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NATOが作られた1950年代に東アジア共同体構想が勃発していたと聞きました。そしてそのことについてまとめなきゃいけないのですが資料がまったくありません。1950年代にそんな話があったのでしょうか?

A 回答 (2件)

東南アジア条約機構(The Southeast Asia TreatyOrganization/SEATO)のことと混同されていませんか?


オーストラリア、フランス、イギリス、ニュージーランド、パキスタン、フィリピン、タイおよびアメリカ合衆国によって1954年設立(NATOのアジア版です)1979年ころに歴史的使命?終えて、解体(詳しくは調べて、、年代は違うかもしれない)
1973年にパキスタンが、74年にフランスが、SEATOを脱退。 オーストラリアも関与減衰。1977年にSEATOは解散ですね。

東アジア共同体構想はこれらとは別に「大東亜共栄圏の復活の意味で」(日本の復古思潮)、「異なる体制でも共存の意味で」(後に首相になる宮沢/中曽根さんなどそうかな?)、「日本見習えの意味で」(マレーシアのマハティール首相)、1997年アジア通貨危機以後は中国を中軸とする「経済協力圏の意味で」、また「アジアには属さない」オーストラリアや米国が口出す口実として(^^)使われます。
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SEATO(東南アジア)やMETO(中東)など、NATOにならった西側軍事機構はいくつかありましたが東アジア共同体とは初耳です(略称はFEATO?)。



簡単に検索をかけてみましたが引っかかるのは最近唱えられている日中韓共同体にかかわるものばかりで、50年代と思しきものはありませんでした。

ただ、当時のアメリカがこうした構想を抱くことはありそうですが、参加国がアメリカ・日本・韓国・台湾になり、ご存知のとおり日韓関係の正常化は1965年までずれ込みましたから、どのみち成立の余地はなかったと思われます。
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