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こんにちは。

私は、心理学を勉強しています。

最近気になるのがニートの方を批判する人が、もう本当に多いことです。
社会のクズ、お荷物……なんていわれているのを見ると悲しくなります。

私は学校でニートについて勉強してみましたが
「親のスネを齧っていればいいから」という理由だけでニートになった人は、殆どいない様です。
社会に見放されて、人間関係がうまくいかなくて。
どちらかというと恐怖がある様に思います。

また、鬱などになっている人が多い様に思えるんです。
近代では、特に勤勉を良しとする日本人は、鬱の患者さんを貶し続けてきました。
最近では、少しずつ理解がありますが、未だに只の怠けや根性がない人間だと思われているところもあります。「死にたいといっている人は自殺しない」とか「リスカを繰り返す人は自殺しない」とかいう根拠のない話しもまかり通ってしまっています。

「家にいさせるからニートになるんだ。独り立ちさせろ」という意見もありますが、本当にそれは有効なのでしょうか。
必死に助けを呼んでいる人間を崖に突き落とす行為に思えます。(例えば最初から力のある虎を崖に落とせばあがってこられる子供も多いでしょうけれど、ネコを落としたら、あがってくる子供は少ないはずです)
家族に見捨てられ、なお更「自分は必要ない」と思ってしまうのではないかと思います。

「ニートを独り立ちさせるために家を出す」この行為は正しいのでしょうか。

A 回答 (42件中31~40件)

 こんばんは、うつ病持ちの有職者として回答を一つ。


 有職者とて、ときたま朝起きた時に「欠勤したい」という邪念というか病魔が襲ってくるんですけどね。でも「自活するために働かねば」という気持ちで可能な限り病魔をねじ伏せてます。生活資金が尽きることに危機感を覚えるようになればおのずと働く必要性に目覚めるという点では、「ニートを独り立ちさせるために家を出す」効果に一理はあるとは思います。
 しかし、事が単純でないことは他の方が仰る通りです。家を出したところで定職につくというのは結果の一つに過ぎない。なかなか職にありつけず世間に背を向けたくなった時、心の支えになるのは結局家族じゃないんですかねぇ。「ニートを独り立ちさせるために家を出す」は、それを放棄する親の証言とも見て取れます。親失格です。
 いずれ子供は親を介護し、新たな家族を養う立場になります。そういう「家族」という現実に目を背ける子供(を持つ親含む)に対して投げかける言葉として、適切ではないとボクは思います。

 お読みいただきありがとうございました。
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ニートは、お金もないし、社会的な安定、保障などもありません。


そのようなリスクを採って、ニートが得たのは時間です。
切り刻まれていない純粋な時間。
そこに、新たな生き方の希望を見出すことはできないでしょうか?
社会不適応者が、何故不適応という資格で以って、ニートになるのか。
多くの社会人は、社会人としてはまともです。
しかし、自然人としてはどうでしょう?
現代社会の不合理、自然破壊、非平和、諍い、そのようなものの一切を容認して業を受け、社会人としてまともです、ニートとは違います、と、言ってみても、説得力が無い。
ニートと社会人は、同類です。
ほんとのニートなら、出家でもしているのではないですか?
 
ニート存在は、現代社会に必要なファクターを如実に表しています。
時間を区切って有効に使おうという発想から抜けれない現代社会に、時の流れ、時間を使うのではなく、時間を生きる、時間である、という観点をもたらすことができるのは、ニートの表現する時間ではないですか?
ニートはニートでいいのです。現代社会に必要とされているから、ニートなんです。
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久しぶりに来てみましたが相変わらず甘ったるい意見が散見されますね。

この質問を投げてはみたものの手におえなくなってホウホウの体で逃げ出したらしい質問者にふさわしい甘さ!

