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なぜ日本では、西洋文明を取り入れるまで自然科学の発展をみなかったのでしょうか?

江戸以前の日本で、哲学的な事を研究をした人物はいたのでしょうか?

A 回答 (10件)

自然科学について、皆さんお答えなさっているわけですが、補足です。

結論は最後に書いてあります。

日本もそれなりに細々とですが、自然科学や教育、仏教や儒学を含めた思想の研究はありました。
経済活動を行っている以上、経済学もありましたし、測量するための測量学、数学もありました。

そうではなければ、どうやってお城ができるのでしょうか?お城は適当に石を組んだわけでもなく、綿密な計算の基で作られているわけです。
簡単にいえば、あなたがもしも何の知識も無く、家を作れと言われて感覚だけで木を切ったり、組み合わせたりできると思いますか?
つまり、その程度の知識はあり、そこから発展した学問はあったわけです。

ただし、こういうことをもって日本を賛美するつもりはありません。
結局のところ、日本は蒸気機関を発明することはありませんでしたし、太陰暦や太陽暦のために、天体を正確に観測することはあっても重力には気づきませんでした。
つまり、今の科学につながるような発見は独自には行えなかったのです。
それには理由があります。
西洋で科学が発展していくルネサンス以降というのは、日本では江戸時代にあたります。江戸時代というのは観念的にとても保守的な農耕社会でした。
つまり、体制側は変革を絶対に好まないため、体制を強化するような技術(生産力向上のための農学等)は奨励しますが、体制を変化させるような技術(殺傷力向上につながるような武器の研究、大型船の開発等)は禁止します。
おそらく、日本で蒸気機関を開発した人(Aという名前)がいても、彼がそれを利用して自動機織機を作ったとしても、潰されるでしょう。理由はAの機械のせいで、機織は大量に生産されるようになり、機織の値段はさがり、機織業界が混乱するからです。その混乱は新たな発展を生み出すかもしれませんが、それよりも安定を望むのが江戸時代という時代でした。
つまり、新たな技術が発見されたとしても、実験に費やす風土が全く無いのが江戸時代です。これでは、日本が世界をリードする科学技術大国になる可能性も少ないでしょう。
また、鎖国のせいで、技術を常に開発続けなくても安定した国家を作れたということもあります。西洋は大航海時代以降、諸国との戦争や植民地支配のために拡大を続けます。そのためにも常に効率の良い「方法」を生み出していく必要があるために科学技術が重要だったという背景を忘れてはなりません。

日本は黒船来航以降の、西洋技術の大きさを目の当たりにして動揺します。従来の安定志向では諸外国からの脅威に対応できないという事がわかったからです。
そこで、日本全体がとった政策は、新たに自分たちで技術を開発するのではなく、とりあえず、ぱくってみて、勉強してみて、それを改良するという方向でした。
逆説的にいうと、すぐにぱくって自分たちで作れるぐらいの基礎技術は日本にもあったわけです。
それは和洋折衷というよりも、西洋科学を自分たちの言葉で置き換えていく作業でした。そのため、ここで日本の独自性は消えてなくなってしまうのです。

結論を言うと、日本にも独自の自然科学はありましたが、それは今の自然科学と直結していないというだけの事です。
今に直結してないからといって、短絡的に「無かった」と考えてはいけないんだろうと思います。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
今の自然科学とは直結していない独自の自然科学はあったのですね。
地図の作成や天体観測は出来ても自然法則や定理の発見には至らなかったというのは象徴的ですね。

お礼日時:2005/11/03 17:41

#8です。

補足させてください。
論語、論語と述べましたが、これを含めたもの、漢学とか言われますがこの辺りの学問については、日本人が自分たちに合う様に研究をし、積み重ねて発展させた要素が、非常に強いと言われているものです。
「ナーンダ、結局中国文化じゃんか」と思うのは短絡的過ぎるかもしれません。
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この回答へのお礼

良い意味で修正して、積み重ねて自分達のモノにしてきたのでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/03 16:59

#7です。

昔哲学的なことをほんの少しかじったことがあったのを思い出しました。しかしあくまでも私見です。

江戸以前とありますが、江戸時代も含むのでしょうか。もう皆さんがたくさんのアドバイス・ご回答を寄せられていますが江戸の学問は有名ですよね。

日本におけるいわゆる貴族社会の文化における哲学・・哲学?がどうかはわかりませんがね。わたしゃ学校で、このころの貴族は、暇を持て余したために言葉で遊んだみたいなことを習いましたが。しかし一方で、日本人はかつての日本語を誤って伝えているのではないか、という文章も読んだことが有ります。しらべればすぐに出てくると思いますがそんなこと研究したら時間が大変にかかると思います。興味尽きませんね。

