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宗教が原因で世界中で戦争や人殺しやテロが勃発してます。でも、今生きている人の中で神様を実際いることを証明した人は誰もいません。なぜ、実態があるかもどうかもわからないものを人は信じるのでしょうか?宗教を信じる事に何か利益があるのですか?しかも個人的に信じるならまだしもそれが原因で人殺しが起きたり、政治に介入したり、教育や司法、あらゆる場に介入しています。
また、宗教をねたに詐欺や金儲けをしている人が大勢います。宗教って一体 何のためにあるんですか?信じている人はどうして信じるのでしょうか?
何か信じて利益になるんですか?

A 回答 (22件中1~10件)

こんにちは。


私も前の方と同様に思います。

神さまも仏様もキリスト様も結局は人の心の中に存在するのだと思います。

イエスキリストやゴータマシッタルダ(仏陀)も実在の人であったようですが、その後進達によって、実在の姿からかけ離れた姿で言い伝えられています。

教祖は人間でも死去すれば、弟子達によって神格化されてしまうのは、洋の東西によらないでしょう。

結局、宗教で信じているのは、教祖(始祖)ではなくて、神格化された教祖の姿なわけです。

その言葉なり戒めを信じて疑わずにやっていけば、迷う部分が大幅に減り、ストレスなども相当減らせます。
そういう意味で宗教は有益だと思います。

ただ、近頃はやけにお金を貢がないといけない宗教が多いですね。
私はそういうのは宗教だと思ってません。
人の悩みや弱みに付け込んだ詐欺だと思ってます。
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私たちは、形あるものだけを信じて生きているのではないのです。


そして、もし仮に形あるものだけを信じたとしても、あなたの望むような犯罪のない世界が出現するわけでもありません。それどころか、形あるものだけを信じれば、我々はもっと様々なものを疑わざるを得なくなる。
例えば、「酸素」は目に見えませんが、あなたは地上に「酸素」がないと思っていますか。では、何故「酸素」はあるとされているのでしょう。「酸素」がないとしたならば、我々が宇宙に行って死ぬのは何故でしょう。地上で火がつくのは何故なのでしょうか。「酸素」がないとしたら、それら以外の気体は存在するのでしょうか。
「愛」とはなんですか。「愛」は目に見えますか。行動によって、それを「愛」のある行動だということは言えますが、それ自体が「愛」ではありません。「愛」も大きく捉えて、宗教です。「道徳」これも宗教なんですよ。悪いことが起きないように、厄年になったら神社に行く。行ったからといって悪いことが起こらないとも限らないのに、我々は厄払いに行く。これも宗教です。人間は、形あるものだけを信じて生きているのではない。そして、形あるものだけを信じて生きていくのは不可能です。「愛」を信じないとしたら、「友情」を信じないとしたら、人間は人間関係を維持していけますか。形のないものを信じているからこそ、我々は生きていけるのです。そして、もっとも作為的に、そして主体的に人が形のないものを信じたもの、それが「宗教」です。人間は、自分たちが視認できることだけでは不満足で、自分たちが背負いきれないものを「宗教」に託しました。つまり、罪悪感や死生観など、坤輿で確認できないようなことは「宗教」に託したのです。ですから、ある一部の人々には、信心深くいることで保たれることもあるのです。「宗教」は人間に様々なものをもたらしました。我々に安らぎを与え、希望を持たせ、人間の力ではいかんともすることが出来ないことに解決の糸口を見出してくれた。その反面、利権や紛争、暴力、猜疑心なども我々にもたらしました。科学が発達して、物理主義・個人主義になった今、目に見えることだけを純粋に信じる無神論者(私もそうです)も増えつつあるのは、時代の趨勢です。ですが、「宗教」だけが悪だということは絶対にない。「宗教」を信じることが悪いことだとか、いいことだとか、そんな議論は全く的をはずれている。今現実社会に起こっていることは、「宗教」の功罪なのです。「宗教」だけが悪いわけでも良いわけでもない。