ニートってコトバは日本では本来の意味とは違うところで一人歩きしてるらしいですね(例えば30代の大のオトナも含めてしまってるとか)。

私は自分も、いろんな事情から、そういう状態にいたことがあるので恐らく、これが一番の理由だろうと睨んでいますが要するに
気が小さい
のです。だから、やる前から、すくみあがってしまったり一度失敗したらガタガタヘナヘナになる。詰まりは「打たれ弱い」ってことでしょう。

私個人は障害を持っているので(しかもコミュニケーションに重大な影響がある)、そのために社会に出るのが恐かったですし、その障害のために実際何度も失敗しては健常者たちに嘲笑され自信を失ってきました。そして親元にいた頃は親の懐を当てにして引きこもりを繰り返しました。

しかし実際、自活を始めたら(親がイヤでしたので)恐いだの失敗したからといって引き返すわけにはいかないのです。
いかな理由があろうと最終的に自分の人生ですからね。

ニートさせてもらえるって弱い立場なんですかね?当てにできる誰かがいるってことなんでしょうが。でも年齢を重ねるごとに、いずれは誰もいなくなる。その恐ろしさ、本人自身が一番感じているはずだと思うんですが。

誰だって知らない慣れない世界に飛び込んでいくのは恐い、失敗したら隠れたくなる、できれば養ってもらってラクしたい、誰だってそうですよ!

でも少なくとも五体満足これといって病気や障害抱えてるわけでない、他の人たちと、まずまず同じ条件で生かしてもらってる、そういう者に同情する気は私はサラサラありません!
もっと他に気の毒な、何の救済もなく力尽きて消えて行く者がゴマンとおりますわ!

私、毎朝、通勤の途中によく見かけるかたで半身が御不自由なのか体を、それこそ引きずるようにして満員電車から出て地下鉄のなが~い階段を上がり歩いて行かれる後姿を見かけます。そうして社会人としての務めを果たしておられるのですね。

以前は別の場所で、やはり足の不自由なかたが通勤途中の人ごみに押されて、まともに転び、なかなか起き上がれないで苦悶しているのを見たことがあります。私も、その時、遅刻寸前で焦っていて手を貸すことができなかった。誰一人足を止めることなく通り過ぎて行った。私は職場についてから、こっそり泣きました。情けなくて。

こんな世のなか、良いわけがない!何か間違ってる!でも実際、心身不自由な者が必死に働いて納めた税金、体力有り余ってる小心で怠け者の健常者連中のために何十億も使われるのかと思うと腹立ちますよ!!

雇用の創設、促進、労働形態の改善、やらなきゃならないことは、たくさんあります。でも時間が有り余ってる彼ら、ウェブだのゲームだの愚痴こぼしのためのブログ作りに夢中になって「社会がおかしいから。。。」なんて言ってるだけなら私は認めません。

親だってニートを助長している部分が何らかあるはずです。親自身が原因の一端なら荒療治ですけど引き離して家を出すことも決して悪い事だとは思いません。
問題は、そのあと、「受け皿」をどうするかということなのだと思います。
少なくとも30代の自称ニートなんて親にだってどうすることもできませんよ。

御質問者始め諸回答者がた、いま産経新聞でニート問題をシリーズで連載しています。読まれてみることをお勧めします。
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有効であると考えます。

