No.12
- 回答日時:
何で突撃を阻止することに論点を置くのか意図わかりませんせんが、戦闘は一分でかたがつくわけでなく、銃撃の一回や二回で終わるものでもありません。
火縄銃の力だけで勝つなんて言ってませんし、そもそもそんなことが可能なはずもありません。
諸兵科協同で戦うことは当然でしょう。
それに私は火縄銃が主力武器だなんて書いてませんよ・・。よく読んでくださいね。
それと突撃を阻止できるかどうかは、相手の兵力とこちらの兵力、双方の士気と訓練によるので、武器が鉄砲だろうが槍だろうが、一概には言えません。当然の話ですが。
それから日本では長槍兵がパイク兵のように使われたという実際例は、私が知る限りありません。
鉄砲普及率日本一の島津家では、大将も含めてほとんどの兵士が鉄砲を持っていたわけですが、同時に刀も持っていました。
島津軍の場合は最初に銃撃してその後は抜刀して戦うという方法をとっていました。
日本のほかの大名家の鉄砲足軽も脇差をもっていますが、基本的に日本ではヨーロッパのような隊形戦術は用いていなかったので、突撃を受けた場合に隊列を維持する必要性はありません。
つまりは後退するということです。
白兵戦ではほとんど死傷しないかわりに一進一退があるわけで、大きな会戦をよく調べるとそういう話がいっぱいでてきます。
こういうことからも、防げるか防げないかだけを論じるのは、全くの机上の空論です。
現実的には撃退できなくても隊伍を減らせれば十分に効果はあるわけで、次の白兵戦で防御側に有利に働くのは目にみえています。
防御側有利の原則というのは常識です。
それが弓矢であれ、鉄砲であれ、特殊な状況以外では、会戦において防御側のほうが有利に決まってます。
クレーシーやアジャンクール、耳川、三方ヶ原、長篠の戦いなど戦例に共通するのは、敵を誘い出して攻撃にしむけた側が大勝しているということです。
戦闘とはそういうものなんです。
しかしそれと火縄銃の有効性とは全く次元の異なる話ですよ。
フリントロック式に関するあなたの説明は間違っています。
「点火方式の違い」って意味わかります?
フリントロックは、火打石が当たり金にあたってだした火花が点火薬に着火して火門から装薬に達するわけですが、マッチロックは火縄の火種が直接点火薬に接触して着火するもの。
あなたは順々に発明されたと思い込んでいるようですが、実際にはホイールロックは1500年ごろにレオナルド・ダビンチの設計図が残っていることでも有名なくらいで、同時期に存在していたのです。
そしてホイールロックとスナップハンスとフリントロックとミュケレットロックはすべて火打石を使うという共通点があって、基本的に同じ武器といえるものです。
これらは進化したというよりも、各国の職人各人がそれぞれ工夫を凝らして、信頼性と効率を追求して生まれた結果なのです。
だから逆にいうと火打石を使うというアイデアは日本に火縄銃が伝わる頃にはあったということです。
ポルトガル人がもっていた頬撃ち銃は旧式なものだったわけです。
彼らは日本より先にインドや中国で売りました。
日本で爆発的に普及したのは他国が比較的平和だったのに比べ、日本では戦国時代真っ最中だったことが大きいでしょうし、日本の鋳造精錬技術の高さがあったからでもあります。
ちなみにホイールロックは構造が余りに複雑で製造が高価になるのでそもそも普及しませんでした。
マッチロックは1400年頃から、単に火種を押し付けるだけなわけですから、はっきりいえば鉄砲が発明された時点からありましたが、これはバネもつかわず構造がきわめて単純なのでずーーーと使用されつづけたわけです。
スナップハンスとフリントロックとミュケレットロック当たり金を採用しているとうことで同じですが、板バネを使っているという特徴もあるので、引き金が堅くバネの反動もあるので、火縄銃よりも照準はやや難しくなります。
このため19世紀になると狙撃銃にはダブルトリガー方式というものが登場します。これは一つめのトリガーを引いた後、軽く二つ目のトリガーに触れただけでコックが落ちるというものです。
そのぶん構造は複雑になりますが、いくつかの国が採用しました。
意外に思われるかもしれませんが、施線式のアイデアなんかも16世紀には登場していて、後装式もかなり早い段階で登場していました。
産業革命やパーカッション式や、そして金属製実包の改良までかなり時間がかかりましたが、全ての発想はルネッサンスの終わりごろにはあったものだったのです。
それを実現するのに時間がかかっただけです。
また銃の性能は専ら銃身(口径、丈、溝の有無)と発射薬(量、純度、黒色か無煙か)、弾丸(形状、ゆがみがあると弾道はカーブする)によります。
フリントロックと火縄銃では、点火方式(説明しましたよね)と銃床(火縄銃は頬のあてて撃つ、一般的なフリントロック式小銃は肩に銃床をあてて撃つ)の違いしかないわけで、性能にはそれほど差はでません。
だから大差ないといったわけです。
わかりました?
