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こんにちは。
今問題となっている靖国問題に少し関連するのですが、質問してよろしいでしょうか。

僕の知り合いの言い分なのですが、
”私が靖国参拝に反対の理由は、東条英機が祀ってあるからだ。別に東京裁判が不当なのもであるという認識もあるし、彼をA級戦犯などとは一切思っていない。
けれども、彼は、日本の降伏を、彼ら軍人が遅らせたから原爆が2個も落とされたり、空襲にあったり、沖縄で地上戦があったんだ。だから参拝しない”

というのです。僕は、東条英機は終戦間際には、内閣総理大臣ではなかったし、(そのときは鈴木貫太郎内閣)降伏を遅らせたのは彼の責任なのか??と疑問に思いましたが反論できませんでした。

僕は、国会で彼を戦没者として全会一致で決議したし、彼を戦勝国と裁判で戦ってお亡くなりになった昭和戦没者として、祀るのは賛成なのですが・・・。

ここで皆さんに質問なのですが、彼、東条英機は日本の降伏の際の云々に関与しているのでしょうか??

A 回答 (8件)

Q「彼、東条英機は日本の降伏の際の云々に関与しているのでしょうか??」



A 関与していません。

東條内閣が昭和19年7月に総辞職し、東条英機は失脚しました。No3の方が言われるとおりです。その後、政治への影響力は失ったと見てよいでしょう。ポツダム宣言受諾を決めた御前会議のメンバーでもありません。昭和19年7月以降、昭和20年8月まで戦争が続き、この1年間で多大な戦争被害が生じたのは、東條氏の責任ではありません。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/gozennka …

戦争を始めること自体は、東條首相(開戦時)が主体的に決めたものではありません。「対米交渉が行き詰まり、一か八か戦争しよう」という「政府・軍部の総意」で開戦が決まったようなものです。ただし、当の東條氏は生前に「開戦を決めた時点の首相であった以上、開戦の責任者は自分。陛下と国民に対して万死に値する」と回想しています。

東條内閣が、総辞職に至るまで戦争早期終結に向けて動かなかったのは事実です。ただ、その後の各内閣も、早期降伏の決断をできずに昭和20年8月を迎えたわけですから、東條内閣と大差なかったと言えます。

私見では、昭和19年7月以降「短波放送を通じてアメリカに対する降伏を伝え、抵抗を止める。中国大陸の部隊と居留民は当面そのまま、順次撤退。国体護持についてはアメリカに委ねる」という形での戦争終結は可能だったと思います。

ただ、米ソ冷戦が始まる前で、「日本からすべての工業力を取り上げ、農業国に落とす」といった考え方がアメリカにあった時期ですので、その後の日本がどうなったかはなんとも分かりません。

ただし、本土空襲がなく、ソ連参戦による満州や樺太での民間人の悲劇もなく、フィリピン戦や沖縄戦での甚大な犠牲もなくなります。日本人の戦争被害はかなり少なくなったでしょう。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/26 03:43

降伏が遅れた責任が,東条英樹元首相にあるか,というと,そうとは断言できないと考えられます.



ただ,東条英樹元首相が,戦勝国と裁判で戦ったかという認識は,そうではないと私は考えます.彼は,連合国による逮捕の直前に銃を用いて自殺を図っています.彼に,裁判を受ける意思は無かったと考えるべきでしょう.
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/26 03:27

軍隊というのは、指揮系統によって動くものです。

東條大将は、内閣総理大臣を辞任すると同時に予備役に編入されたと記憶します。それ以降は、現役軍人に対して影響力を持ち得ません。政府の官職に就いていない以上、政治に対して影響力を行使することもできません。

東條氏については、wikipediaに要領よくまとめられていますので批判する方も一読してはいかがでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/26 03:28

皆さんがそれぞれご回答をしていますので、一つ別の側面からコメントさせていただきます。



靖国、A級戦犯、東京裁判、東条英機、などなど質問者はキーワードを多数並べています。

東条英機は、極東軍事裁判でA級戦犯、絞首刑になりました。が、日本国は彼を裁いていません。連合国(実質はアメリカ)が裁いたものです。日本国として誰も?A級だ、B級だ、C級だと刑を科したわけではありません。戦後数年後からは、軍人恩給などの支給を開始しています。

また、レーガン大統領の時、強制収容所に収容された日系アメリカ人に対し、謝罪と賠償を行いました。(1,980年の後半です)

さらに、ブッシュ大統領はロシアの戦勝60周年記念(対ドイツ)で、バルト諸国を訪問した際、バルト諸国のソ連併合を認めたヤルタ会談は間違いだったと演説しました。

一方、日本では、日本自身が、戦争責任の総括をしていません。総括とは、戦争責任の究明です。政治家もウヤムヤ、マスコミもうやむや、でいまだ総括はしていないのです。

彼我の違いはここにあります。「日の丸」掲揚問題も、「日の丸」の下、亡くなった300万に及ぶ兵士や数百万の民間人がいます。その身内の方が「日の丸」掲揚に嫌悪感を抱くのは誰も止めることができません。これは、総括しなかった日本の問題の一例です。

靖国の問題、中国や韓国との問題、謝罪の繰り返し、これらは「あの戦争の総括」をしていない日本の喉に突き刺さった「魚の小骨」です。

あの、ブッシュですら、ルーズベルトが参加したヤルタ会談を「間違いだった!」と総括したのです。 残念ながら、歴代の政権担当者(今の小泉さんを含め)は国としての総括には手を付けていません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/26 03:28