自分の友人もニートですが、自分の意見を言わせてもらえば、甘ったれの世間知らずです。友人は理由あってニートになったのですが、その理由は当人にとってはかわいそうな出来事なのですが、本人の気力次第で改善される内容です。友人は勉強が出来ず、5流の学歴で、恋人もいませんし、容姿もモテるわけではありません。ですが、昔は少なくともまともな考えでした。しかしニート生活が何年も続くと、常識や考え方などにズレが生じているのがよくわかります。最近自分に対して、失礼のレベルではすまされない、絶交と言いたいぐらいの最低な発言をされました。専門家ではないので、ニートのすべてが悪い!とは言いにくいですが、正直ニートはダメ人間だと思います。世間を知らないから、やっていいこととだめなことの区別がつかなくなってきているのです。質問者さんのおっしゃる、崖に突き落とす、という表現ですが、落としてやらないとわからないぐらい腐りきっているニートもいます。「例え」が言葉の表現であるのはわかりますが、人間はそんな簡単に死ねない生き物だと思います。死ねないからダラダラとニートをやっているのです。人間は動物以上にたくさんの能力があるわけですから、はい上がる術は持っているのです。はい上がれる実力はその人次第ですが。自分は必要ない、と思ってしまう前に、必要である存在を探さなければ前に進みません。家を出すのは、世間を知る為の最初のアクションです。世間を知るということは、生きる事を学んでいかなければならないということです。ニートでない人だって、かなり辛い事に耐えています。自分も精神的にかなり弱い人間ですが、病院に通わず、なんとかしてこの痛みに克ってやる!と必死な者です。無気力なニートをはっきり言って自分は見下しています。無気力なニートに非常識な行為を受ける周りの者は非常に迷惑です。「普通」になるために外に出しましょう!と提言します!
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自分も谷に突き落とすことに対して大変有効であると思います。

自分はニートではありませんでしたが、それに近い物だったように思います。そしてニート(精神的に不安定で)だった人を見て解決した人の多くは、逃げ場を失くした人でした。

多くの精神的問題を抱えて解決できない人ってのは、問題に向きあう勇気がないから、解決できない、進まないという物なんです。向き合いたくても恐怖で向き合えないという物が多いんです。

しかし、それが住む所がない、食べ物もない、お金もないとなるとその恐怖を超える生への執着が生まれ、問題に立ち向かえるようになるんです。簡単に言えば、腹に背は変えられないといった所でしょうか。問題に向かい合うことは怖いけど、そんなことを言っていたら死んでしまう。どんな難題でもこなさないといけないという状況に置かれて、恐怖や悪条件を物ともせず立ち向かう意思が生まれ、行動に繋がるのです。そして向かい合うことにより恐怖心が消えるのです。


質問者の意見ですが、正直、経験のない者の安直な意見だと思いました。

ニートになる大半の人が、逃げ場があるから立ち向かわない、立ち向かおうとは思えないという状況なんです。だから、今のままでは立ち向かえない人を、立ち向かわなければならないようにするってのは必要だと思います。

ニートってのはネコじゃありません。上がってくる力がないのではなく、今まで問題に向かい合うことをしてこなかっただけです。解決する力がないんじゃなくて、向かい合わなかっただけです。(恐怖で向かい合えないと言う場合が大半ですが)


ただしそういう経験の人に言いたいのは、ニート(働けない人)が甘ったれという訳ではないということです。確かに周りから見れば、逃げているだけに見えますが、恐怖心が強すぎて、どうにも行動できなくなるということがあるのです。ライオンが目の前に現れたら、あなたは死の恐怖で足がすくんでしまうでしょう。今までの環境や行動で、周りの人から見ればくだらないことが、足もすくんでしまう様な恐怖になってしまう人もいるってことを理解してほしいのです。


貴方の意見はまだ視野が狭いように思います。弱ければ、守ってやるってのは半分正解で半分間違いです。守られているから転んでも立ち直れなくなるほど弱くなる、強くなれないってことも新しい考えとして受け入れて、視野を広く持ってもらいたいと思います。
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いちニートの意見として言わせてもらうと



正しいとは思いませんが、間違ってるとも思いません。

>。「死にたいといっている人は自殺しない」とか「リスカを繰り返す人は自殺しない」とかいう根拠のない話しもまかり通ってしまっています。

これは半分当たってると思います。
実際僕も自殺しようと何度も飛び降りようとしたけどあと一歩踏み出せなかったですし、「死にたい」って言って現状が改善されるのを待ってる、どこか心の奥で誰かが守ってくれると思ってるってのはあるでしょうね。

