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過去の質問を見たのですが、長々しくてよく理解が出来ませんでした。もう少し短く要点だけをまとめて教えていただけたらうれしいです。よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

そもそも、「太平洋戦争」いう名称は敗戦後、GHQが連合国側表記に合わせる形で呼称を使用するよう強制されたものです。


当時の日本では「支那事変(日中戦争)」を含めて「大東亜戦争」と呼称していました。

さて、本題に入ります。
要因はいくつもあるのですが、日本側の視点から書いてみます。

一、日本の国際連盟からの脱退
当時の国際連盟加盟諸国は、「満州国は日本の傀儡政権であり、満州地域は中華民国の主権下にある」と非難されたことから、1933年に日本が国際連盟から脱退する主要な原因となります。
これより、日本は国際協調から外れていき、後の日独伊三国同盟へとつながります。

二、日本による東南アジア植民地の開放紛争
そもそも太平洋戦争(大東亜戦争)の目的は、アジア諸国における欧米の植民地支配の打倒を目指したものです。
日本は東南アジアの各国から西洋列強の支配力を激減させ、日本が東南アジア大半の利権を得る構造となります(なる予定だった)。
それによりアメリカから経済制裁を受けることになります。

三、真珠湾攻撃でのアメリカの介入
アメリカ本土への奇襲はアメリカ国民の日本への憎悪を高まらせ、太平洋戦争(大東亜戦争)へ参戦することとなります。

理由は挙げればきりがないと思いますが、主要な理由は以上ではないでしょうか。
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日本は、ソ連の赤化工作によって中国の欧米利権が侵されることを防ぐ役割があった。


だから、欧米は満州までは許容していた。
しかし関東軍が上海事変等を起こし、その後仏領ベトナムなど日本がアジアの欧米利権を独り占めしようとしたので、怒って経済封鎖した。
そして太平洋戦争が起こった。
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1.日本と英米は以前から中国をめぐって対立していた。


2.日独伊三国防共協定を結んで、さらに対立した。
3.1941年日本軍が仏領インドシナに進出。
4.アメリカは日本に経済制裁を発動した。
5.日米は和平交渉を続けたが、チャーチル英首相や蒋介石のけしかけや米海軍からの誇大情報によりアメリカは日本に難題を吹っかけた(ハルノート)。
6.日本は拒否して開戦へ。

流れはこんな感じです。
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日本軍の真珠湾攻撃がだまし討ちだったからです。


太平洋戦争といえば、日本にとってはまさしく消耗戦だったようですが、もちろん最初から狙っていたわけではないでしょう。当時の日本海軍トップ・連合艦隊司令長官、山本五十六(いそろく)大将はアメリカ通といわれ、長期戦では日本に勝ち目がないことを知っていたようです。山本大将の考えは、戦争の初っ端に米海軍に大打撃を与え、米海軍と米国民の戦意を喪失させ早期の講和を図る、というものでした。真珠湾攻撃は、そのための作戦だったのです。この作戦は見事成功したものの、和平交渉打ち切りの最後通牒をアメリカ政府に手渡したのが攻撃開始の後だったため、だまし討ちという形になってしまったのです。結果、そのほとんどが参戦に反対していた米国民を、打倒日本ということで一致団結させることになったのです。
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中国をめぐる争い、ということになると思います。



(1)朝鮮半島・台湾を植民地にできた日本にとって、次の目標が中国だった。

(2)当然、中国は日本以外にも他の欧米諸国(特にアメリカとロシア)も狙っていた。中国は日本と近いので、欧米やロシアの完全な植民地となると危なくなると日本は考えていた。

(3)アメリカやイギリスにとっては、日露戦争で勝った日本にこれ以上強くなれても困るので、日本の中国進出を押さえたかった。


こうした背景から、アメリカは日本に日中戦争をやめるように要求。日本は、中国を諦めるか、アメリカと戦ってまでも中国にこだわるか、の選択を迫られ戦争を選択しました。
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中国の利権をめぐって欧米諸国との対立が激しくなり、欧米諸国が日本への資源の輸出を禁止したために資源確保のためにはじめたものです。


このころのアジア諸国は大部分が追うペイの植民地であり石油、ゴム、鉄鉱石などの多くの資源を日本はこれらの国に依存していました。
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 日本国の存続のため。

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