失脚したり退陣したら、関与していない、責任がないという考えがこの国を


駄目にしたと思います。

不祥事がばれると、経営トップが記者会見で頭を下げ辞任すればそれで一件落着。
60年経っても変わりません。
不明瞭な1億円授受に立ち会ったと被告が証言していても、政界引退すれば検察庁も
それ以上の追及を控える国です。

東条英機は退陣しても、後継者は東条英機達が選んだ人間達で、東条への批判者から選ばれた訳ではありません。批判者達はとっくの昔に東条たちの計らいで南方の
激戦地に回されて馬鹿な作戦(天皇の誕生日までにXXを占領せよとか)を与えられて皆戦死しています。

その後の政局にも軍部として充分に関与しています。
終戦反対を唱えて玉音盤をNHKから奪回しようとしたり、終戦論者の襲撃を企てた徹底交戦論将校達を東条がいさめた事実も有りません。

我が日本では悲しいかな、悪い事をしたり失敗をして辞めていく人間が後継者を選べる国なのです。
「死ねばみんな神様・仏様」、「罪を憎んで人を憎まず」の国民性でしょう。
 
これを何とかしないと、郵政民営化位では立て直せないでしょう。

私は、サイパン、硫黄島、沖縄、広島、長崎の一連の悲劇に東条英機の責任は大きいと思います。

退陣後も、いうなれば彼のやる事に反対しなかったかつての仲間・部下達ですから。国体維持と自分たちの失敗を国民から過小評価してもらうために終戦のタイミングを逸したのですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/26 03:29

簡単に述べますと、東条英機は終戦の前に”失脚”したと思っていいです。

日本の降伏には関係していないです。日本の降伏は1945年の4月あたりから天皇陛下の意思の下極秘に進行していましたが、その意向に沿う形で就任した鈴木首相は、結局何度も終戦を迎えるチャンスがあったにもかかわらず軍部の強硬路線を押さえることが出来ませんでした。その結果不必要とも言える原爆投下やソ連の参戦を招いてしまったというわけです。

あなたの友人のいうことは間違っているとは思えません。確かに軍部が台頭しすぎたことで日本は軍国主義に走ってしまった事実があります。また降伏が遅くなってしまったことも軍部の責任です。本来は軍部の頂点にいた昭和天皇が一言言えば軍部も収まっただろうと思われがちですが、狂信的な軍人は天皇陛下をも抹殺しかねない状態だったのです。これは当時陸軍大佐だった親戚から何度も小学生のときに聞かされた話です。

しかし東条英機元首相も戦争の犠牲者でしょう。違った時代に生まれていれば違う道を歩んでいたと思います。時代に翻弄され最後は処刑されてしまった、ある意味悲劇の人だと思いますよ。軍部出身であるがゆえにアジア諸国で日本兵が残虐行為をした(どこまで本当かは疑問ですけど)軍人の象徴たる意味でアメリカから目の敵にされて報復されたのだと思います。残念に思うことは旧日本兵の下級将校がジュネーブ条約を知らずに部下に捕虜を虐待させてしまったことです。そういう教育がなされていたなら、多くの日本兵がBC級戦犯で処刑されることもなく、連合国から野蛮人扱いもされなかったと思います。

靖国問題はA級戦犯が祀られているから問題になりますけど、軍国主義に煽られた軍人の悲劇を象徴していると思います。けっして日本だけの問題ではなく、日本をそのような道に進ませたアメリカや西欧列国の帝国主義にも責任があると思います。そういう国際情勢だから日本は間違った道を歩み、破滅に向かってしまったのでしょう。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/26 03:43

 このご質問は詳しく答えてくれる人が沢山いると思いますので、根気よく読む心の準備をして下さい(笑)



>東条英機は終戦間際には、内閣総理大臣ではなかったし、

 当時国会は、軍部に支配された大政翼賛会に
牛耳られていましたから、政治は軍の思いの
ままだったんです。
 降伏を決めたのは、天皇陛下を中心とした
御前会議で、東条英機はそのメンバーでした。

 御前会議は、表向きは天皇陛下を頂点とする
ものだったのですが、事実上の決定権は
無かったんです。

 当時の天皇陛下の記録が、裕仁天皇御崩御の後、
公開されました。それによると、陛下は
御自身及び皇族の軍部による暗殺を恐れて
いたんです。自分が死ねば、内部で後見者
争いが起き、最悪内戦になると陛下は心配
されていたようで、会議でも強気の発言が
できないでいたようです。

 太平洋戦争前の、226事件では軍部が
戦車で皇居を包囲し、占領し、皇宮警察を監禁。
そして政治家の暗殺を行ったわけですから、
天皇暗殺も充分考えられたんです。

 そして、その軍部のトップが東条英機
ですから。


>日本の降伏を、彼ら軍人が遅らせたから原爆が2個も落とされたり、

 空襲は必ずしも軍部の責任とも言えません。
なぜなら軍部内部でもウソの情報が飛び交って
いた事が戦後分かったからです。

 でも原爆投下は軍部の判断ミスです。
東京空襲の後で、ドイツも降伏して
おり、明らかに不利なのに、無条件
降伏を受け入れなかったんです。

 原爆が1度落とされた後にも、条件つき
回答を送り、それに対する回答が2度目の
原爆投下でした。
 落とされた爆弾が何であるか、軍部は
理解していたので、投下直後に現地に
調査団を派遣しています。
調査団は、ちゃんと放射能測定までやって
いるんです。

 そして、その軍部のトップが東条英機
なわけです(繰り返しになりますが)。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/26 03:43

回答ではないけど、


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D% …
が参考になるかなあ。

100%ではないけど、何割かは関係しているのではないでしょうか?どちらかというと、彼は、采配を誤ったというより無能だったというほうが真実に近い気がします。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/26 03:43

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