それ以前には、日本には論語と、千文字が伝わるまでは文字はつかえなかった、とか習いましたが・・。

先に述べた貴族文化についてはなんだか堕落した人たちにも見えますよね。絵巻物を見てもあんなに太ってるし・・。反面、庶民はどんな思いをしていたのか?同様に裕福だったんですかねェ。今の庶民から見れば、どんな哲学だったの?とか聞いてみたくなりますがそれは正しい専門家に聞いてください。学ぶ価値はあるはずです。

それ以降は、新興(武家)階層が、宗教家に教えを受けて、今で言う修身のようなこと(今や過去のことか^^;)をやったのではないでしょうか。封建社会は長所があり、それを生かすには哲学は必要だったと思います。強靭ですよ。封建なんて言うと暗そうですが、先人が必死にやってくれたことなのです。これも研究すると、実になるんでしょうね。

論語などはいまでも人気があるとは思いますよ。
それに、道元(鎌倉時代かな)ですね。エジョウ禅師とか聞いたことありませんか?剣禅一如とか、人気有るんじゃないかと思います。これら禅は外国映画でもよく耳にすると思いますが、洋の東西も、時代も超えた、人生の深い深い哲理であって、自慢できるものですよ。西洋人だって知っているご様子なので。サムライとかにワクワクしてますよね、その根底にはその辺の哲学があると思うんです。日本人も知っとくと良いかもですね。・・というか調べましょう。

外国の哲学を学んだ立派な先生が、老年になり、日本の哲学に触れて、こんな良いものがあったのかと悔しがるなんて話を伺ったことがあります。それは立派な先生は謙虚でいらっしゃるからですけれど、案外、本心かもです。

あくまで私見ですが・・。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。
「禅」ですか。日本人より外国人の方がそういったものを魅力的に思えるのでしょうか。もとい、私は禅とは何たるか知らないだけでした(^^)
もっといろんな事を知っていきたいです。

お礼日時:2005/11/03 16:57

私は不勉強ですので私見を述べさせてください。

ただしフツーの社会人から見た場合の、自然科学の発展についての質問についてのみ・・。
西洋における学問の中心地的存在?・・大学、これは私学ですが、かつて宗教から独立するために苦心した経緯は高校でも習いました。それらが、独立して今も尚、存続しているところは意義深いことですよね。
日本においての学問の本山は、寺院だったのでは?(足利学校もあったけど・・)

昔の日本刀の銘に、広島県の山中にかつてあった、寺でつくられたとある物を見たことがあります。寺といっても、比叡山や高野山のような、山の中にたくさんの房をかかえるような。学問はまず、実践する人々がいるジャンルに作られるものだと思うので、それなりに研究はされていたと思います。現在でも、学者にも負けない技術・研究者は企業内にもいますよね。江戸末期~明治以降の近代化にもなんとかついて行けたことは奇跡ではなく、土壌があったからだと思うんですが・・。

国語の普及、と言うかより統一された中央政権が確立されるまでは、現在の国立大学などでおこなわれている一派がその形で歴史上日の目を見る機会はまずあまり無いですよね。政体の変遷による影響が大きいですし、歴史的な経緯で、破棄されたものも多いとは思いますが・・。当たり前ですが後進が先人の苦労・偉業・功績を称えないことにはいわゆる学門は形になりづらいと思うんですよね。

そう考えると、西洋文明を取り入れて自然科学が発展の日の目を見た、というよりも、産業の近代化の波に遅れて、学問と言うより学門は語り始めるんではないでしょうか。
当たり前ですが産業がおこり見込みがあると思われた時点で、誰かが投資を行い学校が出来る。学校の学者さんのえらいところは、記述して残して、師弟制度で後に残すところですかね。いわゆる学問は、内容的に古典が多いですからね。こと自然科学における先端研究はそれのみでは存在することは難しいですし。おまけに直接生産に従事しない彼ら(自然科学や応用物理)は、資金難に見まわれやすいのではないでしょうか?それはつまり、より多く紙を使うことにつながったんじゃないですかね。すると当前、記録は後世に残りやすいですよね。
いつか日本でも、もうちょっと余裕が生まれたら、歴史家かなんかがかつての業績を調査して、書物にして出版してくれるかもしれないですね。そのためには現役の社会が、それなりに成功を収める必要があるとは思いますが。勝者のみが歴史に名を残しがちですので・・。最近はオンリーワンも可になる感じもありますが・・。
それにもうひとつ、行政も、外国語教育を重要視してくれていますが、それで自然科学教育や勉強もより国際的になりますよね。我々は、その点に関して、この国のエライ人に感謝しても良いかもしれませんね。地理的不利な日本人なんですから。お隣に東洋各国、・・もう一方はアメリカなんですから。
しかし本当に私見ですので。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
とても興味深く拝見させて頂きました。
自分でもいろいろ考えてみたいと思います。

