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カール・ロジャースの「来談者中心療法」について、ある程度、理解をされている方にお伺いしたいと思います。宜しくお願い致します。
カウンセラーの基本的態度として、この自己一致(=純粋性)はある訳ですね。これがカウンセリングを行う場合の具体的関わり行動として、どの様な関わりになるのかを、具体例などもあれば、それも含めて教えて頂きたいということです。

(1)例えば、相談業務を受けるときに、何か自分の生活の中でカウンセリング以上に気になっていることがあり、この様な場合、クライエントに、「今、カウンセリングをさせて頂くこと以上に気になっていることがある」と宣言をしたりすることなのですか?それとも、その様な感情をカウンセリングの間は、どこか心の脇に置いておくことをいうのですか?
(2)或いは、クライエントの発言に対して、自分の心の中に湧いてきた感情を認めつつ(極端な例を言えば、クライエントの悩みがカウンセラーから見ていて「他愛もない悩みだ」と感じている(これが、そもそもいけにことは重々判っています)ような場合)、この感情を心の脇に置いてクライエントの話を傾聴するということなのでしょうか?

本来、来談者中心療法は、技術的なことよりも、カウンセラーの考え方・態度に意識をおくことが大事であるということは、重々、承知しています。ただ、その考え方・心構えを意識した、いわゆる自己一致した状態での具体的関わり行動はどういうものなのか、の一例を知っておきたいと思った次第なのです。「判りやすくいうと、こういうことだよ」という具体的関わり行動の一例を示して頂けると幸甚です。
お分かりになる方、是非、ご教示ください。宜しくお願い致します。

A 回答 (1件)

>来談者中心療法は、技術的なことよりも、カウンセラーの考え方・態度に意識をおくことが大事である・・・


そもそもこの考え方が??です。カウンセラーが意識を置くのは常に、クライアントの考え方・態度のはずです。

「自己一致」は「誠実な対応」ともいわれますが、要は「自分の素の姿を自分自身で知ったうえでクライアントに接する」ということだと思います。
よくカウンセラーは「鏡」に例えられますね。カウンセリングとは、クライアントがカウンセラーという鏡に自分の姿を「言葉」で投げかけて、はね返って来るものから「自分で気づく」ことだといわれます。
ひずみのない鏡であるためには、自分を飾ったり、普段の自分でない態度で接してはいけないということだと思います。
傾聴によりクライアントの本当の心を理解するには、自分自身の本当の心を理解していなければ難しいという言い方もできます。

(1)の質問についてですが、
カウンセラーが自分自身の問題にこだわりがあって、そのことがクライアントへの接し方に影響すると思われる状態であれば、そのことを告げることが「自己一致」ではなくて、別のカウンセラーと替わってもらうことが「自己一致(誠実な対応)」だと思います。

(2)の質問についてですが、
最初の傾聴の段階ではそうすべきです。(「心の脇におく」のではなくて「忘れ去って」の方が正しいでしょう)
とことん傾聴し切って、クライアントの悩みの本質が理解でき、クライアントと心の一体感ができてからの助言でないと、「押し付け」と思われるおそれがあります。
たとえ助言でも、あくまでクライアントが自分で「気づく」感覚になるくらい一体感をもてるようになるまでは、「傾聴」に徹した方がよいでしょう。
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この回答へのお礼

おはようございます。素早いご回答ありがとうございます。
「そもそもこの考え方が??です。カウンセラーが意識を置くのは常に、クライアントの考え方・態度のはずです。」
ハッとさせられました。そうですよね、「意識は常にクライエントに」ですよね。忘れかけていました。ありがとうございます。
(2)についての回答は自分にとって、「自己一致」というもののイメージを理解するのに大変役立ちました。
また「脇に置く」ことよりも「忘れ去る」ことというのも、私の理解を助けて頂くものでした。本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/01/08 09:22

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