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「偶然」と「必然」への疑問について、色々とコメント、御意見をいただきましたが、正直、どれも納得し切れない点があります。
論理性、法則性のない事象が発生しうるか?という疑問に、生じた事象に論理性、法則性がない場合が偶然なのだという意見がありますが、論理性、法則性のない事象が生じ得ないならば、生じた事象には何等かの論理性、法則性があることになります。言い変えれば、起こった事象に何ら、論理性も法則性も見出せない、それらが無いから、などということがあり得るか?ということです。
仮に、「偶然」を論理性、法則性のない事象とすると、それをもう一つの意見、P⇒Qが証明できるなら「必然」でそうでないのが「偶然」という提案と合わせて考えると、おかしなことが起こるのです。
この提案だと「偶然」とは証明不可の事象となりましょう。しかし、証明不可能ということを証明できるのか?という問題です。どんな事象でも、それについて何らかの事柄を証明するためには、何らかの論理なり法則なりが必要ではないでしょうか?しかし、「偶然」を無論理、無法則の事象とするなら、証明のための論理、法則がそもそもないことにならないか?「いや、無論理、無法則だから証明不可能ということになるのだ」という意見が出るかもしれませんが、この主張自体、一つの論理なのだろうか?という疑問がまた起こるのです。これが論理とするなら、何の論理も持たない「偶然」がこの論理に従うこともないとならないだろうか?また、論理でないなら、これはただ主張しているだけ、言っているだけということにならないか?ということです。
「偶然」と「必然」の定義でも、ある種、パラドックス的な事柄がある。同じことを言い方を変えているだけかもしれませんが、「必然」には当然、論理性、法則性があるとなるでしょう。すると、「必然」は定義可能。そして、「偶然」は「必然」でない事象、と定義できる。ちょうど、無理数を有理数でない数、分数で表せない数と定義するように。そうすると、「偶然」は定義可能で、その意味で、「偶然」も従う論理があることにならないでしょうか?でも、「偶然」を論理性、法則性の「必然」でないこととしているなら、「偶然」が従うというか、属する論理があるのはおかしい…?
論理学や集合論の考え方を使って、例えば階梯理論とか、とにかく何でもいい、適当なルールを定めてやれば、回避可能なことかもしれませんが、厄介であることに変わりはないでしょうね。
果たして「偶然」事象はあるのか、ないのか?「偶然」などないとしたら?この世は全て、論理と法則の「必然」なのか?そうではないでしょうね。自然科学が明らかにしてきたように、この世界の根本には非決定性があるでしょう。では、やはり、「偶然」はある、となるのか?
いま一つのコメントにあるように、万難を排して、「偶然」はあり、「必然」と判別する閾値を設定できる定義ができたとしましょうか。しかし、そうすると、またまた、困難なことが起こるのです。
閾値をPとし、P以上では「必然」、より小だと「偶然」とする。しかし、そうすると、0.999Pは?さらに0.999…Pだとどうなるのか?限りなく「必然」に近い「偶然」?なんと!ここに極限の問題が登場する。(0.999…は、=1か→1なのか?)
理論上はともかく、現実問題として確率事象は離散値をとるからそんな心配は不要だという意見もあるでしょう。でも、本当に?
「偶然」は、そして「必然」もかもしれませんが、かように厄介な事柄なのです。いまや、”?”だらけです。
確率論の先駆者たちが、このことに気付いていたら(薄々勘付いていたのかも)、驚き、困惑したでしょう。「偶然」を科学するために研究を始めたのに「偶然」を仮にもせよ定義できない。いや、もっと、始末に悪い。定義できるとしてもできないとしても、論理性があるとしても、ないとしても妙なことが起こる。
そこで、採った方針は、「偶然」「必然」という言葉を使わないということ。頻度主義などで、何回中何回とか何個中何個とかいう評価に徹する。現代の公理的確率論に至っては確率という言葉こそ使っていても、その内容については何も言わない、ただルールに従って計算するのみ。
ひょっとすると、「偶然」も「必然」も人の勝手に拵え上げた感想、修飾語なのかもしれませんね。

A 回答 (6件)

> 「偶然」も「必然」も人の勝手に拵え上げた感想、修飾語なのかもしれませんね。



同意。
全ての用語は、定義して使うものです。
私の「必然」の定義は、
前回、前々回のこの質問に回答として書いてみました。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13654302.html
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13651454.html
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今は偶然と思えるモノも、時代が進み


科学が進歩すれば
法則性が発見されるかもしれません。

そうすれば、総てが必然になる
訳です。
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確率の比較で偶然必然と言うんじゃないの


ですか?
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自然事象から因果関係を見出し一般化するのが物理である。


どんなに発生確率の低い現象でも、AとBの間に因果関係があれば、それは物理の範疇である。
どんなに発生確率が高くても、AとBの間に因果関係がなければそれは物理の範疇ではない。

偶然とか必然とかは人間の感覚や認知の問題である。
つまり物理以外、人文学や社会学の範疇であり、これを物理の世界に持ち込み議論するのは無益である。
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マイナスのネジに六角レンチを持っていっても開けられることはあるけど大変ですよね。


スーパーのレジに微積分の機能しかついていなかったらほとんどの人は困ると思います。

たとえば約束の時間に遅れたのが事故による渋滞だったら偶然で、寝坊だったら必然みたいなもので言い訳のしかたとか変わってくるので、偶然も必然も概念として認識できた方が色々便利なような気がします。
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> 「偶然」も「必然」も人の勝手に拵え上げた…


そうであれば、個人の勝手は個人の数だけあるので、
「偶然」とか「必然」とかの区別さえが有りえなくなりますよ。

> 頻度主義などで、何回中何回とか何個中何個とかいう評価に…
> ただルールに従って計算するのみ。
これが、統計です。

先にも書いたように、
「偶然」を集めて統計し、相関性を見つけて発生確率を出し、
その確率が非常に高ければ「必然」になるのです。
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