我々日本人は基本的に、汎神論者です。木や石や山、それぞれの自然物や概念、そんなものに八百万の神がいるといった考え方です。それに儒教的な考え、最近ではキリスト教的な考えもありますが、もっと雑然としており、宗教観念の低い国民性です。それはいいこともありますが、他国の宗教文化を理解するには、すごく苦労することもある。そして、無神論者というのも、世界には多くいるでしょう。例えあなたが何論者であったとしても、どの「宗教」が間違っているわけでもないし、人間が形のないものを信じることは悪いことでもなんでもない、テロや戦争が悲しい事実であったとしても、それをどこかに還元するのは、ましてや「宗教」に還元するのは早計だということです。「宗教は人をまやかして、不利益を生む、いかがわしいものだ」その考えが、戦争や差別、お互いの理解不全、衝突を生み出している原因でもあるのです。
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なぜ宗教を信じるのかは育った環境によると思います。

キリスト教のカトリックの国で生まれたらその瞬間からクリスチャンの運命ですし、イスラムの国でも子供のころからコーランでアラビア語を習うそうです。幼い頃から宗教に染まり他の世界との接触を遮断すれば、どんな宗教でもその世界がその人にとってすべてになるのだと思います。
宗教は強制的に信仰を押し付けてる面があるので信者が増えるものだと思います。もちろん勉強してその宗教に入る人もいます。
 
イスラム教徒のテロや、宗教関連の人殺し・戦争は宗教が原因であることは確かです。

同じ民族でも殺してしまう過激派の自爆テロは、昔モンゴルと戦った時にイスラム教徒が人質にされた際、イスラム教徒ごとモンゴル人殺してもしょうがないという考えがありましたが、過激派の言い分はこれだそうです。もちろん他のイスラム教徒はこの言い分を認めてません。

ほとんどの宗教関連の戦争・テロなどにおいて宗教はただの大義名分にしか過ぎません。根本的な原因はべつにあります。十字軍の遠征でも宗教戦争でもお金儲け、領土を広げる、その国・人と過去の戦争などで対立関係にあるなどが理由のほとんどでした。でもむなしいことに、ほとんどの人は大義名分を信じて戦争・テロに参加してきたのが現状です。
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私も同じ疑問を抱いております。


以前読んだ五木寛之氏の本に、宗教を求める人の気持ちは、『夜間の山中を
歩くようなもの。真っ暗闇を進むのは不安であるけど、遠くに町の灯を
見つけると安心できるもの。』というような事が書かれていて、一番ピンと
来ました。信じて安心できる人は幸せだなぁと思いました^^;
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国家がなぜ存在するのかとか政治はいったい何のためにあるのかという質問に似ています。


自然発生的に出現し、それが今も続いているだけのことです。
それを本当に疑問として問うているのならば愚問だし、むしろ「宗教なんか必要ない」「神なんか存在しない」という反語的な意味合いをより強く感じてしまいます。
宗教哲学はもともと科学と紙一重のもの、つまり物事の仕組みや道理を説明するためのもので、現代科学が発達する以前の時代には、はきと区別はつきませんでした。
実存する実体としての神の存在が段々と疑わしくなってきてからは、それを実体としてではなく概念的に考え、それを肯定付ける試みがなされるようになりました。例えば、物理学的な考察をする際にぶち当たってしまう「見えない力」とか、あるいは宇宙誕生以来連綿と続く物理現象一般にはたらいてきた力と考えるとか。
逆に神を実存と考え、その他この世の一切のものを様態と考えるとか。
まぁとにかく、神学にもいろんな考え方があるわけです。


