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昭和天皇が東京裁判で戦犯として裁かれなかった理由としては、戦争を引き起こしたのが東条ら軍部の独走によるものであるから責任はない、という説と、マッカーサーが昭和天皇を戦後の混乱を避け戦後日本を植民地化する占領政策の一環として利用した、という2つの説が存在するようですが、私は前者には無理があるような気がします。

例えば企業が不祥事を起こせば、それが企業にとって大きなダメージを与えるものであればあるほどトップは引責辞任するのが当たり前です。三菱自動車しかり、西武グループしかり。日中戦争や太平洋戦争は日本にとって測り知れないダメージを与えたわけですし、旧憲法下では天皇に統帥権があったのですから、いくら軍部が独走したとはいえ責任がないとは言えないと思われるからです。

そこで消去法的に後者の方が説得力があるような気がしました。しかし、戦後の混乱がどうして昭和天皇を生かして利用することで防げるのかが分かりませんでした。天皇は現人神でなく人間だと宣言してみたところでどれほどの効果があるのか。そこで、このような仮説を立ててみました。マッカーサーは昭和天皇を溥儀のように利用しようとしたのではないか、と。つまり、満州国→占領下の日本、関東軍→占領軍、溥儀→昭和天皇と置き換えてみれば、植民地である日本に傀儡政権を樹立し、GHQや占領軍自らは昭和天皇をワンクッションとすることによって反乱や暴動の被害を直接受けずに済む。

しかし、これはあくまでも私の思考の産物に過ぎません。客観的な裏付けは存在するのでしょうか?

なお、この質問は回答者さんのご意見をきいているものではなく、あくまでも私の思考の産物を裏付けるか、否定し別の真実を発見することを目的としていますので、意見表明は断固お断り致します。

A 回答 (7件)

日暮吉延『東京裁判の国際関係』木鐸社、は、東京裁判の政治過程について実証的な研究を行なっている本ですが、この中で、連合国側がどのように天皇不起訴を決めたかが若干触れられています。



ちなみに、日本降伏後も、合衆国政府内では天皇起訴をめぐる議論が続いていたことが確認できます。また、連合国内でもオーストラリアは、天皇起訴について強硬なスタンスをとっていました。

また、占領政策全般については、五百旗頭真『米国の日本占領政策』中央公論社があります。こちらは東京裁判までフォローしていませんが、米政府がなぜ天皇の存続を認めるに至ったのかの経緯がわかります。

いずれも、米国の公文書などに基づいた研究ですので、信頼性は高いと思います。図書館などで御一読ください。
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この回答へのお礼

具体的に文献を挙げて頂き、大変感謝しています。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/26 15:04

補足です。


アメリカのワシントン市の国立公文書館です。
公開は国家機密に関するものもある為、公開しても差し支えないと考えられたものから逐次公開されますが、一部黒塗りなどがされたものもあります。

これらの閲覧の具体的手続きは良く知りませんが、アメリカ駐日大使館に問い合わせるのが一番でしょう。
目録も膨大でしょうからこれから文書番号など特定するのは容易ではありません。
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この回答へのお礼

わざわざ補足して頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/27 17:19

新聞の終戦特集等の記事で読んだ話ですが・・・



軍に寄生し戦争成り金になった男が、戦後GHQの幹部達を自腹で酒や女の接待漬けにしてマッカーサーとの道を作り、日本の統治には天皇の存在が不可欠だと直談判したそうです。
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開戦後既にアメリカは日本占領の事態を予想しその具体的方策を研究していました。


つまり日本の政治、経済、思想傾向などを分析知り尽くしていたのです。
この事実はアメリカ公文書館の公開文書で明らかになりつつあります。

マッカーサーは勿論占領軍最高司令官としてこれを参照したでしょうし、彼自身の哲学での判断をしていたと考えられます。
しの証拠が丸腰での厚木飛行場への第一歩で現れています。
関東地方を始め完全武装の日本軍は数十万存在していましたが、当時まだ神であった天皇からの降伏宣言と武装解除の命令が発されていたのにこれに軍部が反することはあり得ないと分析していたのです。
その後の推移をみればこの判断は正しい事が立証されたので天皇制の存続は日本の平和的な占領には必須の
条件との認識を新たにし、米国内の天皇処罰論を否定したのです。

