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#宝くじ当たっても働くことを辞めないってひとにお聞きしたい。

ナゼヒトハ、ハタラクノカ?

できれば専門用語とかなしで、わかりやすくお願いします。
哲学素人なので(^^;

A 回答 (13件中1~10件)

実際は働くのが楽しいと思える恵まれた人はほとんどいないでしょう。



しかし社会が稼動するために、労働に義務感を持つのは大切な事です。

貴方の(なぜ人は働くのか)の疑問の根底には、(なぜ人は平等に働かないのか)の疑問があるのではないですか。

肉体労働の人は何をしているのか分かり易いですが、知能労働をしている人は何をやっているのか分からない人が多いように思います。

社会に平等感があれば、労働が少々辛くても逆にそれを生きる活力に変える術を人は身につけているのではないでしょうか。

この回答への補足

tiger-ryujiさんの仰るとおりかもしれません。
ナゼヒトハハタラクノカ?と、ナゼワタシハタハラクノカ?
どちらの答えもなんとなくまとまりかけているのですが、
どうしても繋がらないんですよね。
当たり前のことなのかもしれませんが…

補足日時:2001/11/15 22:00
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一応、卒論で労働観について書いたので、少しだけ私見を述べたいと思います。


そもそも、労働とは本質的には人間の能力などを反映し、さらには自分をも創っていくものであると考えられます。
労働という行為は、本来、他者(人間、自然、物を問わず)にさまざまな形で能動的に働きかけることです。
つまり、自分の考えたように他者を作り変えていく行動なので、必ず働く側の姿や計画、意思の現実性も同時に表出されてしまいます。

「私はどんなものでも上手く作ってみせる」と言ったとしても、本当に何か作ってみなければそれはただのうぬぼれに過ぎないのです。
例えば、実際に彫像をしなければ自分の技術やセンスなどが表れてきません。弁護士が弁護活動をするときにはその人の法律・判例の知識や弁論術が如実に現れてくるでしょう。肉体労働にしても、やはり身体能力や職業訓練や経験の差がよく出てくるのではないでしょうか。サービス業でも、接客の態度にその人の社交性などが問題になるでしょう。
そうして現れた客観的な「もの」に対してヨリ能動的に働きかけようとすれば、自分を見つめなおし、自分を以前とは変えようとしなければなりません。
そこに自己変革と他者への変革の兆しが現われるのだと思います。
さらに言えば、「よりよい人間になりたい」という人間の重要な欲求を、精神的にも肉体的にも、そして現実的な生活の場でも可能にする性質を持っているのだと言えるのではないでしょうか。

ドイツ観念論哲学のヘーゲルの労働論(『精神現象学』より)をベースにして、「労働の原理」を提示すれば、このような説明ができるでしょう。

そのほかにも、エンゲルスは進化の過程の中で、労働が果たした役割(「手」の形成、脳の発達など)を論じていますし、
労働の忌避ということについては若い頃のマルクスが示した「疎外された労働」論もあります。
余裕があれば、こうした書物を一読することをお勧めします(特に前者)。

この回答への補足

専門家の方の(とは少し言いすぎでしょうか?)意見が聞けてとてもうれしいです。
この世に生まれてきた以上、ひとは自分の能力を試したくなる、
自分の生きた証を得るため人は働くと言い換えても良いのかな?
toshi-booさんがご自分の論文をできるだけわかりやすく噛み砕いて書いてくれたのだと
窺い知ることができてとても感謝いたします。
さらに、教えていただいた文献もぜひ一度読んでみたいと思います。
ありがとうございました。

補足日時:2001/11/15 21:39
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NO.9の者です。


妄想と感じられるかもしれませんが、一認識として話します。
現代社会人的な部分では、隠れた奴隷制により働きます。
これは、金を知るものによりそうさせられています。私たちとしては、現代社会ではお金がないと生きていけないように知らされています。そのように現代社会はつくられてきました。多くの人はだまされてきた、といっても、言い過ぎではありません(聞こえ悪くすみません)。人間の自己愛という所を引き出し、最大限に利用した巧妙な、作為ある行為です。
 例えば、普通は、お金を使う事に責任を感じない。「自分のお金をどう使おうが勝手だ。」と言ったNY市長もいます。強いアメリカを金で表現して見せたのでしょうか?不安な市民に支持されましたが。
お金を使うと、自分を含めた多くの奴隷を働かす事になります。新しい車でも買おうものなら、そのせいで20人は死ぬと思ってます。そのことに気がついてない。殺されるほうは使うほうに比べて理不尽な思いをしていることでしょう。自分がお金を使う事がどういうことか、お金を使って生きるということに責任を感じないと奴隷制からは抜け出せないです。命をかけてお金を使っているという事の認識が隠されています。命をムゲに扱わないと言うのなら、命をかけて金を使う生き様も否定はされないかもしれません。
 そして、その様な奴隷制から開放されたとしても、人は働かねばなりません。それは自然界を見てみれば分かります。しかしこのとき、自分が生き残るために働かなくてもいいのです。そのように躍起にならなくても人は十分に生き残ります。
今よりも身体的に安全な生活が送れます。このとき、到達すべき課題は、全体のために働くということです。自分を含めたすべてです。すべてのために進んで奴隷になるという意志です。我がままでないようにあることです。それは多様性が消えるということではありません。面白くなくなるわけでもないです。より身近に、より具体的なドラマを浴びることになります。人間のすべてが今よりよくなります。
     