>しかも個人的に信じるならまだしもそれが原因で人殺しが起きたり、政治に介入したり、教育や司法、あらゆる場に介入しています。
ひとつ断っておきたいのは、必ずしも宗教が原因であるわけでもないし、逆に紛争や殺人などを防止する働きもあるのだということ(e.g.ローマカトリック教会はキリスト教原理主義勢力や戦争に反対した。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、どの宗教でも殺人は禁じられている。たとえ宗教が存在しなくても殺す人は殺すし、争いを好む人は好む)。政治や司法、教育の場に介入してきたりするのも一部の宗教だけであって、それが宗教の全てではないこと(e.g.西欧のカトリック、トルコのイスラム穏健派のように、逆に頑固に政教分離にこだわる人もいる)。また、宗教的な戒律自体を生活の規範とする人たちもいて、その人たちにとっては社会的規範としても重要になる場合があるのだということ(e.g.国のレベルではイスラエルやイラン、そのほか地域のコミュニティーで)。

>宗教をねたに詐欺や金儲けをしている人が大勢います
やはりそれもそういう人たちばかりでは無いことを頭に入れておいて欲しいです。たいていの宗教では人を騙すことや盗むことを禁じているでしょう。逆に教理に背く人たちがそういうことをするんじゃない?
また宗教的な動機で慈善事業を行うなど社会のためになっていることもあります。

日本ではおそらく比較的新興宗教の勢力が強く、相対的に伝統宗教の力が他の国と比べて弱いのでみょうちきりんなカルトがはやったりして宗教のイメージ自体が悪くなってしまうのでしょうね。

宗教は西欧社会では現代科学や民主主義と共存してきており、偉大な科学者は殆ど漏れなく何らかの信仰を持っています(例えば一時期は魔女狩りや宗教裁判のようなこともあったが、それは協会側が間違っていたのだということ)。

神を信じている信じていないにかかわらず、キチガイはキチガイ、マヌケはマヌケ、鬼畜は鬼畜です。
仮に宗教がなくなったところで、いったい人間の本質の何が変わるのでしょうか?むしろ倫理としての宗教がなくなることによって退廃がよりいっそう進行するのでは?
神を信じているか信じていないかなんてそんな表面的なことではなく、その信じ方(対象が神でなくとも)が問題なのです。
例えば宗教でなくともインチキ健康食品とか民族差別とか、性犯罪とかいろいろあるでしょうに。

うんやはり宗教はその一部の害悪よりも社会的な規範や、戒め、救済手段としての働きのほうが強いと思いますよ。犯罪者の更生に使われるのは宗教だし、教会の神父様がカウンセラー代わりになったりしています。

なんか「数学はめんどいだけだしできなくても生きていけるから役に立たない」って言うのに似てますね。
たとえその人が数学を使わなくても世の中に役に立てている人が必ずどこかにいるわけだで。その人が数学が今も昔も社会にとって欠く事のできないものであり続けた事やその使い道を理解できないだけの話で実際に役に立たないわけではない。

肝臓の働きを頭で理解していなくても間違いなく肝臓はその人の中で働いている

なんかまとまらない回答ですみません。

でも言いたいことは大体言ったと思うので。
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心の平安のため、そして自分が変わっていく(人生に対して)


死んだ後、どこに行くのか?知りたいと思いませんか?

後詐欺や儲けている人たちは宗教を利用しているだけ
信仰と言う物差しと物欲という物差しがあり、上手に分けて都合よくしているのでしょう
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宗教は「死への回答」だと思います。

それが出発点でしたが、世の中のあらゆる質問に回答するうちに「教え」の内容が増えていったのだと思います。仏教は死ねばあの世にかえる。3大宗教は最後の日がきたときに信仰があれば神様or復活した預言者が天国に連れていってくれる。神道は死ねば土地神様になる。自分への利益といえば心への回答ですし、他人の利益でいえばお金もあるでしょう。
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>宗教が原因で世界中で戦争や人殺しやテロが勃発してます。



直接現因になっている事は少ない。宗教を利用している場合が多い。
宗教の理解不足により間違った判断をしている、という事は個人の責任によるところが多い。
>今生きている人の中で神様を実際いることを証明した人は誰もいません。なぜ、実態があるかもどうかもわからないものを人は信じるのでしょうか?宗教を信じる事に何か利益があるのですか

