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坂の上の雲を読むと、日露戦争のころは、日本には
なんと肝のすわった戦術家や名将が多いんだろうと思うのですが、太平洋戦争のころのこれは!という語り継がれるような戦術家といったら誰なんでしょう。
山本五十六 元帥なんですか?

A 回答 (4件)

例えばですが、



奇蹟のキスカ撤退作戦を指揮し、その後も常に第一線に立ちながら生き残った、木村昌福 海軍中将。

ソロモン方面で、水雷戦隊を指揮して度々勝利した、田中頼三 海軍少将。

硫黄島で、圧倒的な戦力の米軍を引き受け、最大限に持久して米軍に大損害を与えた、栗林忠道 陸軍大将。

失敗するのが最初から見えていたインパール作戦で、上官の命令に抗して独断で撤退し、部下将兵の命を救った、佐藤幸徳 陸軍中将。
http://www.netlaputa.ne.jp/~kitsch/ww2/jinbutu/s …

南樺太で、8月15日以降に、武装解除を始めた日本軍に襲いかかり、軍使を射殺して南下を続けるソ連軍を食い止め、一人でも多くの日本民間人が北海道に逃げるための時間を稼いだ日本軍指揮官 (名前は存じません)

これらの人々は、「肝のすわった戦術家や名将」と言って差し支えないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
このあたりの人物にとんと疎いので、栗林忠道以外は
初めて聞く名前でした。
佐藤幸徳 中将はリンク先で見てみましたが、
不遇ともいえますね。

お礼日時:2006/01/06 21:23

日本人で戦略家というと大村益次郎(村田蔵六)以外に思いつかないですけど。

もちろん戦術家としても、天才ですが。陸軍がだんだんおかしくなったのは、何故か?私の職場を見渡すとわかるような、気がします。日本や日本人はまったく戦前と変わってないと思います。能力もないのに、ゴマすって出世した上司のしたで働く部下は犬死にします。当時の陸軍もそんな組織だったのでは、ないのではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

大村益次郎は、もっと長生きしていたらどうなっていたでしょうね。興味深いタラレバのひとつですね。

まぁ、上司は自分より先に退職するから...ということを
考えましょうよ。
職場を越えた人脈作りと、その職場を越えた人脈からの「できるやつ」という評価を得ていれば、上司がいなくなったあとは、自分の時代かもしれませんよ。

お礼日時:2006/01/10 10:26

質問の趣旨からすると語り継がれるような指揮官、戦術家ということですが、


石原莞爾は戦略家と呼ぶにふさわしい人物です。

指揮官というのは参謀の建てた戦術(あるいは戦略)を選択する立場にあり、またはその立案の構想を指示するもので、海軍の山本元帥は航空戦略重視の方針を示し、各参謀が具体的計画を立案したのです。

その点で、質問にあるような戦術家は残念ながら存在しないか思い当たらないと思います。

指揮官ならばNo2のご回答にあるような方々でしょう。  強いてあげれば栗林大将は優れた戦術家といえましょう。 
彼の徹底した野戦築城による遅延作戦は玉砕したとはいえ目的は達成したのですから。

最後に「戦略」というのは国家規模の戦争遂行の方策に関するもので、「戦術」というのはその具体的手段を指します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど、戦術と戦略ですか。
自分なりに、この時代の歴史小説を読んでみようと思います

お礼日時:2006/01/10 10:20

太平洋戦争時代の戦術家といえば、やはり石原莞爾の名前が最初に挙がるのではないでしょうか・・・。


その他にも辻政信とかいましたが、結果的に敗戦してしまったことから、全て評価はマイナス側に振れていますね。
日露戦争の頃の秋山真之などは、やはり勝ち戦となったからこその評価ですよね・・・。

本当の戦術の良し悪しや能力ではなくて、戦勝か敗戦かの結果だけで評価が決まっているのではないでし様・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます
石原莞爾はなんとなくしっていましたが、詳しくわからなかったので。さっそく調べてみました。
すごい経歴ですね。

お礼日時:2006/01/06 21:18

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