    
 今、身近に言えることは、我々は「生き様を生きる」ということです。このことだけは伝わると僕は思います。

この回答への補足

度々、すみません。ご回答ありがとうございます。
caballeroさんはなかなか独特なお考えをもっておられるんですね。
まだまだ未熟な自分には理解ができない部分もあり、
すごくコメントし難いんですけど、
これもまたひとつの考えとして、一認識として受け入れたいと思います。

ただ、”奴隷”というフレーズに…
無性に拒否反応を示してしまうはなんでだろ?

補足日時:2001/11/15 17:30
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 こんにちは(*^-^*)



う~~ん・・。絶対働くだろうって思うけど、なぜだろう。

 働かないで、何するかっていったら、なに?買い物、旅行、勉強・・・。

 長い人生何もしないのもつまらないけど、好きなことだけしてるってのもつまらなくって、きっと、生産性のあることをやりたくなるからかな。

 あと、社会参加かな?働けば、やなこともあるかもしれないけど、知り合えないような人と知り合えたり、いろんな経験や、チャンスが増えていく。

 働くってことはそれだけで、ある意味、生産性があるのかも。

 好きなことばかりするのも楽しいかもしれないけど、つまんないんだよね。
 私は困難なことにチャレンジするのが好きなタイプで、すぐへこたれたり、泣きごと言ったりしながらも、チャレンジして、やり遂げるタイプ。だから働いてしまうのかも。働かなかったら、退廃的な人生を歩んでしまいそう。

 ただでさえ、ダラダラしたタイプだから・・・(*^-^*)

 想像してみて!!
すごいお金持ちで、自分の好きな遊園地を作れるとする。
それも経営っていう形で働くことだし、その遊園地でのイベントを考えたりするのも楽しい。それも仕事だよね。
そう考えると、旅行したり、買い物したりして過ごすより、ずっとエキサイティングじゃない?

 工房をもって、作品をつくって発表するのも楽しい。
 どこかの会社に入って、仕事して、なにかを達成するのも楽しい。共同の仕事をみんなでやり遂げることも、みんなでその後飲みに行ったり。

 基本的に、『仕事は楽しい!!』って思ってるから働くのかも。『楽しい!!』までいかなくても、得るものが多いからかも。その過程が苦しかったとしても。

 『働く』ってことは、『お金を得る』ってことに、限定されてるのかな?この場合。

 お金を得なくても『働く』ってあると思うけどその場合もこの質問にふくまれるのかな?

 社会参加する(働く)と、社会に対する発言権みたいなものも出来るよね。働かず、『今の世の中は~。』とか『日本の経済は~。』とかいっても説得力ないかもしれないしね。

 働くことで、世界が広がるからかも・・・。

 働かないって人は、働くってことにマイナスなイメージを持っているのかな?

私は働くことにはプラスのイメージがあるのだけれど・・・・。得るものは多いって思ってるし。(もちろん働いた経験ありです。)

はっきりとこれって理由はあるのかないのわからないけど・・・。

 でも、働く人生と働かない人生なら、働くことを選びたいな。誰の人生でもなく、自分が自分自身の人生を歩んでいくために。もしかしたら働くってことは人生の指標なのかも・・・。

 働く理由はいろいろ理由があるみたいで、まとめられない・・・。

 なんか、キレの悪い回答になってしまいました・・・。

 考えたらきりがないということで、このまとまりのない文章をお許しいただければ幸いです。(*^-^*)

この回答への補足

>このまとまりのない文章をお許しいただければ幸いです。(*^-^*)
とんでもないです。
専門的な単語を並べて、難しい論理を展開されるよりも
私には遥かにわかりやすかったです。 (^^;
latipesさんのお人柄が文章にも表れているようで親近感すら覚えてしまいました。
やはり働くことに対してよいイメージを持っている方の意見というのは
気持ちいいものですね。
なんだか元気を頂いた気がします。(別に悩んでいたわけじゃないけど)
ありがとうございました。

補足日時:2001/11/15 17:27
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隠れた奴隷制のようなものがしかれているように思います。

その奴隷制に気付かないから働くのです。

この回答への補足

奴隷制ですか?それはまたスリリングなお答えですね…(^^;
じゃあ我々は誰に”飼われている”のでしょうか?