銃剣は実はさほど有効な武器ではないのです。
あれは純然たる心理兵器にすぎません。
隊列に騎馬の突入を防ぐという目的が当初のものですが、細く折れやすい金属でできていたので格闘戦ではあまり役に立ちませんでした。
実際にナポレオン戦争時の銃剣による死傷者は全体の1%にも満たないものであることが、当時の調査報告によってわかっています。
ちなみにいうとこの時代を何度も引き合いにだすのは、軍事や戦闘の結果を科学的に解析するようになった最初の時代だからです。
あと火線防御?も何もないでしょう。「弾丸は綿でできているわけではない」という言葉がありますが、射程が短くキルゾーンが狭くてもその範囲で殺せれば十分。
あなたは突破を完全に防ぐことにこだわりすぎです。戦闘はそんなに簡単じゃないです。
それから皮肉って????
あなた自分でも
> 通常鉄砲隊は、2列ないし3列縦隊で使用されます。
って言ってませんか?
一列に並べた長さよりも短ければ、当然、その範囲に収まるような隊形で配置されているとわかりませんでしたか。
1000人があなたの言うように二列三列になるとしたら何メートルになるの。
ま、たとえ話だから詳しくいってもしょうがないとおもって軽く済ませたのですが・・。
No.11
- 回答日時:
6番です。
9番の方は、勘違いされています。
戦国時代の鉄砲は、あくまで補助兵器で、主力は槍です。
それは、同時代の西洋でも同じ事です。
当時の鉄砲では、歩兵の突撃を全く阻止できません。
そのため、前線には槍隊を配置したり、防御施設を作り、歩兵の突撃を防ぐ事が必要でした。
火線が交差し、十字砲火により突撃を阻止できるようになるのは、連発銃が一般に使用されるようになってからです。
突撃の間に、一発から2発しか発射できない鉄砲には、突撃を抑える力がありません。
また、通常鉄砲隊は、2列ないし3列縦隊で使用されます。
それは、火線を厚くするためですが、縦隊を取り、火線を厚くすると、側面が開いてしまうのが欠点で、そのため、縦隊と横隊をいくつにするかが、各軍の悩みになっていました。
火線を交差した陣をひくのは、防御側で、攻撃側には、そんな事はできません。
防御側は、防御拠点として、陣地を作り、そこで待ち構えている間だけ、火線陣地の恩恵を受けます。
この場合、陣地が敵歩兵の突撃を阻止しますので、槍兵は、最小ですみますが、攻撃には、全く役に立たず、鉄砲は、補助兵器として分類されてしまいます。
>フリントロック式と火縄銃(マッチロック式)の違いは点火方式と、肩撃ちと頬撃ちの違いだけなので、同じ前装滑腔式の小銃という意味では、性能に大差はないんです。
9番の方は、専門家としていますが、フリントロック式銃を勘違いしていませんか?
