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レポート課題として『脳死・臓器移植における「愛」の問題』についてという課題が出されているのですが、わかることがあればなんでも教えてください!お願いします!

A 回答 (3件)

これは答えのない最も難しい課題を出されてしまいましたね。


僕も移植医療には直接携わっていないので一般人としてアドバイスします。
愛という観点でみるなら臓器提供と言う行為はどこの誰とも知れない人に自分の体と言う大切な物を与えようとするすばらしい行為だと思いますしまさに博愛の精神に則った行為であると考えます。
また、脳死と判定された故人を深く愛しその体を傷つけたく無いと考えるのも愛であると思います。
ただ、愛と言う物のとらえ方には宗教や文化などによって多少の違いがある様です。
一般に言われていることではキリスト教の場合、死後に神の国で復活するとういう教義のため魂に対して愛情の対象が向いていて実際の肉体は魂の乗り物であると言う考え方がある様です。そのため自分の魂が乗り物を必要としなくなった時は他の人に役立ててほしいといった考え方に本人もまた家族も納得しやすいという側面があるのだと思います。
仏教の場合も死んだ後で死後の世界があると言われていますが日本では「人は死んだらつちに帰る」という考え方もありキリスト教にくらべると故人の身体に対する執着が強いように思います。
つまり、愛情の対象が宗教によって魂なのか?肉体なのか?魂と肉体の両方なのか?またその比率なども微妙に違っている様です。
ですから世程強い博愛精神が国民全体に広まるか故人の肉体に対する執着がなくならないと日本で脳死移植が大規模に行われることは不可能であると考えています。
欧米でさえ自分の愛した人の身体の一部が誰かのなかで生き続けていると考えることで故人の肉体に対する執着を断ち切るよう努力しているひとがいる訳ですから日本ではまだちょっと・・・。
以上のように、提供者とその家族による博愛の精神に基づいた行為であるわけでレシピエント側がぜひとも日本でも脳死移植が欧米なみの数、保険診療のような安価な値段で出来ないと納得できないともとれる主張をしている事に対しては「ちょっとあさましすぎるなー」と感じざるを得ないと思います。
提供者も家族も納得してこの崇高な行為をなし得たいと考えている場合にのみ医療従事者としてその手助けとなるよう最大限の努力を傾けるべきでは無いのか?というのが今の所の僕の考え方です。
そのためにはもっと他人を思い遣る社会にならないと難しいと思いますが・・・。
レポートを書く際のヒントにでもなれば幸いです。
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この回答へのお礼

すぐのご回答、そしてとっても参考になるご意見ありがとうございました!これから頑張って書きます!

お礼日時:2002/01/21 23:26

別問題です。


自分は他人に臓器提供する気はないと思っている。
そのとき、身内か恋人が重病を患い「臓器移植以外に助かる道がない」場面に遭遇します。そこまでして助けてもらいたいか、どうか。
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ここで問題です。


あなたの身内か恋人が突然倒れ、医者から「脳死です。意思表示カードで意思を表明しているので、臓器移植を行いたいと思いますが」と言われました。さてどうする?
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