>家族に見捨てられ、なお更「自分は必要ない」と思ってしまうのではないかと思います。


自分は必要ないって思ってるニートがどれだけいるかですね。
多分ですけど多くはないと思います。
楽だからとか新しい事を始めるのが怖いとかが多いと思います。

>「ニートを独り立ちさせるために家を出す」この行為は正しいのでしょうか。

人それぞれですね。効果がある人もいれば、死んじゃう人もいるんじゃないですか?
家に居るから生きてるんであって生きていけなくなったら死を選ぶ人もいるでしょうね。
どっちにしても決心は与えれるんじゃないですか?死ぬ決心か立ち直る決心か。

結局ニートってのは周りから何か言われたり何かされても、自分で思い立たなきゃ何もしない、できないと思いますよ。
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no5様の


>>現実を知って怖くなった
という話、とても参考になりました。

さて私自身の意見ですが、皆さんの話を聞いていて私はニートに関して全く無知だと気づきました。
私の思うニートは「健康で、能力もある(能力を身につける能力も含む)のに社会に貢献したり自活しようと
いう意識がないだらしのない若者」です。これに該当するニートは多くない、というお話のようですね。

ですが、私の考えていた「健康で~」なニートに対して家を出す行為は効果がありそうな気がしますね。
いえ、データがないのに効果云々を語ることはできませんが少なくとも私は賛成です。労働の義務を果さない
労働可能な人間でも「健康で文化的な最低限の生活~」とかは保障すべきでしょうが、実家で黙っていれば
飯も何もかもでてくる、自分専用のパソコンでネットつなぎ放題、街中で遊び歩く小遣いをもらっている
(以上私の言うニートのしてそうな生活)、このような生活は最低限の生活を超えていますから、生活の質を
もっと落して、自分がどれだけ恵まれていたかを思い知らせるべきでしょう。

しかし、最低限の生活の中には欝治療を受けたり、障害保障を受けたりする(以上私が思っていなかったニートに
該当しそうな人の生活)は含まれるでしょう。

まとめると
・欝などの病人には適切な治療
・障害を持つ人には適切な保障
・現実の苦しさに凹んでる人には優しい言葉
・「仕事とかダルくね~?」と軽口をたたいている奴には冷たい目
これらをちゃんと家族・社会が用意した上で、あとは自分の働ける範囲で働いてもらいたいですね。
それができなきゃ野垂れ死んでも仕方ないと思いますよ。誰だって仕事が無くなったら実際に死ぬかも
知れないわけですから。いつまでも夢破れて凹んでる暇なんてないんです。皆そうです。


これからは、非難されるべきニートとそうでないニートをちゃんと分けて考えようと思いました。
(そういえばNHKでニートの分類がどうこうというドキュメンタリをやってましたね)
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様々な意見が飛び交い、大変勉強になります。


賛否両論と思います。
そもそもニートという言葉の定義が広いのではないかと思います。

ニートと聞いて、「親の脛齧りで、社会に批判的」を真っ先に思う人もいれば、
「働きたくても、働けない人」と感じる人もいるようですね。

多分、ニートを批判される方の多くが、「脛齧り」を第一印象としているのではないでしょうか。

私の知り合いにも、
「俺、ニートしてる」と嬉々として語っている人がいました。
この先を訊ねてみると
「親が死んだら、俺も死ぬしかないなぁ」と平然としていたのが印象的でした。

YouTubeなどの動画内でも、
働かないのが当たり前で、労働を忌避した態度を取り、あげくには
働いている人をバカにし、見下した言動を繰り返すような輩を目にしました。
この人達が演技なのか、真剣なのかは私では判断つきませんが、
少なくとも私には「ニートが批判されても仕方がない」という印象を強くするには十分でした。

質問者様の
>「ニートを独り立ちさせるために家を出す」ことの是非ですが、
私はここでは是と唱えたいと思います。

虎だろうが、猫だろうが、谷に落としても見守っていてやれるわけです。
手が届かなくても、声は届くわけです。

谷に落とす前に、その親が、例えば交通事故などで亡くなったとしたら?
幼い子なら、親戚などが面倒見るかもしれませんが、
いい年こいた大人が面倒見てもらえるとは思えません。