お礼日時:2005/11/03 16:47

自然科学の発展など無いですね。

内戦は数多くありました。汚い真似はありましたが、多くはやおろずの神にお伺い、または仏教の諸天善神にお伺いする神頼み、これを骨子として営んできました。よく言えば「善良」だったのです。各地における祭り事はすべて泰正、豊穣のものでした。政権者・大名が庶民(百姓)のことなど構っていないのが真実の理由です。

科学、技術に関するものは全て、東洋、西洋からの刺激からです。独自のものはひとつとしてありません。

バカには認められない、認めがたいものです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
独自のものが1つもないというのは少し言い過ぎかもしれませんが、やはり同時代の西洋と比べると少し酷な面もあるのだとは思います。

お礼日時:2005/11/02 21:00

こんばんは


仏教社会とキリスト教社会の違いがあるのでしょうかねぇ。たとえば資本主義の発達におけるカルヴァンの『予定説』のようなものが、西洋科学発展の背景にあるのでしょうか?

他の回答者さんも書いておられますが、(江戸時代に限って言うならば)、
数学では1674年に関孝和が『発微算法』を著しています。これはニュートンやライプニッツとほぼ同時期にあたり、日本が誇るべき発見です。

ほかに、江戸時代は農業社会ですから農学や、本草学(薬草の研究)を通じて植物学もかなり進んでいました。

また自然科学ではありませんが、安藤昌益という人物は、1753年『自然真営道』において身分制・階級社会を否定し、万人平等の社会の創造を唱えました。これは、マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』に先だつこと100年、ということになります。
哲学の分野では、国学の祖、本居宣長でしょうか。その後の『源氏物語』の研究は、ほぼ彼の研究をベースに発展していきます。

西洋科学とは異なるアプローチで、日本人は日本人として自然科学・社会科学を探求していました。これらの知性と、寺子屋を通した庶民教育の普及(世界のどこでもやっていない、と思います)が、幕末混乱期の植民地化の危機を乗り切り、明治の発展につながる要因の一つであったといえます。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
植物学の研究も進んでいたのですね。品種改良なども行われていたのでしょうか。

お礼日時:2005/11/02 00:56

自然科学については既に皆さんが回答なさっているので省略。



江戸時代の哲学といえば、仏教(禅宗など)よりも儒学の流れを汲む陽明学又は朱子学ということになるかと思います。これらはキリスト教神学から分かれた西洋哲学とは異なりますが、哲学の一部と考えて良いと思います。
参考に、↓にウィキのページを張っておきます。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
朱子学や陽明学も哲学の一部なのですね。

お礼日時:2005/11/01 01:23

自然科学については知りませんが、哲学的研究といえば、宗教家に多くの人材がいました。


空海、最澄を始め禅宗の僧などはそれに属するのでは。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
宗教家が哲学をしていたのですか。
西洋的な哲学とは違ったものがあったのでしょうか。

お礼日時:2005/11/01 01:21

自然科学が発達していないということはありません。


数学については和算でそのころの西洋の数学に匹敵するものがありましたが、静養数学の導入とともにわすれられてしまっただけです。
また、天文学についても暦をつくるために精密な観測がされており、太陽太陰暦としてはほぼ完成状態に達しており日食や月食も事前にわかっていましたし、箒星の観測などもされていました。
また、吉宗が自然科学に興味を持っていたので動植物などの分布の調査も全国的にされていました。
哲学については、仏教の中で仏教思想にもとづいて研究されることはありましたが、元来そういう思考はあまりとくいではないためかあまり発達はしていないと思います。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
天文学も精密な観測がなされていたのですね。

哲学は得意ではないのですね。
宗教が一神教でなく、何でも神様になりうる風土も関係あるのでしょうか。

お礼日時:2005/11/01 01:19

それは偏見だと思いますよ・・。


エレキテルの平賀源内
日本全図の伊能忠敬
茶運び人形のからくりぎえもんw
など、
江戸時代から自然科学の分野で高い業績を上げている人たちはいました。あと数学。
哲学については、「哲学」という分野自体が明治以降の欧米の文物の輸入によって成り立っていますので(西アマネかだれかがphilosophyを哲学と訳した)、いわゆる講学的な哲学研究に関しては舶来ものの研究からのスタートを余儀なくされた節がありますが、人生や森羅万象の理を追求するということを広く「哲学」と考えれば、太古の昔からたくさんのすぐれた哲学者が日本にはいました。
本居とかね・・。賛否は別にして。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
すみません。私は主に物理学・化学・農学・医学などの理学や医学生理学系の自然科学を想定していました。法則や定理の発見、品種改良など。
説明不測ですみません。
工学・数学は数学が趣味の大名もいたみたいですし、ある程度発展していたという事でしょうか。

広い意味での哲学者はたくさん優れた人がいたのですね。

お礼日時:2005/10/30 23:06

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