神がいないことを証明した人はいない。いないと信じているだけである。
あなたは愛を信じるか?形もないし、手にも取れない。目にも見えない。
長い人生、唯物的価値観だけでは行き詰る時が必ず来るので、あなたもいろいろ考える時がいつか来る、という事は指摘しておきます。
>個人的に信じるならまだしもそれが原因で人殺しが起きたり、政治に介入したり、教育や司法、あらゆる場に介入しています

無神論、唯物論の人のほうが圧倒的に犯罪を犯す確立が多い。
無神論、唯物論は人に知られる事がなければ、なんでもやる。
死後の世界、永遠の魂、自己責任、を信じたものは自制することができる。
よって、欧米では無宗教は野獣と同じであると、認識される場合が多い。

確かに宗教が乱れ、怪しい者たちが跋扈しています。宗教が偏見の目で見られる事はあるでしょう。ただ、宗教の乱れは真実の宗教が今、浄化しているところであります。巨大な太陽が闇夜を照らしている、まさにそのような
状況であります。

>信じている人はどうして信じるのでしょうか?
何か信じて利益になるんですか?

世界の半分近い人からすると(キリスト教徒)あなたはなぜ信じないのか?
なぜ?幸せになりたくないのか?  あなたが全く逆に感じるのです。
仏教国においても然り。
日本の半ば常識とされている事は、世界の非常識となる場合もあるという事
も知っていただきたい。
現代のマスコミのいう事を鵜呑みにしていると大変な事になるという事。
世界の偉人、賢人と言われる方を研究すればいろんなものが見える。
宗教が無ければ、こんなものでは済まなかった事が腑に落ちるはず。
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No.4です。



>宗教って何のためにあるんですか?

たとえば下に書きました様に、
「個々人それぞれが見えている範囲が異なりますので、それぞれが自分の見解が正しいと主張してばかりで、相手の見解を理解しようとしないなら喧嘩になりますよ」と、警鐘を鳴らすのが宗教の大きな役目の一つです。

誰も警鐘を鳴らさないならば、質問者さんの懸念されている、世界中で戦争や人殺しやテロが勃発したりという、無法地帯となるでしょう。
世の中が、そうした無法地帯となり、人々に苦しみが生じる危険性があるから、政治に介入したり、教育や司法、あらゆる場に介入して警告するのです。

介入する前提として、宗教者は、上記に挙げました様に、相手の見解を理解することを心がけなければならないでしょう。
つまり、相手を理解出来るだけの知識や知恵を習得している必要性があるのです。
ですが、相手を理解するに十分な知識や知恵の習得は、並大抵のことではありません。
ですので、自分には理解力不足の可能性があることを、いつも念頭に置いていて、理解力不足を感じた時には、謙虚に相手から教えを請う態度が必要となるでしょう。
現在の宗教界は、相手を理解しようとするために、知識の習得をしたり、教えを請うたりすることを、おろそかにしている感じがします。

>宗教をねたに詐欺や金儲けをしている人が大勢います。

そういう団体(所属している人も含めて)って、自分の利益だけを優先的に考えて行動してないですか?
そうした団体に対しては、ズバリ、「アナタのところは宗教などではない!」と言って批判して良いと思います。
ちゃんと批判するためには、相手を理解出来るだけの知識や知恵を習得している必要性がありますね。
そうでなければ、どこからも誰からも「正当な批判」だとは認めてもらえないでしょう。

私としては、質問者さんには、もう少し本物の宗教に触れて頂けることを願っています。
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アメリカ人の友達のお母さんの話。


「無宗教=無神教=マルクス主義」
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神様は「ザ・クリエーター」。この神様を信じない人は悪魔で、無神教の共産国は悪の帝国(オールドブッシュ)、悪の枢軸(ブッシュ)と呼び、絶対許さないと言ってます。
だから、無神教(無宗教)ではなく「仏教徒と言いなさい」と言ってました。ちなみにお盆になっても墓参りさえ行きませんが・・。
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