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ツーカー→AUの機種変更が最近可能になりましたが
何故同じKDDIグループの中に2つも携帯電話サービスが
あるんでしょうか?前身とかの絡みでしょうか??

A 回答 (4件)

そもそも、KDDIはNo.3さんのいう通り、


KDDとDDI(第二電電)、IDO(日本移動通信)の
3社の合併により誕生したもの。
で、このうち、東名エリアをIDOが、
それ以外のエリアでは、DDI傘下のDDIセルラーグループがサービスしていました。
で、合併に伴い、統一ブランドとして、「au」ができたわけです。

一方のツーカー、元々は日産自動車によるもの。
で、東名エリアはDDIも資本参加し、「ツーカーセルラー」と名乗ってました。
(関西は、既にDDIセルラーがあったので、日産単独で「ツーカーホン」。
 因みに、KDDは合併するまで、携帯会社を持ってませんでした。)
が、日産の経営不振による本業専念に伴い、KDDIが誕生する前の99年に、
日産はツーカー東名阪3社の株をDDIに売却。
ツーカー3社はDDIグループ入りとなったのです。
そして、KDDIが翌2000年に誕生し、
グループ内にauとツーカーの2ブランドが存在することになったわけです。

その後、ツーカー3社は完全子会社化を経て、
05年10月にKDDI本体に吸収合併。
グループでなく、KDDI自体に2ブランドが存在する形となりました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます
そういう過去があったんですね~

お礼日時:2006/01/11 01:09

下の部分の回答でインターネットの方式が違ったから二社存在するんだとありますが、au(セルラー時代)でも昔はパケット方式でないものがありましたよ。

それに今ツーカーではパケット方式がありますよ。

まずKDDIという会社は旧のDDIとKDD、IDOグループが合併した会社であるとういうことが前提です。

TU-KAはもともとKDD傘下の会社です、auの前身セルラーホン(日本通信移動)は、旧のDDI、IDO傘下の会社です。

三社が合併したためツーカーとauは同じKDDIグループとなったというわけです。その後、ツーカーとauの利益の差が開き、現在ではツーカーよりauの方がKDDIにとって都合のよい状態になりました。それなのに、KDDIは二社を保持し続けた理由はツーカーユーザーを一元的にauユーザーにすることはできないためツーカーを処理できないこと、処理できないためツーカーを売却したくても、寡占市場の携帯各社は他社参入を嫌うのでツーカー売却がそのまま「他社参入」を認めるという結果になってしまうのでできない、という葛藤に悩まされ続けていたというのが実のところだそうです。
ですから、ツーカー→auへの変更ができるというの宣伝はやたらとしているのに、au→ツーカーへの変更ができるという宣伝はまったくしていないのです(実際後者ができるかどうかは知りません、誰も興味のないことだとおもいます)。
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お答え


☆下記の方の通りですが
携帯電話事業は当初、多数の企業が競争してました。

送信システムの大きな違いでは
 au →パケット方式
その他→デジタル化
で戦略しました
初めは無謀な送信システムで消えると予想された
auがPCと同じパケット方式に軍配がありました。

小さなツーカー等(デジタル)も追い越し合併して行く事で
(ツーカーも)存続を保ちました。

auは送信システムの違いの勝ち組にな入りました
その他の
デジタル業者は大手NTT以外は敗北してしまい(合併吸収され)てしました。
NTTは通信機能でのコンテンツの多さで勝ち組になりました

(簡単携帯のながれ昔はなしでした)
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合併したからです



参考URL:http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/200 …
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