9番の方が言われているのは、ホイールロック式銃のことで、フリントロック式銃と、マッチロック式銃(火縄銃)は、全く別物です。
フリントロック式銃が現れるのは、18世紀に入るころで、戦国時代(16世紀)には、フリントロック式銃は、ありません。
有ったのは、マッチロック式銃とホイールロック式銃(火縄を使わない方式)です。
1600年代後半に、ようやくホイールロック式とフリントロック式の中間ともいえるスナップハンス式銃が現れ、ホイールロック式につながってゆきます。
フリントロック式銃と、バヨネットの出現により、初めて槍兵が消えるのです。
バヨネットの有効性は、現在でも、建物の中での接近戦や、森林地帯、塹壕などでの戦いでは、有効です。
ただし、現在では主兵器とはいえませんが。
西洋においても、火線防御が効果を現し、実用化されるのは、1600年代後半です。
それは、銃の射程が伸びた事により、可能となります。
日本の戦国時代の火縄銃の有効射程が、100m程度では、有効な火線防御陣地はつくれませんでした。
特に大砲の装備がほとんど無い日本においては、火線の考え方が有ったのかさえ疑問です。
私が、横隊3000人と言ったのは、
>百人で撃てば一分間に200発、千人ならば二千発です。
これを肩幅の密集横隊で組めば、数十から数百メートルの幅に対して一斉射撃で弾丸の壁をつくれるわけで、キルゾーンにいる敵兵は60%は殺傷できます
この発言に対しての反論です。
有効射程100m程度の鉄砲隊を、1000人で撃つとすれば、横隊でしかありえません。
それを皮肉ったのに気付かれないようですね。
日本の戦国時代に、火線陣地や、フリントロック式銃を持ち出す事に、違和感を感じます。
No.10
- 回答日時:
#7です
騎馬武者について補足します が 質問者ももっと文献等を調べるようにしてください(思い込みが強いです、適切な文献を少し調べれば解決することが多いように思えます)
1:旗本・与力と言われるのはは質問者の言うところの士官である
騎馬が原則--江戸時代 旗本八万騎 等にあるように
2:旗本・与力に陪臣の槍持・鉄砲持・足軽が従う(時代により異なる)これらは徒歩(かち)
3:騎馬1騎につき徒歩(かち)3~5名が従う
時代によって異なりますが、主要な戦闘は騎馬が行なう
(絵巻物などをご覧になってください)
騎馬が討ち取られれば、配下は勝手に行動する場合が多い(戦闘を続行するのは稀)
近代戦の様な歩兵同士の激突は無かったと言う説が有力らしい
なお、文献は 漫画と講釈本以外にしてください、それから視点の異なる複数の文献にあたる事をお勧めします
No.9
- 回答日時:
#6さんの回答は典型的なネットで流布されている誤った俗説なので、説明をくわえたいと思いますが、3千人を一列になれべようという二次元的思考は、そもそも全く荒唐無稽で、隊形戦術も銃火器の特性も理解しない、すっとんきょうなものです。
まず日本に限りませんが、数千名もの人間を人まとまりにして行動させることはありえません。
部隊構造は大きくなれば大きくなるほど統制が困難になるわけで、当然、分割する必要があるわけです。
日本の足軽組にしろ人数は60~120名前後(大名家の軍法によって違う)で、こういうピース(駒)が複数あつまって一つのユニット(部隊)を構成するというのは、古代以来全世界の軍隊で行われていることです。
三千人を一直線という発想自体が間違いです。
また銃火器の特性を考えると、射線は交差させる必要があります。
つまりは一直線よりは”>”の字型やその組み合わせのほうがより効果的なのは明らかです。
つまり小グループの鉄砲隊が相互に斜めで敵に対するならばキルゾーンにおける集弾率は一層高まり、いわゆるクロスファイアー(十字砲火)効果が得られることになるわけで、そういう意味からも分けることが効果的です。
また#7さんがいわれるように音による心理効果を利用する上では、全員が一斉射撃するより、半分が一斉射撃して半分が次に一斉射撃をする”半斉射”のほうがいい場合もあるわけで、三段撃ちの真相はじつはこういうことだという説もあります。
つまり武田軍は装填時間の合間に前進して敵陣を強襲するつもりだったとして、それを防ぐには発砲し続けて間隔を少なくする必要があるわけですが、従来は三段撃ちが交互に三列が並び替えて・・というものでしたが、実際には、各組がイロハぐらいに分かれてその場でイ組の一斉射撃、ロ組の一斉射撃、ハ組の一斉射撃と、”半斉射”を繰り返せばその場で普通に一斉射撃を繰り返すだけで、銃弾が発射される時間は三分の一になるわけで、1分に2発としたら発射する総数は変わらなくとも相手にとっては間隔が短くなったことで一分に6発ずつ撃たれたと同じ心理効果を得られ、三段撃ちの理想的連射が可能になるわけです。