天皇に対する信仰的な尊崇の念を利用されたといえばそれまでですが、溥儀のようにそのような権威も尊崇の念もなかった存在とは根本的に異なります。

これらの政策が全くテロのない占領を実現したのです。

この回答への補足

>この事実はアメリカ公文書館の公開文書で明らかになりつつあります。

それは具体的にはアメリカのどこの公文書館の、何と言う公開文書なのでしょうか?また、それはどうすれば民間人でありかつ外国人でもある私でも閲覧することができるのでしょうか?

補足日時:2005/07/26 21:28
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日本の占領政策がなぜ成功し、イラクがなぜ失敗したのか?


それは、日本の占領政策は国の原型はとどめ、問題のある所だけ変えるというスタンスだったからです。

終戦直後、帝国陸軍の連中は、昭和天皇を退位させ、陸軍に協力的な天皇(秩父宮?)を据えようとしました。226事件のようなものです。
昭和天皇は陸軍からは非常に嫌われてたのです。
それを察知した昭和天皇が、国のためにならないからと、マッカーサーに会いに行き、腹を割って話をしたようです。
そこで両者に信頼感が生まれ、その後の占領政策もスムーズに行われたようです。

日本の降伏の条件として、天皇制を残すことがありました。天皇を戦犯として殺すとアメリカが言っていたら、日本は道義的に降伏できていませんでした。
臣下が天皇のクビを差し出して降伏するなど出来ませんから。
日本が降伏した時点で昭和天皇を生命で償わせることはしないとなっていたと思います。

この回答への補足

>それを察知した昭和天皇が、…そこで両者に信頼感が生まれ、

つまり昭和天皇はマッカーサーに利用されたのではなく、自らの意思で陸軍を排除し連合国占領下の日本を統治しようとしたということですか?それには何らかの客観的な裏付けはあるのですか?

>戦犯として殺すと…降伏できていませんでした。

ポツダム宣言は「無条件降伏」、つまり国体護持に関しては何ら触れていない、というのが私の認識なのですが、これは誤っているということですか?

補足日時:2005/07/26 21:22
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アメリカの世論調査の結果が、当時のNYタイムズ、ワシントンポストなどに掲載されています。

それによると、(1)天皇の死刑、(2)天皇の永久収監、(3)天皇を裁判にかける、の3つの項目で、国民世論の95%以上を占めていたと思います。(実際の数字を提示できずに申し訳ない。)

国民世論を尊重するのであれば、天皇の戦争責任に何らかの答えを用意する必要がありました。したがって、天皇の戦争責任を問わないという選択肢は、占領政策の成功という目的がなくては説明できないと考えます。

また、アメリカ国務省の記録には、天皇に対する日本国民の崇拝を利用しない限り、日本の占領政策は失敗する、といった分析結果も残されています。

(ただし、こういう政策をとることが、マッカーサーの独断で行なわれたとは思えません。)

日本とイラクを比較すると、考えさせられるものがありますね。

この回答への補足

>アメリカ国務省の記録には、…といった分析結果も残されています。

ぜひその記録の実物を見たいのですが、どこで、どのようにすれば見ることができるのですか?

補足日時:2005/07/26 21:08
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傀儡政権ではなく、実効的に支配する体制をそのまま維持し、その上に占領軍を置いたのです。


これにより、占領軍に対する抵抗勢力が、なくなりました。
傀儡政権とは、実効支配力がないので「傀儡」なのですね。
何を客観的裏付けというのでしょうか。何らかの宣言、立法、文言が必要なのでしょうか。
客観的な史実としての占領体制の形が、十分な証拠ではないでしょうか。

この回答への補足

>何を客観的裏付けというのでしょうか。何らかの宣言、立法、文言が必要なのでしょうか。

例えば『マッカサー回顧録』のようなものや、学者が研究し発表した論文のようなもの、あるいは図書館(国内外を問いません)にある、当時の占領政策に関する公文書の類の意味です。舌足らずな質問の文章で申し訳ありませんでした。

補足日時:2005/07/25 13:07
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