補足日時:2001/11/14 14:54
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私は、宝くじ(一等)があたったら、私立の医科大学に裏口入学して、外科医になることが夢です(マジ)。


宝くじが当たって、遊んで暮らすことが楽しいかというと、そうではないとおもうんです。私たちが今、営んでいる生活の中で、努力して成果が得られて、それが他人(社会)から評価されることって、仕事の上でのことが多いと思うんです。そして、社会に対する影響も、仕事が一番大きいと思うし。
家庭も大切ですが、家庭って、努力次第で成果がでるものではないですよね。
(ちなみに私は結婚していて、フルタイムで働く女性です)

だから、自己満足(自己実現?)のためにも、社会のためにも働き続けます。


蛇足ですが、宝くじが当たると、どこでききつけたか、慈善団体や聞いたこともない親戚や、オンシンフツウの友人など、わらわらと集まってきて、いやな思いをするそうです。

この回答への補足

か、かっこいい。そんなお金の使い方…

自己満足と社会への貢献。
chillさんのご意見、とてもわかりやすかったです。
自分が今まで思っていたことに近くて。
私はまだ社会人ではありませんがきっと働くってそういうことなんだと思ってました。

でもこの春に就職をひかえて、ふとわが人生を振り返ってみたとき
そんな前向きな(表向きな)理由で今まで高校行って、大学行って、就職するのかな?
と疑問に思ったんです。
ほんとは一番下にも書いてあるようにもっと人間臭いって言うか
(社会からはみ出してしまう)恐怖心とか虚栄心が根底にあるのではないかと?
それを向上心や、探究心で自分をごまかしてるんじゃないかと。

でもきっと両方あるんだと、それが普通なんだと、今は思っています。
どうもありがとうございました。

補足日時:2001/11/13 21:30
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こんにちは、私はこんなふうに考えました。


働くという字は人偏(イ)に動く・・人が動くことが働くことなら、生きていること自体人は働いているんですね。
 例え寝ているときでさえも心臓は働いています。
そう、私が生きているために!(だけど心臓は私の為なんて考えてもいませんよね)結果わたしが生きている。
 生まれたときから人は働いているんですね。
宝くじがあたっても、当たらなくても、人は動かざるをえないと。だから働いているんだと考えました。
お金は生きることをつづける為のエネルギ-補給の一部だとおもうのです。
 上手く伝えられたかな--?

この回答への補足

斬新なご意見ですね。
働く=労働 と思ってましたけど
yottimamaさんのようにもっと広い意味で考えることもできるのですね。
参考になりました。

補足日時:2001/11/13 21:04
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こんなのがあります。

キリスト教プロテスタントな考え。
”仕事は神様が与えてくれたもの(=天職)”、つまり働けば(絶対的存在の)神様の意にそぐってるんです。神様による自己存在の肯定です。”なんでわたしは生まれてきたかしら?”の簡潔明瞭な回答なわけです。

宝くじあたっても働かなくなってしまったら”何でわたしは生まれてきたのかしら?”の答えがなくなって途方にくれちゃう人もいるのかも。

で、この考え、神様が神様でなくてもいいわけでは?

まぁ、私だったら”わーい神様が宝くじあててくれたー”ですけどね(笑)。

この回答への補足

なるほど”働く理由”はそのまま”生きる理由”につながるのですね。
なにやら難しくなってきました。(^^;
でもなんとなくわかる気もします。
宗教と哲学か~ 
もっと自分も勉強しないとダメですね。

ありがとうございました。

補足日時:2001/11/13 21:00
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私の場合。


・・・やめたらつまんないじゃん

 子供だったとき、あんなに楽しみにしてた夏休みが中盤はつまんなくなかったですか?
 学校で会う友達にもなかなか会えない。やることがなんとなくダラダラしてきて。同じ事なんじゃないかなぁ、と思います。

 今、専業主婦です。仕事したいなぁ・・・っておもいますよ。平和ですけど、生活に刺激がないとなんだかぼんやりしてきてしまいます。

この回答への補足

sanbiさんの
「労働は余暇のためのスパイスである」というお答え
私の周りでは以外にマジョリティーな意見です。
圧倒的に男性の中での話ですが…
変な意味じゃないです。気を悪くしたらごめんなさい。(/o\)
ただ、いろんな人に同じ事を聞いてみて
この問いに対する答えって
男女や世代、既婚か未婚か、子供有りか無しかなど
によってなにかしら傾向があるような気もします。

貴重な専業主婦さまのご意見ありがとうございました。

補足日時:2001/11/13 20:46
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哲学的ではないのですが、



1.自分の居場所を確保したい
  何かに自分のよりどころろなるところに所属したい。

2.人に認められたい
  尊敬するひとと同じように生きたい。
  自分も人に尊敬されるようになりたい。

3.自分の考えを実現したい。
  夢をかなえたい。
  社会に貢献したい。会社を変えたい。
  もっとお金が欲しい(?)

と言ったところでしょうか。

この回答への補足

己の存在価値を見出すため。
人に尊敬されたいっていう願望。
自己実現(成長)のため。
尽きることのない物欲(?)

storkさんのおっしゃるとおり、ほんとにこれらもひとつの答えですよね。
生活していくため以外に働く理由ってたくさんあるんですね。
自分の中にもそういうたくさんの理由がひとつになって
「働きたい」って思うんですかね?
ありがとうございました。(^^)

補足日時:2001/11/13 20:46
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