自ら谷に落ちて、這い上がらないといけないのです。そこには何の助力もないのですよ。
弱ければ死ぬんです。能力がないと食っていけないんです。

親がいる間は、存分に甘えたらいいとは思います。助けを請うてもいいです。
でもそれは、いる間に、いなくなっても自分で食っていける能力を養うためにです。

それが出来ないのなら、谷に落としてもらうまでです。

ましてや、配偶者を持ち、子が出来たならば、そんな甘いこと言ってられませんよ。
「親が死んだら、心中や」なんて事にしてはいけないと思います。

「対人関係が怖いから」「働きたくないから」「うつ病だから」
よく考えてみると、ほんとに平和な世の中なんだなと感じます。

もし今、大地震が、戦争が、天変地異が・・・。そのような有事の際に、社会機能が停止したならば、
そんな悠長な事いってられないでしょうに。
社会機能が停止しても、労働は停止しないのです。

食べる為に、寝る為に、誰かがなんらかのアクションを起こさないと、全滅ですから。
そんな時に、うつ病だの働きたくないだのを唱えてるような、生きる力のない人、生きる気力のない人は自然と淘汰されていくものだと思います。

話が飛躍しすぎかもしれませんが、ありえないことではないと思います。
いつまでも変わらない平和を望んでも、いつまでも続く平和はないと考えておくにこしたことはないと思います。

だから、親は「自分がいつ死んでも、子が生き残れるように育てる」必要があり、
「子は、親を踏み台にしてでも、一人で生き残れるように育つ」必要があると思います。

それ故に、「独り立ちのために家を出す」は一つの方法であり、是と考えるわけです。

「家族にも必要とされない」という受け身的な考えでは、死んでも仕方ないでしょう。
「何もしない人」を「自分の利にならない人」を「なろうと努力もしない人」を
世間が、必要とするはずがないと考えます。

自分を助けるのは、結局自分だけ。世間は冷たいものです。
それはそうでしょう。皆、自分とその周りの事だけで精一杯なんですよ。
精一杯の中、ただ助けてと何もしない人に対して、温かくなるはずがないんですよ。

私は、働きたくても働けない人ではなく、「ただ働きたくないだけの人」は
別に働かなくてもいいと思います。やる気がないのに働いても、自も他もろくな目に遭いません。
働かなくてもいいが、働いている人におぶさってくれるなよと。
働かなくてもいいが、働いている人を批判したり、社会に不満を言ってくれるなよと。

だらだらと駄文でした。
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医師ではありませんが、うつ病歴15年の者です。



以下を参照してください。

「うつって病気ですか?…」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6431206.html
のANo.10

>「ニートを…家を出す」この行為は正しいのでしょうか。
ニート、うつ病等になった理由を問わず、置かれた状況下で、自分の力で生きる能力を、身に着けなければ、生活が破綻するのは時間の問題だと思います。

残り時間が無くなってから、試行錯誤を始めるよりも、今からできる事を始めるほうが、建設的であり、安全策かと思います。

何から始めるかは、ケース・バイ・ケースだと思います。
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私はニート。



経済的に働かずとも食べていける経済的条件と
働きにくい心理的な要因がうまく重なり、
現在に至ります。

金はあるけど、愛はない。

端的に言えば、これです。

金はないけど、愛はあった。

そういう環境に育った人は、ニートになりにくいんだろう。

世間の人は、目に見える「金」だけで、人や事物を判断する。

そういう理由があっても、
私だって、ニートであることの後ろめたさ、罪悪感というものはある。

世間の人、愛に恵まれて心を病んでいない健康な人は
そうでない人の事情なんて、想像できなくて
優しさが足りなくて
結果としてのニートを批判するんだろう。

人はいい加減なことを言うものだ、という言葉があるけれど、
まさにその通りで
深く、相手の置かれた境遇に思いをはせるなんて
一部の、懐の深い人でなきゃ
できないことなんでしょう。

世間なんて、その程度。
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