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「新大陸の植民地がイギリス本国から分離・独立しようと決断するに至った要因」ってなんですか?まず新大陸の植民地がどこかも分かりません。。。涙 どなたか教えてください!!!

A 回答 (4件)

カリブ海にもイギリス植民地がありましたが、「新大陸」ということであれば、通常はアメリカ合衆国の東海岸ということになりますね。

当時はイギリスが植民地にしており、13州が建設されていました。
独立の要因ですが、まずイギリスは、17世紀以降フランスと植民地抗争を断続的に100年間行ってきたという背景があります。アメリカ大陸も戦場になっています。イギリスは、結果的にこの戦争に勝利して、フランスをアメリカ大陸やインドから追い出したわけですが、その反面戦費が膨張したため、植民地からの税金でその穴埋めをしようとしたのです。印紙法・砂糖法などの制定はその典型です。
それに対して13植民地側は、猛反発しました。それでなくとも13植民地に移住したイギリス人は、宗教的・経済的自由を求めてアメリカ大陸へ渡ってきたのに、イギリス政府は不当な税を植民地だけに課してきたのですから。
これがアメリカが独立に踏み切った根本的な理由です。

しかし当初は、商品作物を栽培してイギリスに輸出していた南部プランターが、イギリスからの独立を拒否するなど13植民地の足並みはそろわず、独立戦争開戦時の独立支持派は、わずか1/3でした。植民地内で独立の気運が真に盛り上がったのは、トマス・ペインにより『コモン・センス』が出版されてからのことです。
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既に要因とされている答え(租税・宗教的束縛)が一部出ていますが、基本的には独自の発展を始めた新大陸を、そのままの市場としておきたい英本国が、砂糖条例、印紙条例、タウンゼント諸法(輸入全般にたいする税)などで、経済発展を阻害しようとしてきた事によります。


植民地側は英議会に議員を派遣していないので、税を納める義務もないはずと主張、まだ「独立」する機運はなかったものの反発を強めていました。
切っ掛けになったとされる、学生が英国の船を襲って紅茶を捨てた事件(ボストン・ティー・パーティ)が起きますが、本格的に独立を目指した戦いが発生したのは、トーマス・ペインの「コモンセンス」が発表されてからです。
仏国は当初は対英国戦略として植民地側を支援しましたが、その後思想的に共鳴した義勇軍が設立され、直接「独立戦争(革命)」を支援しました。
8年の戦争の結果米国は独立を勝ち取りましたが、仏国との蜜月関係はしばらく継続し、自由の女神像が送られるなどがありました。
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紅茶はイギリス本国より安かったようですね。


もめ事が大きくなったのは、印紙税だと思います。

ただ、背後にはフランスがいました。
対英牽制のため、植民地に反乱工作をしたのでしょう。アイルランドにも何度も働き掛けています。
フランスは対米支援のために大きな財政負担をし、赤字国債を発行していますし、独立を認める条約調印はパリで行われています。
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アメリカ合衆国の最初の13州がそれぞれイギリスの植民地でした。


かれらが独立を決意したのは税金が高かったからです。象徴的な事件としてイギリスからもってきた関税の高い紅茶を捨てたという事件があったように思いますが。
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