理的思考って言ってもいろいろあるんで数学だけではカバーできないでしょうが、数学は正しいことを言っているかどうか、きちんと一貫性を持って物事を言っているかということを調べるにはいい練習になると思いますよ。


数学って言うのは、たいてい思考する対象としてモデルを必要とします。例えば幾何学なら図形、解析学ならグラフ、場合の数や確率なら事象、代数学なら記号といった具合です。そのモデルを次に数学の言葉にします。数学の言葉は数式に当てはまります。グラフの直線をy=mx+nといった形にするのも、グラフを言葉で表現するためです。その言葉を使って、いろいろな問題を正しいかどうか調べるわけです。つまり、一つの物事を色々な言葉に置き換えるのですが、色々な言い方をしても元は同じ一つのモデルのことを言っているわけです。つまり、言葉に一貫性があるということですね。政治家はよく色々と取り留めのない言葉を使って民衆を扇動しますが、その言葉に一貫性があるか(例えば簡単な例で言えば民主主義をかかげて選挙に積極的にいかせようとする政治家が国会では議案を通さないために議会を欠席するのは、その善悪はどうあれ一貫性のある行動とは呼べないでしょう。これは数学を習ってなくてもわかりそうなことですが、もっと細かいところまで数学を学ぶことで見えてくる手助けになるとはぼくは思っています。)調べるのに有効です。
理系は言葉の一貫性を重要視する傾向にありますが、文系はその逆で、言葉による創造や発想を重視します。文系のいう言葉は、例えば悪人を殺すのは悪であるとか、子供のまま大人になるとか、理系から見れば明らかに矛盾した言葉を含んでいます。しかし、われわれはそこから何か意味を読み取ろうとする、あるいは読み取るものです。この言葉はそのまま実行することもできませんし、一貫性を持とうにも無理な言葉です。しかし、考え付かない発想をその中から生み出してくれるという力があります。
だから数学だけで論理力がつくとは言えないでしょうが、数学は数多くある論理の種類の一端を司っているということができるでしょう。
ちょっと書き急いだので、わからないところがあれば教えてください。
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この回答へのお礼

遅くなりましたが、回答ありがとうございます。
たしかにそういう面はありますね、物事は一つだけというのは少ないから複合して養えるんでしょうね。論理といっても人によって色んな論理があるから、それは議論・討論して(相手の意見を聞く柔軟性も必要だけど)決めていくしかないですよね絶対的な事はないですから。でも日本人の多くは、考えず主張しないで曖昧・なあなあでうやむやにしたがる性質が大きいから多くが論理性を身につけるのは難しいですかね。

お礼日時:2005/07/29 17:43

 アメリカの大学では、まさに論理的思考方法を習得する為に、数学を2科目取る事が必須とされています。

しかも(?)数学の教授が数学的哲学の講義もしていました。彼の授業は、数学も哲学めいていて、やはり、三段論法よろしく、如何に論理的に答えを導いたり、また、導いた答えをしっかり納得させる段階を踏んだ手順を学ぶ物でした。
 #1さんの言う通り、証明問題を考えると一番判りやすいと思いますが、そうでなくても、数学は何がどうしてどうなる、と言う思考方法を確立する練習になるようです。

この回答への補足

回答ありがとうございます、私は行けなかったけど留学したいと思っていた事があります。数学を2科目というのは、具体的には日本にもある科目ですか?日本の大学とは違うんですかね。できればもう少し具体例で確認したいんですが、証明は難しいでしょうね。なんとなく分かりますが、形式論になってしまうような気もして。単純に言えば実験とかで、数学をやった人とやってない人でどう思考形態が違ってくるとか見られたらいいですね。人の思考は複雑で難しいですかね。

補足日時:2005/07/24 16:09
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