次に「主力武器」という私の表現は当然、歩兵の持つ制式小銃の意味です。
論旨を曲解されているようですが、私が言いたいのは連射できるないことは必ずしも兵器として劣るわけでないということです。
単発でも十分に威力はあり、効果的であるということが言いたいのであって、#6さんの指摘は何の意図があるのかわかりませんが、あらぬ方向にもっていっているようです。
ちなみにどう考えても日露戦争以後の主力兵器が機関銃ってことはないですね・・。
大きな威力を発揮したということと、主力ということには大きな意味の違いありますよ。
主力ていうには余りに数が少ないでしょう。支援火器ですから。
最初に連射(といってもセミオートだけど)可能な制式小銃はアメリカのM1ガーランドです。
突撃銃や短機関銃も支援火器に普通は分類します。
あとフリントロック式と比較?はしてませんよね、私は。
よく読んでください。
しかしフリントロック式と火縄銃(マッチロック式)の違いは点火方式と、肩撃ちと頬撃ちの違いだけなので、同じ前装滑腔式の小銃という意味では、性能に大差はないんです。
実際、火縄銃の全盛期にはすでにフリントロック式も発明(1610年)はされてたんです。
この両者の違いは、火縄を維持しなくていいという利便性だけで、撃ちやすさからいうと”鳥撃ち銃”の異名がある火縄銃のほうがいいわけです。
ちなみにですが日本の火縄銃はポルトガル人がアジアに広めたかなり古いタイプの狩猟銃で、軍事用のものではなかったので、質問者さんのいわれる世界一の軍隊だったかは、装備面からはやや疑問符がつきます。
大砲がほとんどなかったことから考えると、日本の戦国時代の軍事力は現実的にはまだまだです。
鉄砲の普及率は異常に高いわけですが、朝鮮出兵の敗戦を考えると、圧倒的な力があったというほどではないですね。
次に銃剣(バイヨネット)ですが、#6さんがいうような現在では敵の突撃を防ぐなんて目的で使用されることはありません。
現在は主に訓練や士気高揚のためです。
現代では零距離戦闘は起こらないと考えれていますが、フォークランド紛争など稀に銃剣で殺しあうような事態も発することはわかっていますが、セミ・もフルオートも可能なアサルトライフルが標準の現在は戦闘で使用されるのは極めて異例です。
パイク兵や銃剣で騎兵の突撃を防いだのは16世紀と、19世紀前半までのヨーロッパ話です。
それと戦国時代を比べるほうがどうかと思いますが・・。
ありがとうございます。
物凄く論理的でわかりやすかったです。大部隊を分割して組織的に使う、規模が大きくなる組織ほど大事ですね。朝鮮の戦いは兵器の差だけではなく、大陸の
物資輸送の経験の乏しい日本軍の失敗だったと思います。
No.7
- 回答日時:
それぞれの回答が正鵠を射ている部分とやや見当違いの部分があります
#1~5は指摘がありますから #6で機関銃を小銃の範疇に入れるのは適切ではありません
回答者が、落としていることで、歴史学者も多くが重視していないことで、一部の研究家から指摘されていることに「馬」があります、それと「火薬の調達」です
日本では 武士は騎馬が基本です
馬は大変臆病な動物で、よほど訓練しなければ、鉄砲の発射音で暴走してしまいます
ですから騎馬武者の突撃に大量の鉄砲で迎撃することは、命中して相手に直接打撃を与えことよりも、相手を混乱させる多大の効果があったのだそうです
また、火薬の調達には莫大な費用がかかり、戦国武将で火薬を満足に入手できたのは織田信長だけだったそうです
いくら優秀なハードがあっても訓練が不充分ならば足手まといとなるだけです、また補給が充分でなければ、単発に終わってしまいます
現在でも、小銃が最も効果を発揮するのは「狙撃」だそうです
火縄銃の音は確かに大きな音がでますね、これでは
馬はおろか人間も驚くだろうと思います。
それから 日本では 武士は騎馬が基本です
ここのところが疑問です。私の認識では戦国時代は
大部分が騎馬よりも徒歩中心で戦いをし、騎馬は士官
クラスが戦いに参加せず戦闘指揮に使っていたと思います。もし士官が戦闘に参加する時は馬を降りて戦っていたのではないでしょうか?一説では武田騎馬隊も江戸時代の創作だとか...違いますか?もし馬中心であれば
鉄砲は思っていたより強い武器だと思います。なにしろ
馬を撃って人間を振り落とせばいいのですから。
No.6
- 回答日時:
戦国時代の火縄銃に対して、攻め込む側は、竹を束ねた物を持ち、弾除けとして利用しました。
最前線の兵士が、弾除けを持ち、その後ろから武装した兵が進みます。
当時の火縄銃の有効射程距離が100メートル程度ですから、火縄銃だけで、十分な殺傷力を持つことはできず、戦いの主力は槍部隊になっていました。
そのため、鉄砲部隊の割合は、3割程度に抑えられていました。(槍兵は、6割程度)
これは、西洋でも同じで、同時代(155年代後半)西洋最強を誇ったスペイン軍の陣形テルシオで、銃兵は1/3にしかすぎず、槍兵が2/3を占めています。
銃の進歩とともに銃兵の割合は増え、30年戦争時代には、1:1になり、1700年代では、バヨネットの発明もあり、槍兵の姿は消えます。
5番の方の言われる、フリントロック式小銃は、18世紀の話で、日本の戦国時代にフリントロック式小銃は無く、比較される事に抵抗を感じます。
また、
>第二次世界大戦まで、連射できる小銃は主力兵器ではありませんでした
これは、明らかに誤りで、日本軍だけが当てはまり、日露戦争以降、機関銃が主力兵器となっています。
第一次世界大戦など、塹壕と機関銃の戦いとなっています。
また、
>百人で撃てば一分間に200発、千人ならば二千発です。
これを肩幅の密集横隊で組めば、数十から数百メートルの幅に対して一斉射撃で弾丸の壁をつくれるわけで、キルゾーンにいる敵兵は60%は殺傷できます。
これも全くありえない話で、鉄砲3千丁を用いたとされる長篠の戦いでも、三千の鉄砲隊を肩幅60cmで一列に並べたとして、1.8Kmにしかすぎません。
これでは簡単に側面に回りこまれてしまいます。
さらに、当時の鉄砲の有効射程距離が100m程度ですから、鎧を着込んでいたとしても、1分程度で到達してしまいます。
当時火薬と弾をセットにした物を使っても、一発ないし2発の発射が限度で、とても敵兵の突撃を阻止できません。
そのために、槍兵が必要になります。
銃だけで敵兵の突撃を阻止できるようになるのは、機関銃の発明以後になります。
(小銃では、現在でも敵の突撃を阻止できないため、バユネットが今でも使われています)
No.5
- 回答日時:
実のところ日本では実証主義的な考えがまだ根付いていなかったので
戦国時代の戦後で火縄銃の威力について科学的な検証は行われたことはありません。
現代になった過去の検証という意味での実験しかありませんし
それは必ずしも有効性の査定ではなくて、単に火縄銃の威力を測定するものでした。
ヨーロッパではナポレオン戦争直前にフリントロック式小銃の軍事的評価を
運用や性能面で検査検証が行われ、戦術面に生かされたのですが
日本ではそれが行われなかったので、有効に活用されていたかどうかも
含めて未知数のところがあります。
特にいわゆる兵法本という江戸期に書かれた書物はいい加減なものが多く
実態を正しく表記してないものがほとんどで
戦国時代では実際の軍法は国家秘密や門外不出の家伝に属することだったので
秘密にされていたという都合で、当時の実情については今でも専門家の議論するところです。
ただし火縄銃に限らず、前装滑腔式の小銃は十分な殺傷力をもっていて
そのことに議論の余地はありません。
有効射程内で命中した弾丸は致死性の被害を与えます。
”丸い弾丸が”と表現されてますが、丸いから弱いというのは誤解です。
鉛の弾丸は人体に命中した瞬間に球面が潰れて、破断面は傷口を広げます。
現在の弾丸は流線型をしていますが、これは施線式(ライフル)に変わったことから
ジャイロ効果を生かすために後尾がやや空洞になっていて爆発の瞬間に膨張して
銃口に密着するようになっているためで、弾道を安定させるための工夫ですが
威力の点では流線形も球形も特に変わりはありません。
あと連発できないっていいますが、旧日本軍の制式銃だってポンプアクションですよ。
第二次世界大戦まで、連射できる小銃は主力兵器ではありませんでした。
前装式の小銃は、一分間に2~3発は発射できます。
これは少ないように感じるかもしれませんが
百人で撃てば一分間に200発、千人ならば二千発です。
これを肩幅の密集横隊で組めば、数十から数百メートルの幅に対して
一斉射撃で弾丸の壁をつくれるわけで、キルゾーンにいる敵兵は60%は殺傷できます。
これは槍で戦った場合には全くありえない数字であって、
この高い殺傷力が鉄砲が革新的である理由です。
ちなみに刀剣や槍での戦闘では、敵の死傷率は10%に満たない程度です。
白兵戦では敵を殺したかではなく、敵の士気を挫いたがが勝敗の分かれ目になりますが
銃撃では敵を殺すというより致命的結果で敵の士気を挫き敗走に導けるわけです。
あと当世具足やそれ以前の大鎧には、防弾効果はほとんどありません。
あれは刀剣や弓を防ぐための防具です。
有名な織田信長が作らせた西洋式鎧は銃弾をはじけますが60キロ以上ある
重いものであまり現実的ではありませんでした。
非常に専門的ご解答ありがとうございます。
丸い弾丸が破壊力がなかったと思っていたのは誤解みたいですね、考えるに、よくテレビなんかで見る鉄の甲冑は士官クラスでほとんどの兵は農民でしょうから
軽微な鎧しか着けてなかったかもしれませんね。
ところで、鉄砲がそれだけ革新的破壊力もたらしたとすると当時の日本が世界一の鉄砲生産国だったようですので、当時は世界一の軍隊を要していたと思いますね。
No.4
- 回答日時:
殺傷能力はあまり変わりません。
一人の人間が連射することを考えれば弓の方がメリットが大きいかも知れません。しかし画期的なことは、火縄銃が使い方さえ学習すればたいした訓練無しに普通の人間に使いこなすことができることです。
ちょっと国が異なりますが、英国の長弓兵は、子供の頃からの鍛練で、骨格が変わるほどでした(弓手ばかり使うので右側が異常に発達する)。
これは極端な例ですが、弓というのはこれほどではないにしろ、日常的なトレーニングがあって初めて実戦使用できるわけです。
当然、そのような人間を短期間に大量育成したり、動員してきた人間をそのレベルに仕立て上げたりすることはちょっとムリ。仮に大量に弓兵を育成しても、召しかかえていれば人件費を食います。
しかし鉄砲はブツさえあれば、弓よりは簡単に使いこなすことが出来、戦時に徴集した人間に教えこめば短期間で実戦に投入できます。
そうすると、戦場に大量に動員できる鉄砲の方が少数精鋭になってしまう弓兵よりも有利になるのです
No.3
- 回答日時:
銃の正しい使い方としては.
いつでも発射するように用意して.敵がくるのをひたすら待つ。
敵の腹に銃口をおしつけて(寸法に注意してください刀が届かない距離になります).発射。相手は確実に死にます。この後.脇差を取り出して.殺した相手の首だけを切り取り対象のところに持っていって.領地とか金とかに替えます。
離れて打つ場合には相手が槍の場合です。
当時.私はなんたら天皇の末裔なんたらこうたらのの孫なんたらこうたらの息子なんて.20-30分かけて名乗りをあげて切り合いをはじめます。この名乗りをあげている相手をドカンと殺すという合理的殺人方法で成果をあげたのが火縄銃です。
なるほど 2~3mまで近くに来た敵に向かって撃てばさすがに死ぬということですね、しかし目の前に刀を振り上げた敵をまえに銃を構えるいうことはかなり度胸がいることではないでしょうか、それにしても戦国時代の戦いでも未だ名乗りをあげてから戦っていたのですか?
No.2
- 回答日時:
こんばんは
火縄銃の有効性については、次の通りです。
有効射程距離 500m
殺傷距離 200m
確実殺傷距離 50m
初期の鉄砲の役割としては、轟音と火炎および巻き起こる黒煙によって敵を威嚇するのが主だったようです。それを、強力な武器として活用したのが信長(長篠合戦)といわれますね。
鎧武者に対しての効果ですが、まあどの程度のものであったのか、顔面や内もも、脇など当たり所が悪ければ・・・、というところでしょうか。
とはいっても、10匁弾(37.5グラム)などが至近距離で当たれば、その衝撃はかなりのものだと思います。また、射手は騎馬武者の馬を狙って落馬させることが多かったのでは、と推測します。
>革新的効果があったと言うのが疑問に思いましたので
確かな記憶ではないのですが、騎馬武者一名が足軽十名(?)に匹敵する戦力であった、といわれます。それに対し、早合(火薬をパックにした物)の利用や、段構えによる連射などにより、勇猛な騎馬武者の突撃・進入を(ある程度)無力化する、という意味では、やはり革新的ではなかったかと思います。なによりも、弓に比べれば、雑兵でも操作に熟練させれば命中率はかなり高かった、ことも大きいですね。
http://www.chiba-muse.or.jp/SONAN/kikaku/hinawa/ …
http://www3.omn.ne.jp/~yumetsu/hinawajyuunitokuc …
ありがとうございます。
確実殺傷距離 50mということは
当時の鉄の鎧は割合と脆弱だったようですね
確かに今に防弾チョツキみたいに強くはないのですね。
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